第21話 二本の矢

 石の町トハーンの中心にそびえる〈天の大木〉は戒めの民の知恵の象徴であった。

 と同時に、トカゲの長たちの間でも位の高い者ならだれでも、その圧倒的な存在感の恩恵にあずかろうとした。王もその例外ではなく、〈天の大木〉は自らの城だとばかりに警備隊を並べ、王の許可証を持たない者を一人たりとも中に入れようとはしなかった。


 王を支持する議員たちは〈天の大木〉を囲うようにそばに寄り添って住まいを決めた。したがってトハーンの政の中心は〈天の大木〉に定められた。

 そうした事情があるから、徴兵の令を受けた若者たちはみな、ひときわ高くそびえるそのやぐらを、列をなして目指した。この辺りの土地に明るくない者も、道を失うということはまずなかった。


 そしてそれは、闇にまぎれてひた走る戒めの民たちにとっても同じことである。彼らは大通りを避けてわざわざトカゲの長たちのいない道を選んだが、その足取りは決して迷うことなく〈天の大木〉へ向かっていた。


 建物の影からちらちらと見えるトカゲの長の行列は、なんだか兵士というより葬列のようだとイオは思った。みな心なしうなだれ、昼間のような覇気がまるでない。生気をツァーリに根こそぎ奪われてしまった後なのではないかと疑うほどだった。

 はなれて見えた〈天の大木〉ももはや目前だ。空の白む明かりを受けて、鉄の大樹はきらきらかがやいている。


「これ以上裏道は使えないな」


 何度か細道を曲がった後、ラスラは〈月のしずく〉を止めて苦々しく言った。


「大通りを通らなきゃ〈天の大木〉に辿り着けないんだ。あの人ごみをかき分けないと」

「シュノはもう〈天の大木〉に着いてしまったのかな?」


 町全体をつつむ暗い空気に気付いてだろう。そわそわする〈ぬれ羽〉をなだめながらイオはラスラの隣に来た。

 ラスラの目がかがやく。


「そっか! シュノは足を怪我している。もしかしたらまだこの列の中にいるかも」

「いや。シュノの目的は王だ。ということは、誰よりも前に行きたがるはず。だとすると……」


 イオは地面を見た。


「シュノは地下の道を通ったのかも。近道があるのかは知らないけれど、この人ごみにもまれて行くよりずっと早く着くはず。警備も場所によっては手薄だって言ってたし。地下は町のいたるところに空いているんだろう?」

「どうしてトハーンが地面に沈まないのか不思議になるくらいね。あぁ、もう!やっぱり大通りを突っ切らなきゃいけないってことか」

「腹をくくらなきゃならないみたいだね」


 深呼吸をくり返すラスラに、イオはおどける。

 むっとラスラは顔をしかめた。


「今だけイオがうらやましいよ。怖くないんだろ?」

「良いことかどうかは置いといてね。なんだよ。怖いのかい、ラスラ?いつもあれだけぼくを臆病なんて言っておいて」

「怖くなんか…っ」


 むきになってラスラは言い返そうとしたが、ふと口をつぐんだ。


「……怖いよ」


 ぼそりと告げられた本音に、イオは目を丸くする。


「この町のみんなは、おれたち戒めの民を根絶やしにしようとしているんだ。そんな中に飛び込むんだぞ。やっぱり、怖い」

「ラスラ……」

「怖いってことは、危機感があるってことだろ?いつもはイオがそれを担当してくれてた。それで今までは乗り切ってきたじゃないか。でも、今のイオはそれができないんだ。だから、おれも今までみたいに強がってられないよ」

「役の交代ってことだね」


 イオは少しさみしげに笑った。


「代役たのむよ、親友」

「任せろよ。……イオも、無理すんなよな」


 二人はうなずき合い、再び馬を走らせた。

 細い道をずんずんと進み、やがて〈月のしずく〉と〈ぬれ羽〉は大通りにおどり出る。

 トカゲの長たちの反応は様々だった。驚きに叫ぶ者、苛立ちにうなる者、不思議そうに声を上げる者……しかし道行く者のほとんどは列をかき分けて猛然と駆けて行く二頭の暴れ馬にまるで興味を示さなかった。


 ラスラは鞍に自分の腹をつけるようにして〈月のしずく〉をけしかけた。〈月のしずく〉も乗り手の意志を正確にくみ取り、目の前の人垣など意に介さぬ様子でぐんぐん速度を上げる。不安定な場所でも足場を瞬時に選んで進む角馬にとって、目の前の障害はさしたる問題ではなかったのだ。

 その少し後ろをイオが駆る〈ぬれ羽〉が追う。〈ぬれ羽〉は〈月のしずく〉が作った道を正確にたどった。


 ラスラもイオもソライモムシのコートをすっかり頭までかぶっていたため、最初は列を乱す馬の乗り手が戒めの民だとは気が付かれなかった。しかし、〈ぬれ羽〉が突然前を横切ったトカゲの長に驚いてバランスを崩したのだ。

 イオは落馬こそしなかったが、〈ぬれ羽〉の手綱にしがみついた。その時にフードがうなじを流れ落ち、まばゆい金髪と白い肌があらわになってしまった。

 一瞬の沈黙の後、鋭い悲鳴が上がった。


「戒めの民だ!」


 そう叫んだのは誰だっただろう。

 場は騒然となった。すかさず周囲のトカゲの長たちが疾駆する馬を指差し金切声と怒声を上げた。

 とたんに、今まで振り返りもしなかった前を行く者たちが馬を止めようと手を伸ばし始めた。


「イオ! 速度を緩めるな!」


 前を行くラスラの鋭い声が喧騒の中にかすかに聞こえた。

 イオが顔を上げると、〈ぬれ羽〉が片方の角をぐっと下に向けて目の前に立ちふさがったトカゲの長を投げ飛ばすところだった。まるで頭が割れるまで敵に突進するゲバのようだ。

 前を行く〈月のしずく〉も首を振るい、トカゲの長を蹴散らす。

 それでも前方の壁は厚く強固になるばかりだ。

 らちが明かないと思ったのだろう。ラスラは手綱をぐいと引いた。〈月のしずく〉は了解した、と言わんばかりに、大きくいなないた。倒れ込んだトカゲの長の巨体を踏み台に、〈月のしずく〉は群衆の頭上に飛び上がったのだ。

 角馬はトカゲの長の頭や肩をその四本指でつかみ、軽やかに人垣の上を駆けた。

 それにならった〈ぬれ羽〉も雄々しい声を響かせた。伸ばされる鱗ばかりの手は、怒れる河原のハネススキのようである。二人は悪態と怒号、悲鳴の中でこの危険な川上りをした。

 もう〈天の大木〉の広場は目の前だという時、騒ぎを聞きつけた警備隊が斧とも見まごう槍をたずさえて二人の前に集まってきた。


「そこの馬、止まれ!」


 ぞくり、とイオの背筋が凍った。

 不可視の手が命の柱に触れようと迫ってくる。ヌイだ。止まれ。トマレ。暗示を貼りつけたその手は、しかしイオの命の柱に触れるやすぐに引いていった。

 視界の端で何人かの警備隊が腰を抜かすのが見えた。


「ツァーリ!」

「悪霊憑きがいるぞ!」

「悪霊憑きの戒めの民!」


 イオの目の前で、ラスラの身体がふらりと横にかしいだ。


「ラスラ!」


 あわててイオが手を伸ばすより前に、ラスラは自力で体勢を立て直した。しかし苦悶に歯を食いしばっている顔を見れば、彼が必至でヌイの暗示に抗っているのが容易に知れた。


「もうすぐだぞ! がんばれ!」


 そう叫んだイオの言葉を、ラスラは聞いただろうか。

 視界が急に開けた。大通りを抜けたのだ。

〈月のしずく〉と〈ぬれ羽〉はひときわ高く跳んだ。

 固い石畳の上に着地した二頭は、そのまままっすぐに〈天の大木〉の根元の広場に侵入する。

 おもむろにラスラが鞍にかけていた弓をかまえた。

 上下の激しい角馬の上でありながら、矢をつがえたラスラは危うげなく弦を引いた。


「アーフィ……テルドレット……ノン……」


 かすかにもれたラスラの吐息の中に、村の羊の名前が混じる。

 ひょうっと放たれた矢は、横列を組みまさに二人をはりねずみにせんとしていた弓部隊の一人の肩を、あやまたず射抜いた。

 隊列が整う前に、二人は弓隊を飛び越える。

〈天の大木〉の下は鉄骨が見え隠れする箱の建物が寄り添っていた。どうやらその建物は〈天の大木〉の中に繋がっているようだ。

 イオの目は、建物の下に洞穴のような空間があるのを見逃さなかった。


「このまま、〈天の大木〉の下へ!」


 大通りから天の大木の周辺には大きなかがり火が焚かれており、右往左往した警備隊たちが戒めの民を食い止めようと阻んでくる。

 ラスラは第二矢、三矢を警備隊の手足に打ち込んだが、あまりのめまいに四本目の矢を放てなくなった。ヌイはラスラの精神力を容赦なく削っていたのだ。

〈月のしずく〉の足元に、カッと軽い音を立てて矢が刺さる。続いて矢の雨が二人の周りに落ち始めた。トカゲの長の反撃だ。

 しかしその中の一本が直撃する前に、二人は〈天の大木〉のうろにたどり着いた。戒めの民の襲来に悲鳴を上げた女の前を横切り、二頭の角馬はついでとばかりに五、六人の警備隊を蹴散らして停止した。


「ありがとう。うまく逃げろよ」


 飛び下りたイオは〈ぬれ羽〉の頬をなでて手短に礼を言い、後ろ脚を叩いて促した。

 二頭の角馬が駆け出すのを見送り、肩で息をしているラスラを引っぱり上げて砕けたガラス戸をまたぐ。

 入ってすぐ右手に見えた階段を駆け上がる。真っ黒な板に黄のふちの階段は木でも鉄でもない、不可思議な材質でできていた。

 背後で恐ろしい雄叫び。

 ぎょっと二人が振り返ると、武器を手にしたトカゲの長たちが追いすがるところだった。


「くそ、仕方ない…」


 ラスラは背のえびらから矢を引き抜いて、手の切り傷にはわせた。

 真っ赤にぬれた矢じりをまっすぐ先頭の兵に向け、放った。目の前の的は〈月のしずく〉から狙うよりずっと楽だった。

 喉を裂かんばかりの叫びと共に、兵が後続の者を巻き込んで転げ落ちて行く。足先を狙ったのは、相手を殺さないための配慮だ。戒めの民の猛毒が、どの程度彼らに容赦するかは分からないが。

 不思議なことに、上へ目指せば上を目指すほど、中の警備は少なくなっていった。四階に行くともはや人影がないほどだった。


「これ……ひたすら上に登っていくのか?」


 ラスラが途方に暮れた顔をした。これほど高いやぐらだ、頂上に着くには数年かかるのではないだろうか。


「王はもう上にはいないのか」


 言いかけて、イオは口を閉ざした。

 背後で戒めの民を狩らんと大群が迫っている。


「どこかに隠れよう。これだけ広いんだ。やり過ごせる場所があるはず……」


 そこでイオはやっとラスラの顔色が悪いのに気が付いた。


「大丈夫かい?」

「……っだい、じょうぶ」


 まだ、と付け加える。相当ヌイがこたえているのだろう。

 イオにも何度かヌイの魔手が伸びたが、表面をなぜるだけですぐに引っ込んでしまう。まさかツァーリに憑かれたことがこんなところで役に立つとは思ってもみなかった。

 イオはラスラを引っぱって辺りに気を配り〈天の大木〉の内部へ入って行った。

 警備隊の影はない。みんなここを避けているのだろうか? がらんとした薄闇にまぎれてイオは目についた通路に入り込んだ。

 しかし、弓なりに曲がったその通路の先は行き止まりで、四つ並んだドアは分厚くノブさえなかった。


「はずれだな」

「他に隠れられそうなところは……」


 その時、遠くでかちゃかちゃと金属がすれる音が幾重にも聞こえた。

 咆哮。

 警備隊がここまでなだれ込んできたのだ。

 同時にヌイが触れたのだろう。ラスラが足をもつれさせてよろめいた。壁に手をつく。

 すると不思議なことが起きた。

 今までびくともしなかった扉の一つが一人でに開いたのだ。

 はっと息を飲み、中から誰か出てくるのかと身構えた二人は、無人の小部屋にあぜんと口を開いた。


「君、何かした?」

「まさか」


 イオが尋ねるが、ラスラは首を振る。

 迷っている暇はなかった。追手はもはやすぐそこまで来ているのだ。

 二人が小部屋に入り込むと、待っていたように扉はまたもや一人でに閉まった。

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