第9話 この世界でひとつだけの場所


「うん、優樹、だよ?」


 抱きしめられた肩越しに聞こえた母さんの問いに、短く答えることしかできなかった。


 ボクにも信じられなかった。

 学校でのできごとから考えれば、ボクはここにも存在していないはずなのに。


 でも母さんはボクの存在を認識してる。少し違うところもあるけれど。でも、この様子だとどうやらボクは今ここにいても大丈夫らしい。



 母さんがボクを家に招き入れた。

 そのまま、居間のソファーに通される。


 ここからだとキッチンもダイニングも見える。



 居間を見渡すと、午後一度ここに来た時に感じた違和感の正体があった。


 ダイニングに近い方の隅の棚の上に、木製のケースが据えられている。

 ケースの中には小さな写真がひとつ。そして位牌。ケースの前にはおりんとお線香、そしてきれいな花を挿した一輪挿し。

 たぶんそれはお仏壇だ。誰のものかは分からないけど。


 ダイニングのテーブルには向かい合ってイスが2脚。


 あれ? 確か昨日まではイスは4脚あったし、テーブルももっと大きかったはず。


 そんな事に気づいて、頭の中は疑問符で埋まってきた。



 目の前に、グラスに注がれたサイダーが置かれた。


 そのままボクの斜め向かいのスツールに腰掛ける母さん。


 顔を向けて、母さんと目が合った。

 いつもより少し若い感じのする母さん。

 目にはうっすらと、涙? でも顔は微笑んでる。



「サイダー、飲める? ゆうきちゃん?」



 ボクはこくりと頷いて、コップを手にとって一口。

 飲み慣れた味のはずだけど、いつもより泡の刺激が強い気がしてた。


 母さんは背筋を伸ばして僕の顔に焦点を合わせたまま、少し涙声で話し始める。


「こんなに大きくなっちゃって……わざわざ会いに来てくれたんだね、ゆうきちゃん」


 その一言でボクは気がついた。『わざわざ会いに』ということは、ボクは普段ここにいない事に。じゃあ、ボクは普段どこにいるんだろう。


「母さん、ボクの事、恐くないの?」


「どうして? ゆうきちゃんはうちの子でしょ?」


 母さんは涙を浮かべた笑顔のまま、少し首をかしげる。


「でも、ボクは普段ここにいないんじゃないの? そんな子が急に現れて。普通恐い、よね?」


「どんな姿でいつ現れても、ゆうきちゃんはうちの子だから、恐いなんてことある訳ないじゃない。

 ……それに、どうしてかすぐ分かったよ。あなたが本物のゆうきちゃんだって」


 母さんはそう言うと、大粒の涙をこぼして言葉が続かない。


 涙をこぼしてうつむいてる母さんの向こう、小さなお仏壇の中の、これまた小さな写真が再び目に入る。

 目をこらすと、赤やピンクで包まれた赤ちゃんの写真。それを見て直感する。この写真の主が母さんの言うゆうきちゃんだって。



 たぶん、ゆうきちゃんは女の子で、生まれてまもなく亡くなってしまってる。



 でもボクにも小さい頃の記憶はあって、それにさっきのサイダー、あれはボクがこれまでもこの家でいつも飲んでいたサイダーと同じ。

 パラレルワールドっていう言葉が頭をよぎったけど、なんとなくそれは違うとも感じてる。


 写真の中のゆうきちゃんは、多分ボク財部優樹たからべゆうきが本来持つ運命の行き着く先の姿だ。でも、ボクはこの15年間確かに生きてきた。


 元々のゆうきちゃんがその短い一生を終える前かその瞬間かに、破壊神という存在がゆうきちゃんの生に割り込んだ。そして破壊神が割り込んだ時にこの世界は変化してしまったんだろうと思う。財部優樹が生き続けている世界というものに。


 そして今日、破壊神がボクの中からその姿を現したせいで、変化していた世界が元の姿に戻ったんだ。だからゆうきちゃんは15年前に死んでいたことになるし、当然ボク財部優樹はこの世にいない事になる。


 考えれば考えるほど複雑でよく分からなくなってしまいそうだけど、大きくは外していないと思う。


 つまりこの身体はゆうきちゃんのもの、不思議な力は破壊神ユウキのもの、そして今考えたりしているこの心は優樹のもの。

 でも、ボクがゆうきちゃんだとしても優樹だとしても、母さんはボクの母さんに違いない。



 母さんはまだうつむいたまま。

 ボクはそんな母さんにもう少し元気を出してもらいたくて、声には出さずにお願いしてみた。



(髪は黒いまま、服もそのままで、ユウキの姿にして)



 髪が伸びて、頭に重みが掛かる。胸の張りもまた出てきたけど、こちらは少しコントロールして控えめに。ユウキの胸では少々大きすぎるしね。



「……お母さん。顔、あげて?」


 母さんがボクを見て、そしてさらに驚いた顔に。


「……ゆうき、ちゃん、よね?」


「うん。すこし女の子の姿に戻してみた」


「目元がパパそっくりね。やっぱりゆうきちゃんはうちの子で間違いないね」


「……ありがとう、お母さん。そう言ってくれると嬉しい」



 二人で向かい合って、そんな話をしてたらインターホンが鳴った。


「あ、パパかな。お迎えしてくるから、ゆうきちゃんはこのままいてね」


 母さんはそう言って涙を手で軽く押さえて、玄関に出て行った。

 玄関のドアを開ける音がして、母さんが父さんに少し興奮した様子でなにか話してる。


 ボクはその間も小さなお仏壇の方を見つめて。

 そしたら父さんの声が聞こえた。


「……ゆうき、なのかい?」


 ボクはその声のした方に振り返った。

 目を見開いて驚いた顔の父さんが、母さんの前に立っていた。


 三人とも、動けなかった。

 それでも、父さんは一歩、二歩とボクの方に近づいてきて。そして目の前で床にひざまずく。


「顔を、よく見せてくれないかい」


 そう言って僕の顔に左手が伸びる。ゴツゴツした指がボクの頬をやさしくやさしくなでる。

 真正面にはいつもと変わらない父さんの顔。でもいつもより少し疲れの見える顔。


「ママそっくりだねえ」


 そう笑った顔で呟いた父さんの目にも涙が溢れてた。


 ボクは、ここに帰ってきて良かったと心から思った。

 ゆっくりと、ボクの方から父さんを抱きしめる。それはボクが優樹からゆうきちゃんに戻った瞬間。


「お父さん、会いたかった」

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