第25話 対話

 ラスラとイオがソライモムシのフードをむしり取ると、そこにあらわになった鱗のない肌にまた広場中がざわめきに包まれた。あれは戒めの民? 本物か? まさか本当にトハーンに攻め入ったのか…。


「ラスラ……なんで……」


 シュトシュノが泣き笑いのような顔をしていた。

 ラスラは足元に転がった小瓶のかけらを蹴って、シュトシュノに向き直った。


「シュノを止めたかったんだ。こんなくだらないことに命を懸けるなんて、バカげてる」

「これはおれたちの自由のための戦いだ。君たちには関係がないことなんだ。なのにどうして……」

「関係がない?」


 それはないだろ、とラスラはひどく傷付いた顔をした。


「友達の未来がかかってんだぞ。関係ないわけがないだろ!」


 一方で、イオは一歩王に近付いた。

 途端に王を守ろうと槍が輪をせばめる。が、戒めの民とあってどこか皆逃げ腰だ。

 不思議と〈瞳〉が青く光っている間はヌイの影響を受けなかった。まるで二人の少年が今日この時まさにこの場に立てるように、と星の主が用意したかのようだ。

 イオは〈瞳〉と同じ青い目を王にまっすぐ向ける。

 そして広場にいるトカゲの長全員に聞こえるよう、はっきりと声を張り上げる。


「我々二人は世界の果てより星の主よりここトハーンにつかわされました。争いのためではありません。同じ大地に生きる勇敢なる隣人と言葉を交わすためです。だからこそ、トハーンの王。あなたに問いたい。なぜ我らに刃を向けるのか」


 戦う意志はない。

 おそらくはトカゲの長たちにとっては突飛なその内容に、また広場のざわめきが大きくなった。

 もう一発弓を引こうか、とラスラはかまえかけたが必要なかった。

 王が叫んだからだ。


「争いのためではない、だと! ウソを申すな! ならばきさまの手の中にあるものはなんだ!」


 イオの手の中の〈瞳〉を指してわめき散らす。


「きさまらはかつての栄光を奪い取りに来たのだろう! しょせんきさまらの本性はあさましい戒めの民よ! この地が戒めの民のものであったのは昔、今やトハーンは余のものよ! 戒めの民なぞには渡さぬ!」


 イオは〈瞳〉を見下ろして、一瞬黙した。

 手の中で光っているそれを王に差し出す。


「確かに。これはもともとここにあったものです。かつては戒めの民のものでも、今はあなたたちのものだ。勝手に持ち出してすいませんでした」

「おい、イオ!」


 あわてたように止めようとしたラスラに、イオはかすかに笑って見せた。

 ずい、と鼻先に突き出された青い珠玉に、王はたじろいだ。

 シュシュっと迷うように空気が漏れる。


「どうしました。受け取ってください。これはあなた方のものだ」

「な、な、何を企んでいる!」


 恐怖にゆがんだ王が二、三歩よろめいて後ずさった。

 かすかにイオは首をかしげた。


「何を、とは?」

「とぼけるな! きさまらは悪知恵のきく戒めの民なのだろう! 余をだまそうとしているに、決まっている!」


 そうだ。だまされるものか。

 ぶつぶつつぶやく王の姿に、ラスラは呆れた。


「どれだけ疑うんだよ。なんにも罠なんてしかけちゃいないさ」


 渡し手のない〈瞳〉を引っ込め、イオはしばし考え込んだ。

 やがていいことを思い付いた、とばかりにきらりと青い目を輝かせる。


「では、一つゲームを提案しましょう。トカゲの王。あなたの疑念を晴らすためのゲームです」


 イオはゆったりと広場中を見渡した。

 全員の注意がこちらに向いているのを確認し、満足げにうなずく。


「あなたご自身の口から、私に質問をしてください。いくつでも、どんなことでもかまいません。戒めの民の知恵について、我々の村について、納得できるまでお好きにお尋ねください。王の問いに、偽りなき真実においてお答えすると今ここで誓います。私の答えがあなたを十分に満足させられるものであれば、今後一切戒めの民に刃を向けないと約束していただきたい」

「嘘をつくかもしれん!」


 王はあざけり笑ったが、


「もちろん。ですから、私の答えに満足できなければ、私の首をどうぞ御身に差し上げましょう。私をそこの首吊り台にかけてください」

「ちょ……何考えてんだよ!」


 これに泡を食ったのは王や周りのトカゲの長ばかりではない。

 ラスラも正気とは思えないこの提案をやめさせようとしたが、イオは絶対に取り消そうとはしなかった。


「軽い言葉に信頼する人はいない。真実には相応の重みが必要だよ」


 しごく真面目にイオは言った。


「信頼を得るためには簡単な説得じゃだめだ。ぼくは、真実に命をかける」

「イオ……」


 固い覚悟に、ラスラは何も言えなくなった。

 イオはラスラの手に〈瞳〉を持たせた。


「どうやら受け取ってはくれないようだから、ラスラが預かっていて。ぼくが結界の中に入ってしまわないよう、少し離れていてくれ」

「でも」


 何かを言いかけたラスラに、イオは小さく何かを耳打ちした。

 ラスラは目を見開いた。固い顔をして、確かにイオに向かってうなずいてみせる。

〈瞳〉を手にラスラが数歩下がるのを確認して、イオは王に向き直った。


「さあ、これで私を守るものは何もない」


 空っぽの手を広げて見せた。まるで旧知の友を迎え入れるように。

 王は目の前のちっぽけな戒めの民の言葉を噛みしめた。なるほど。こちらをはめようとしているという疑念は晴れないが、少なくとも悪い条件じゃない。何より、戒めの民の情報を聞き出せるのはとても貴重な機会ではないか?

 内心王はほくそ笑んだ。この戒めの民はずいぶん若いと見える。彼はこう付け加えるべきだった。こちらが満足すれば自分を無事に帰すように、と。首吊り台なら刃ではないから問題ない。真実を言おうが嘘を言おうがかまわない、情報を聞けるだけ聞き出してとっとと処刑台に送ってしまえばいい。約束など知ったことか。

 王は鷹揚にうなずいた。


「よかろう。そなたのゲームとやらに乗ってやる」


 その代わり、と王は指先で周囲の兵を動かした。

 またたく間にイオを囲んだ兵たちが長い槍を彼に向けた。刃先がイオの首筋にぴたりとあてがわれる。見ていたラスラが悲鳴を上げた。


「もし妙な行動をしたらすぐさま首をかき切る。後ろの小僧もだ。自分たちの立場を忘れるな」

「ひ、ひきょうだぞ!」


 ラスラは気が付いたのだろう。こいつは自分たちを生きて帰すつもりはない。

 しかしイオは肌に当たる冷たい感触に、ふっと短くため息をついただけだった。


「どうぞ、始めましょう」


 落ち着きを払って告げる。

 王は突然不安になる。有利なのは自分の方のはずだ。首根っこは押さえた。だというのに、まるでこの戒めの民は恐れの一つも見せない。それを虚勢だと王はむりやり納得させた。戒めの民の命の柱に触れることさえ拒んだ王には、少年がまさかツァーリに恐怖を凍らせられたとは思いもしなかったのだ。

 王はさっそく質問を始めた。


「村と言ったな。きさまらの住処はどこにある」

「〈放浪の山〉に乗って東へ五日ばかり。馬でも同じくらいかかるはずです」


 それを聞いた若者たちがざわめいた。王も仰天した。まさか得体の知れない危険な隣人が、こんなに近くにいたとは!


「知らなくても無理はないでしょう。私たちはこれまで外との繋がりを絶ってきましたから」


 イオが付け加えると、まだ鱗の色が定まらない内に王が震える口を開いた。


「住人の人数は?」


 戦となれば兵の数が物を言う。

 先の戦いを見すえたこの問いも、小さな戒めの民の口によって度肝を抜かれる。


「二百に満たないでしょう。ユジーンの弟か妹が無事生まれていれば、百七十八人のはずです」


 また広場がざわめいた。この広場だけでトカゲの長は五百はいる。

 動揺した王が叫んだ。


「嘘を申すな! 我らをたぶらかすつもりか!」

「初めに誓ったはずです。私は嘘をつかない」


 まっすぐ王を見つめたイオの瞳に揺らぎはなかった。


「質問はそれだけですか?」


 いっそ挑戦的な彼の言葉に、王は躍起になった。なんとしてでも戒めの民を、野蛮で危険な思想を持った自分の敵にしたいようだった。戒めの民の使う武器は何か? 戒めの民を統べる王は誰だ(彼はトハーンのように王政だと思っていたのだ)? 戒めの民の知恵はどんなものか? トハーンのような町を築いているのか?


「私たちはもはや、このような巨大な都市を作るほどの力を持ってはいません」


 イオは両手を広げた。


「〈天の大木〉のような巨大なやぐらをどうやって作ったのか、私にも検討などつきません。村の本で、かつて戒めの民は家一つ分の柱を持ち上げる様なからくりを使っていたという話を聞いたことはあります。それはどうやら、人間の手で作り上げた雷をエネルギーにして動いていたとか」

「なんと、雷だと……」

「ただし、雷を作り上げるにも大きなからくりが必要だったようです。少なくとも、今の私たちには実現できようもない技術です」


 他にもイオは語り部アレフから聞いた話や村に残っているわずかな本の知識を話し続けた。戒めの民はかつて翼をなくして空を飛ぶ技術を持っていた。青い宝石のごときこの星を覆い尽くすほどの光を作っていた。泥水を山の小川のようにきれいにできたし、火打石など使わなくても指一本で火を起こせた。戒めの民がかつて築き上げ、そして今は失ってしまった知識たち。


「今の私たちの暮らしは、昔に比べたらずっと質素なものです。必要な分だけ狩りをし、木を切り、畑を耕して、ゲバや羊を育てる。それで事足りるんです。それだけで生活しているんです」


 イオは必至だった。

 トカゲの長たちに、自分たち戒めの民を知ってほしかった。それができたら、きっといがみあう理由なんてないはずだ。

 互いを知らないから、互いが敵に見えてしまうのだ。


「ゲバとはなんだ」

「長い毛におおわれた、角馬よりも一回り大きな生き物です。乳は栄養価が高く、毛で編んだ綱は弾力性に優れています」


 傍から聞いていたラスラは、王の質問が変わったのに気が付いた。


「きさまらのコートはゲバとやらの毛か」

「これはソライモムシの糸です。村にはソライモムシを飼っている小屋があって、そこで回収した糸を織り込んで服にするんです」


 褐色がかった白の布地を見せて、イオは微笑んだ。


「ソライモムシの繭は通気性があり、身にまとえば夏は涼しく冬は暖かい。中の幼虫はこれで3年もの間眠りにつき、羽化の時を待ちます」

「ソライモムシ…この辺りでは見かけぬものだ。本当に貴様らは馬で5日の距離からやって来たのか?」

「……。我々の村は、この〈瞳〉に似た結界に守られています。中の環境はトハーンとは全く違う、ツァーリなどいない潤沢な木々に覆われています。きっと生態系もこことは全く違うはずです」


 イオが初めて言い淀んだ。

 一息つき、こちらの言葉に耳を傾けている広場の者たちを見渡す。


「私たち戒めの民は、本当は貴方がたトカゲの長達に、いえ、この世界そのものに謝らなければならないんです」

「なに?」

「この地をここまで荒れさせたのは、まぎれもなく戒めの民だ。『太陽を降らせ、海を干上がらせた』我々は、償おうにも償いきれない過ちを犯した。それは紛れもない事実なんです。絶対に……絶対に忘れちゃいけない事なんです。それなのに…」


 背後にいたラスラにはイオの握る手が震えているのに気が付いた。


「……それなのに、ぼくらは忘れていた。失われたはずの自然の中で人生を謳歌していた。村を出るまで、ぼくらはその事に気付きもしなかった。トカゲの長なんて遠い伝説の存在なんだって、不思議に思いもしなかった……!」


 ラスラがトカゲの長を一目見たいなどと言い出さなければ。

 村の外に出ようなんて無茶をしなければ。


 語り部の受け継ぐ言葉は法螺話だと、根拠もなく信じきっていた。自分たちの目の届く範囲だけが世界だった。


「戒めの民は、自分たちの罪を忘れ果てた。それを思い出す機会すら今のぼくたちには、もはやない。だから戒めの民がトカゲの長に滅ぼされるのだとしても、それはきっと星の主が定めた天命なんだ」


 星の主、という言葉に王はハッとした。

 王の目は初めて背後の〈天の大木〉を見上げる。

 空を割く塔は変わらず沈黙している。


「だけど……もし我々がここに来た事が星の主の意志なら、償いの余地はまだあるのかも知れない」


 伏せられたイオの目は真っ直ぐに王を見据えた。

 視線を戻した王は、なんと美しい瞳かと思った。円を描くそれは背後の少年が抱えた〈瞳〉そのままではないか。


「トハーンの王よ。どうか、機会をお与えください。同じ大地に住む我々が、今一度歩み寄る機会を。そうして世界を知らなければ、戒めの民は前に進めないんです。貴方がたの存在は、きっとそれだけで戒めの民を夢から覚まさせる事ができる。

 もう……もうぼくたちは、仮初めの世界の中で目を背けていたくないんです」


 どうか、とイオは深く頭を下げた。

 慌ててラスラもそれに倣う。

 困惑と混乱は、広場のどよめきをゆっくりと、しかし大きく育てた。


 トハーンの王に、戒めの民が嘆願する。


 この光景はトカゲの長の目に強く焼きついた。

 当時の絵はあるトカゲの長により後日捨て町の壁に描きなぐられ、戒めの民との数百年ぶりの邂逅の象徴として後の世に保存される事になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チェルカトローヴァ 駄文職人 @dabun17

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ