第59話 夏の宵、抜き打ち



 帰りの普通電車に乗って、8人が闇の中を揺られていく。

 隣に座る宇佐美うさみくんが尋ねてきた。


財部たからべさんは駅から家までどうやって帰るの?」


 ボクはバスで帰るつもりでそう伝えた。すると僕も同じ方向のバスで帰るんだと宇佐美くんが言う。それはボクにしてみれば当然の事だ、だって同じ中学の校区なんだから。それをこの場で言うことはないけれど。


「どこまで乗るの?」


「わたしは三丁目まで」


「僕はその先の坂東ばんどう町までなんだ。割と近いところに住んでたんだね。

 ……じゃあ夜も遅いし自宅まで送るよ」


「え、そんな悪いよ」


「女の子一人で夜道帰せないよ」


 ボクを正面から見据える彼の表情は真剣だった。


「……、分かった。それじゃお言葉に甘えます」


 その場からパパとママに、バスで帰るとラインで連絡した。するとパパが車で迎えに行くと返事が来る。宇佐美くんが家まで送ってくれると返信すると、一緒に送りますとさらに返答が来た。


「うちのパパが宇佐美くんの自宅まで送るって言ってる」


「それこそ申し訳ないよ」


 ボクの方を向いたまま、やや焦った様子を見せる彼。

 今度はボクが真剣な表情になる。


「ここで一人で帰っちゃうのも不自然だと思うよ?」


「そ、そうかな」


「うん。そうだと思う」



§



 駅改札を出たところで他のみんなとは解散した。そして駅西口の高架下、二人並んで迎えを待つ。

 日曜日の夜ということもあって、行楽帰りかこれから出発するのか、大きな荷物を持った人が時折通る以外は人影もまばら。客待ちのタクシーも暇を持て余してるみたいだ。


「今日は色々ありがとうね。すごく楽しかった」


 ボクは彼の顔を見上げて微笑んで、今日という特別な日の締めくくりを口にする。


「僕の方こそ、楽しかった。またどこか一緒に行けるといいね」


 彼も笑顔で応えてくれたけど、なにかまだ言いたそうで口もとが動いてる。

 不審に思いつつも笑顔は崩さずにそのまま目線を合わせていたら、彼の息づかいがすぅと聞こえた。


 「……それでさ財部さん。良かったらラインの、フレンドになってもらえないかな?」


 もちろんボクとしてもそれは願っていたことで、応諾の返答をしようと唇が動こうとする。


「いや、ダメならいいんだ」


 その機先を制したのは彼のためらい。でも、今はボクの方からも推し通るべき時のはず。

 この頬の火照りは一日夏の野外にいたせいなのか、それとも別のものなんだろうか。言葉を詰まらせながらもしっかりとした音を形作って彼の耳へ届ける。


「あ、あの。ダメなんてことは、ない、です」


「じゃあ」


「はい、わたしの方こそお願いします」


 ボクの言葉は確かに届いて、彼の表情から緊張が抜ける。たぶんボクも心のつかえが下りて、今日一番に安堵した表情を見せていたに違いなかった。


 すぐにお互いスマホを出し合ってフレンド登録。夜空に協奏するベルの音が響いた。



§



 それからほどなく、パパの車が二人の前に止まった。


「パパの車来たから、乗って下さい」


 そう言って宇佐美くんを先に車の後部座席に押し込む。


「逆じゃない? こういうのって先に下りる僕の方が後じゃないかと」


「こうしないと宇佐美くん逃げちゃいそうだし」


「いや、そんな事はさすがにないからね?」


 苦笑する彼。シートベルトを締めて準備が整ったところで、運転席から声がかかった。


「君が宇佐美くんだねえ?」


 スイッチを切り替えるように、彼の横顔が真剣な面持ちになった。


「あ、はいはじめまして。宇佐美司と言います。

 遅くまで優樹さんを連れ回してすみませんでした」


 はっきりとした口調でそう言いながら、軽く頭を下げる。

 半身で後ろに振り返っていたパパがいつもは細い目を少し見開いた。


「いやいや、これぐらいになるとは最初から聞いていたからねえ、そんなに固くならなくてもいいよ。

 それでゆうき、パークは楽しかったかねえ?」


 パパの目はいつもの細さに戻って、僕に焦点が合う。


「うん、最後は花火も見れてすごく良かったよ」


「ママがゆうきの話を聞きたがってたねえ」


「そか、帰ったらいっぱいお話ししないと」


「そうだねえ。

 ところで宇佐美君」


 一度は前を向いていたパパが、今一度大きく後ろを振り向いた。


「は、はい」


「先日ゆうきが倒れたときはずいぶんとお世話になったそうだねえ」


「いえそんなことも」


「君がゆうきが倒れたところを介抱してくれたと伺っているねえ。

 一度きちんとお礼をしなければならないけれど、こんな場所でとりあえずで申し訳ない事だねえ。

 その節は本当にありがとう。おかげでゆうきも無事だったし、感謝しかないねえ」


「いえ、当然のことをしただけですから」


「はは、頼もしいねえ。

 こんなことをお願いできる義理でもないけれど、ゆうきがまたご迷惑をおかけするかもしれないねえ」


「だいじょうぶですよ、僕なんかで助けになるのなら」


 パパはそれ以上喋らずに車を発進させた。車もまばらになった夜の街を、坦々と走り抜ける三人。

 街外れの川を渡って、辺りは一気に暗くなる。ボクたちの住む住宅街へはこの時間なら駅から車で10分ほど。


「それで、バス停は坂東町だったよね?」


 ボクが確認をする。


「そうだよ」


「じゃあとりあえず坂東のバス停まで行くねえ。それで、そこから先はどの辺りだろうかねえ?」


 こちらのやりとりを聞いていたパパから声がかかった。


「ええとですね、バス停を越えてすぐの角を左にですね。

 そこからはしばらく真っ直ぐで。最後はもう一度左折してすぐなんですけど。また近づいたらお伝えします」


「了解したねえ」


 車は件のバス停を越えて住宅街の中に入っていく。

 その道は見覚えのある道。


 夜なので街灯の光に所々照らされるだけの暗い道だけど、宇佐美くんと遊ぶようになってから5年間良く行き来した道。


 整然と並ぶ住宅の間を進んで、十字路を3つ越えた。次を左折すれば彼の家。


 そこでつい口に出してしまいそうになった。


「パパ、……「あ、次を左折です」」


 ボクが口を開いた瞬間、宇佐美くんの発した言葉が被さった。

 ギリギリでボクは声を飲み込む。


 危なかった。今の時点でゆうきが宇佐美くんの家の場所を知っていてはいけない。


「それで、曲がったらすぐなので」


 最後の角を左折してすぐ、速度を緩めて停止する。ドアロックの開く音。

 ボクがドアを開いて降りる。続いて宇佐美くんも。


「送っていただいて、ありがとうございました」


 助手席の開いた窓に向けて、彼が頭を下げる。


「これくらい、お安いご用だねえ」


 運転席に座ったまま、宇佐美くんに向かって返すパパの声はどことなく軽い。

 後ろのドアに手を掛けながら、ボクは彼におやすみを。


「それじゃ宇佐美くん、おやすみなさい」


「財部さんも、おやすみなさい」


 車に乗り込んでドアを閉じる。

 窓を開けてもう一度声をかけて右手を振った。彼も右手を振って、ボクを見送る。車が走り出して次の角を曲がって、すぐに宇佐美くんの姿は見えなくなった。


「やはりずいぶんとしっかりした子だねえ」


 パパが落ち着いた口調で呟いた。


「そうかな?」


「ゆうきを任せてもあれなら大丈夫だとは思うけれど、まだ二人とも高校生なんだから、そこはわきまえるようにねえ」


「う、うん」


 ルームミラー越しのパパの目は、言葉とは裏腹にいつもの柔和な表情を湛えていた。


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