第35話 高校生活リブート


 ボクは職員室の引き戸を開けて声を発した。


「失礼します。明日から復学予定の財部優樹たからべゆうきと申します。工藤先生はいらっしゃいますか?」



 するとその場にいた他の先生から声が掛かった。少し年かさで恰幅の良い男の先生……確か、大脇先生だったっけ。

 立ち上がってサンダルを突っかけながらこちらに近づいてくる。


「あー、工藤先生はまだ授業に出てるからね。こっちの談話コーナーで待っててもらえるかな? ……えーと名前は……」


 ボクの目の前に立った大脇先生の視線が、舐めるように動く。


「財部優樹です」


 その目線の動きが少し気になったけれど、ボクは平静を保って答えた。


「あー、うん。財部さんね。それじゃこっちで」


 席を指したかと思うと、スタスタと先生は自席に戻っていく。

 残されたボクは談話コーナーのパイプイスに腰掛けて、通学リュックを肩から下ろした。


 やる事もなく流れる時間。時たま大脇先生の視線がちら、ちらと届くのが分かる。

 そのせいでボクは姿勢を少し崩すこともできずにいて、だんだん辛くなってきた。それにしてもさっき名前を言ったときといい今といい、人の視線がこんなに気になるなんて。


 そのうちに一限目が終わるチャイムが鳴って、職員室にも生徒達の喧噪が届いてきた。

 続々と職員室に戻ってくる先生方、そのうちに大脇先生の声が響いた。


「工藤先生! 復学予定の生徒が来てますよ! 談話コーナー」


 結構大きく職員室中に響いた声。と同時に先生方の視線がボクに注がれる。

 それは一瞬だったけど、案外キツいものがあって。


 自意識過剰と言われるかもしれないけど、男の子時代にはこんな状況で視線を浴びることはなかったから緊張を通り越して不安感と、少しの不快感。じっと目の前のテーブルに視線を落としてその感覚に耐えていた。


「あなたが財部さんですね?」


 不意に掛けられた声をボクは座ったまま見上げる。書類封筒を抱えた工藤先生が立って、こちらを見ていた。


「あ、はい財部優樹です。よろしくおねがいします」


 ボクは中腰になって会釈する。その間に先生は向かいの席に座った。

 さっそく書類の確認が始まる。氏名生年月日といった基本情報から、間違いがないかのチェック。もちろんそんな間違いはなくて坦々と作業が進む。

 ボクからは学生証などに使う顔写真の提出をする。学生証は明日にはできあがるので、登校してきた時事務室へ取りに行くように指示された。


 確認作業が終わって、次は伝達事項が先生から伝えられる。


「財部さんのクラスは一年四組。出席番号は13番です。教室の席は明日、朝のホームルームの時に指示する事になるので、遅刻しないように気をつけて下さいね。

 それから明日朝なんですが、直接教室に行かずにホームルームが始まる前、職員室に立ち寄って下さい。ただその時間、朝の職員会議中なので職員室に立ち入ることはできません。廊下で待機するようにお願いします」


「わかりました」



§



 二限目の授業が始まって再び静かになった廊下を工藤先生と並んで歩く。一年四組教室の場所と昇降口下足入れの確認のため歩く。


 特に会話はないけれど、追われるように歩いた先々週とは全然違う雰囲気。校舎の勝手を知っているだけに、どうかすると先生を追い越して歩いてしまいそうになるけれど、なんとかごまかしつつ先生の少し後を付いていく。


「ここが一年四組の教室ですね」


 以前と変わらない場所にその教室はあった。中からは授業を行う先生の声がする。今はなんの授業だろうか。

 宇佐美うさみ君も他のクラスメイトもこの戸の向こうで今授業を受けていると思うと、少し感じるものがある。




「……財部さん? 次に行きますが、大丈夫?」


 ちょっと教室に意識を向けすぎていた。


「す、すいません。ちょっとぼーっとしちゃって」


 ボクは小声で先生に謝って、そして再び付いていく。

 ボクがあの日追い出された昇降口。


「一年四組はこの下足箱です。財部さんはここ」


 先生が指差した先にはボクの名札が付いた何も入っていない下足箱。

 来客玄関から持ってきていたスニーカーをその中に入れた。


 その様子を黙って見ていた先生が出し抜けに言った。


「その、変な話なんだが。君と以前どこかで会っただろうか?」


「え?」


 予想外の一言に、ボクはその場でフリーズした。


 確かに先々週、ここでボクと先生は一緒にいたけれど、それを正直に言えるはずもなくて。しかもあの時ボクは男の子の姿で、同一人物には見えないだろうし。

 いいえ、と答えようと思った矢先。


「そんなはずはないよなあ。いや、すまない変なことを言って」


 少し焦ったような先生の声。それに続けて言葉が続く。


「よし。それじゃ今日はこれでおしまいです。明日の朝、職員室前でお会いしましょう。お疲れさまでした」


 急にやってきた場面転換に、ボクはちょっと後れを取って。


「あ、はい。お疲れさまでした」


 そう答えて頭を下げるのが精一杯だった。

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