第22話 戒めの民の叡智
ブゥン。ツボミバチが飛び立つような音がして、小部屋に光が満ちる。
「あっ!」
イオ!とラスラが興奮した声を上げた。
天井に星が見えたのだ。
外に出たのではない。夜明けの空ではなく、満天の星の下に出たような、神秘的な光景がそこに広がっていた。まさか小部屋が別世界だなどと、だれが思うだろう?
二人はつかの間、自分たちが逃亡者であることを忘れた。
「な、なんだ?トカゲの長の怪しい力?」
ラスラのおびえすら含んだ問いに、イオは首を振った。
「ちがう。これは、戒めの民の知恵だ」
星に見えたそれは、よく見るとガラスの乱反射だと分かる。壁の上にえがかれた金の鳥は小さな客人を歓迎するように羽を広げている。
「失われた……戒めの民の力?」
「星の主の祝福さ。この町はもともと戒めの民のものだった。だからこの建物の仕組みも、もとはぼくらのご先祖のもののはずだよ」
「信じられないな。こんなの見たことないよ」
しきりに感心して天井を仰ぐラスラの横で、イオはもう興味を失って小部屋の周りを見回した。
家具も調度品もない。あるのは扉一枚だけ。壁や天井の装飾に何かしかけがあるのか? まさか侵入者を閉じ込めておくための部屋ではないだろうけど……。
その時、扉の隣に並んだ丸いレリーフがイオの目に止まった。
レリーフの内、一つだけが薄明かりに照らされて傷だらけになっているのが見える。爪の跡だ、とイオは直感した。あの長い指が引っ掻いたのだろう。
イオは傷跡をそっとなでた。そして何も起こらないので、今度は力を込めて押し込む。
ガコンッと何か歯車が外れるような音がした。
二人が息を飲む中で、部屋はキュルキュルとぜんまいを巻くような甲高い音に包まれてぐんっと揺れた。
くらりと浮遊感がきた時は、ヌイが触れたのかと思った。
ラスラが悲鳴を上げる。
「こ、この部屋! 動いてないか!」
「落ち着いてよ、ラスラ」
イオは静かに言った。
「大丈夫。この部屋のしかけだ。トカゲの長たちもこの部屋を時々使うんだ、きっと」
「どこに連れて行かれるんだ…?王のところ?」
「分からない。でも、武器の準備はしておいた方がいいかも」
ラスラは緊張した面持ちで、弓をぎゅっとにぎりしめた。
しかし二人の心配とはよそに、小部屋は数分にわたる移動の末にだれもいない広間に扉を開けた。
最初こそ警戒していたラスラも、目の前に広がった光景に息を飲んだ。
「イオ、これ!」
「すごい」
好奇心を凍らせたイオさえ、その圧倒的な景色に目を見開いた。
あれだけ大きく見えた箱の町が、まるで子どもの積み木を並べたようだった。
所せましと集められた積み木は、形や大きさがそれぞれちがって個性がある。床に散らばっていたそれを母親に掃き集められて、追いやられたのだろうか。ラスラがよじのぼるのに苦労した塀もよく見えない。
視線を遠くに移せば、町に寄り添って広がる森を見ることができる。ひときわ高い大樹はあれほど恐ろしく堂々として見えたのに、〈天の大木〉から見ればちょっと背伸びしたきのこといった具合だ。熟したナスのように紫から赤へと色を変えた空に、薄っすらと浮かぶなだらかなシルエットがはっきりと見えた。あれは山? てっぺんは雲を貫いていて見えない。高さは〈天の大木〉をはるかにしのぐのではないか!
イオはそっと歩み寄って、〈天の大木〉の骨組みをのぞきこんだ。そこから下をさえぎるものがない。ソライモムシのコートが冷たい風にさらされてバタバタとあばれた。
「〈天の大木〉の上に登ったんだ」
地面が遠すぎて、おもちゃの家をのぞきこんでいる気分だった。
そしてイオは上を見上げる。
「まだ上がある。ぼくら、途中で降ろされたみたいだね」
「この上が星の主の家?」
「さあね。少なくとも、この上を使っている気配はないけれど」
その時、二人を吹き飛ばさんとする強風がおそった。〈天の大木〉がかすかにしなる。
本当に飛ばされこそしなかったがひやりとするには充分で、ラスラはあわててイオを骨組みから引き離した。
「ここもだれもいないな。本当に王は住んでいるのか?」
「実際に暮らしているのは地下なのかもね。そっちの方が広いんだって、シュノが言ってたんだろ?」
「じゃあ登ってる場合じゃないじゃん!降りないと!」
「ちょっと待って。あっちに何か変なのが見えたんだ」
泡を食って小部屋に戻ろうとするラスラを、イオは引き止めた。
〈天の大木〉の上層は、この巨大な木を支える幹を柱として、ぐるりと円を描くように足場が組まれていた。
一体どういう構造になっているのか、外側に張り出すような造りになっているのに、二人が立つ床はびくともしない。
イオは全くためらわずに、その円にそって歩いた。柱に隠れて見えなかったそこには台座が生えており、周囲のガレキや強風をものともしていない。床と台座の間に継ぎ目が見当たらず、床が盛り上がって台座の形を作ったかのようなのだ。
二人の胸まで達しようかという台座には四本のつたを模したオブジェが延びており、つたに挟まれるようにしてこぶし大ほどの青い珠玉が乗っていた。
鉄でできた〈天の大木〉が、実をつけたのだろうか?
ラスラはナイフを抜いて、その珠玉に触れようとした。が、すぐに驚きの声を上げる。
「なんだこれ!」
刃先はどんなに押しても、珠玉に届くことはなかった。おそろしく弾力のある何かに阻まれて、逆に押し返されてしまう。刃をさえぎる透明な膜を見た時、イオの目が瞬いた。
「結界だ。大きさは全然違うけれど、村を覆ってたのと同じ」
イオは手を伸ばした。結界に触れるためだ。
しかし不思議なことに、イオの指先は鋭いナイフをも通さなかった膜をすりぬけ、珠玉に当たった。手に取ると、生まれたての小鳥のように温かい。
「この青い宝石を守るためのものなんだ。傷付けようとするものは通さない」
「村から出る時はすりぬけたのに」
ラスラはナイフが刃こぼれしていないかを確認していると、突然後ろを振り返った。
「ラスラ?」
「こっち!」
首をかしげるイオをラスラは引っ張って、台座の後ろに隠れた。
ちょうど入れ替わりで、四つ並んだ小部屋の扉の一枚が開く。二人が出てきたのと別の扉だ。がちゃがちゃと騒がしい音を立てて、よろいに身をまとったトカゲの兵たちが出てくる。
複数の足音が近付いてくるにつれて、二人は顔を見合わせて身をこわばらせた。
重なり合って聞こえた足音がぴたりと止まり、鋭い悲鳴が上がる。
「〈瞳〉がない!」
はっとラスラはイオを見た。イオは途方に暮れた顔で青の珠玉を抱えていた。戻す暇がなかったのだ。
ばさばさと衣擦れの音がして、一人のトカゲの長が台座に飛びつく。
その時、ラスラはその男の顔を見た。小さな金のかんむりを乗せた頭は横にへしゃげていて、しかし目は中心に寄っている。長い首には銀の輪がいくつもぶらさがっていた。絶望をもらす口はひくひくと開いていて、宝石の嵌められた牙が見えた。背中にはソライモムシよりももっと肌触りがよさそうな、真っ白の獣の毛皮がおおっている。
王だ、とラスラは直感で思った。
とっさに弓をかまえたラスラに、なぜか王は全く気が付かなかったようだ。ぺたぺたと台座の上を、指の間に膜を持った手でなで回し、悲壮な声を上げる。
「〈瞳〉がない!盗まれた!〈瞳〉はどこだ!」
イオがくいくい、とラスラの服のすそを引いた。
なんだ、と動かそうとした彼の口をあわててふさぐ。
「先ほど広場に戒めの民が現れたという報告を耳にしました。群集のほらかと……よもやここまで」
「なんと……!とうとう余を殺しにきたのか」
仰々しく両手を上げ、王は天空を仰いだ。
「大地を創造せし星の主よ、我を守りたまえ!貴様らも貴様らだ、なにゆえそのような大事を余に伝えぬ、このとんまめ!」
「御身の心労を少しでも軽くしたいと……卑しい私をあわれんでください、王よ!」
どうやらトカゲの長たちに二人の姿は見えていないらしい、とやっとラスラは気が付いた。それでも警備の鋭い目がこちらを向くたびに、見つかったのではないかと冷や冷やした。
イオは隣でぼんやりと彼らを観察している。きょろきょろとせわしなく青い目が動いていた。どうやってここから出るかを懸命に思案しているのだろう。
「戒めの民がとうとうトハーンを奪い返しにきたのだ!」
王はヒステリックに叫んだ。
「星の主の祝福を奪い去っていったのが証拠だ!〈天の大木〉の周りを囲め!ねずみっ子一匹逃すな!忌々しい猛毒の血を狩りとるのだ!なにをぐずぐずしている、すぐ下には即席の軍隊がいるのだぞ!余がじきじきに指揮をとる!戦争だ!」
戦争、という言葉にラスラはかっと顔が熱くなった。むちゃくちゃだ。王は理性をねずみに食われてしまったらしい。
いそいそときびすを返し、ごてごてに未につけた装飾品を重そうにして王は広間を飛び出す。呆気に取られていた警備の者もそれに付き従う。
また小部屋の分厚い扉が開いた時、ずっと様子見をしていたイオが動いた。ラスラの手をとって警備の真後ろにぴったりくっつき、小部屋の中にするりと忍び込んだのだ。
あまりに大胆な尾行に仰天してしまい、ラスラが我に返ったのは小部屋の扉が閉まった後だった。目の前にラスラの首をやすやす切り落としてしまいそうな槍が揺れている。こんなに近くにいるのに、不思議と王たちは気が付かなかった。
さいわい小部屋はトカゲの長七人と戒めの民二人を飲み込んでも余裕があった。それでも誰かにぶつかったらおしまいだ。マントの中に背を丸めた王は下に降りる間中、しきりに首切りだ、火あぶりだ、と物騒なことをぶつぶつ呟いていた。
永遠に思えた密室の時間は、扉が重々しく開くことで終わりを告げた。
さっさと出てしまう王の一団に続いて小部屋を脱出し、相変わらずうろうろとしている見張りをうまくかわして大きなガレキの影に避難すると、ようやくラスラは大きく息をついた。
「生きた心地がしなかったよ!」
声をひそめながらも、イオをにらんだ。
イオはくすくす笑うだけだ。
「でもばれなかっただろう?村の結界を抜けた後、すぐ森が見えなくなったのを思い出したんだ。こいつはただ身を守るだけじゃない。敵の目から自分を隠す力もあるんだよ」
「見つかってふくろ叩きに合うかも分かんなかったんだぞ!頼むからおれの寿命縮めるようなことしないでくれよ!」
「仕方ないだろ。王様を追いかけなきゃいけなかったんだから。あの小部屋ごとに行く場所が違うのかもしれないしさ。ところでラスラ」
「なに?」
「少しは命知らずを引き止める苦労が分かっただろ?」
「考えなしは全員縄につないでおくべきだと思う」
ラスラはぶぜんと言って、イオがまたくすくす笑った。それでずっとラスラの緊張が少しほぐれた。
イオはソライモムシのコートで、王が〈瞳〉と呼んでいた珠玉をくるんでいた。
「それ、どうするの?」
「しばらく借りたいな。警備たちがこぞって血眼になってぼくらを探してる。今見つかったら、まちがいなく八つ裂きにされるよ」
「だけど、王はかんかんだぞ。戒めの民が盗んだって」
「思うに、この結界ってヤツは星の主が戒めの民に残したおくりものなんじゃないかな」
イオは〈瞳〉の表面をなでながら、慎重に言った。
「村の結界もそうだったろ。戒めの民を、トカゲの長たちから守るためのものだった。そしてトハーンはもともと戒めの民の町だ。ぼくらのご先祖はこの町を捨てる時に、なんらかの理由で〈瞳〉を置いて行ったんだ」
「なんらかの理由ってなんだよ。それにそんなものが残っているなら、どうしてトカゲの長たちはとっととトハーンを結界でおおっちゃわなかったんだ。そしたら戒めの民の影におびえることもなかったのに」
「……使えなかったんじゃないかな」
イオはうなじの毛をくるくると指でもてあそぶ。
「うん。きっとそうだ。くわしい理由は分からないけれど、昔の戒めの民たちはこれをここに残して行っても悪用されないって分かってたんだよ。もしくは、王様や他のトカゲの長たちは、この〈瞳〉がどんな力を持っているかよく知らなかったんじゃないか。もし知っているんだったら、あの王様のことだ、肌身離さず〈瞳〉を持ち歩いているさ」
「ああ、おれもそう思う。あいつ、ひどいよな。いきなり戦争だとか根絶やしだとか」
「それだけ戒めの民におびえているんだ。王様は疑心暗鬼になってる」
そこまで言って、イオはぐるりと周囲を見渡した。
「どうやらぼくらが来たところとは別の場所に出てしまったみたいだね。王様はあっちの広場の方に向かったみたいだ」
シュトシュノはまだ王にたどりついていないようだ。止めるなら今しかない。
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