第20話 夜の訪問者
ラスラはその夜、ぱちりと目を覚ました。
理由もないのにふいに目がさえて、何かをしなければならないような焦燥感におそわれる、という感覚を誰もが経験したことがあるだろうが、この時のラスラはまさにそのような状態だった。
枕元に置いていた父のナイフをそっと引き寄せる。この奇妙な胸騒ぎを押さえられはしないだろうかと思ったのだ。
それでも落ち着かず寝返りを打った時、ラスラはそのまま凍りついた。
イオの寝ていたベッドに、月明かりに照らされて大きな影が覆いかぶさっているのが見えたのだ。影は不気味にうごめき、何かをしている。ラスラが起きたのには気が付いていないようだ。
ラスラはとっさに弓矢の位置を確認した。ベッドの足元の壁に立てかけてある。だめだ。取って矢をつがえる前に侵入者に気付かれてしまう。
手元にナイフがあることをラスラは感謝した。毛布の中で音を立てないように鞘を抜く。
だが、ラスラが跳ね起きてナイフを手に飛びかかると、侵入者は寸前で小さな狩人の姿に気が付いてしまった。
側頭部に鈍い衝撃。侵入者の長い腕に払われたのだ。
侵入者が取って返し逃げる前に、ラスラは手を伸ばし侵入者の足をつかむ。
次の瞬間、鋭い悲鳴が上がった。
「イオ、起きろ!」
足を押さえて悶絶する侵入者を見下ろし、手の平に血をにじませたラスラが叫ぶ。ナイフであらかじめ手の平に傷をつけていたのだ。
ラスラは弓を手に取り、矢を侵入者に向けたところで背後から肩に手を置かれた。
「ラスラ、やめるんだ。彼は……」
起きたイオは思ったよりしっかりとした声だった。
その時、廊下が騒がしくなった。きっと侵入者の叫び声を聞いたのだろう。やがてランプを手にしたアドリナが飛び込んできた。
「シュトシュノ!」
彼女の悲鳴を聞いた時、ラスラは今度こそ度肝を抜かれた。
なんとか立ち上がったシュトシュノは、それでも痛むようで鱗の色を赤や緑にひっきりなしに変えながら、くはっと息を吐き出した。
「なんだってこんなこと……」
呆然とするラスラは、シュトシュノの手に赤い瓶が握られているのを見た。
血だ。
ぎょっとなってイオを振り返る。イオはすぐ察して床に転がっている透明な筒を拾い上げた。
「注射器だよ。大したことない」
そう言ってぷつりと血の玉が浮かんだ白い腕を見せた。
アドリナはすぐにシュトシュノを椅子に座らせ、イオが差し出した止血用の布でラスラの血を拭き取り始めた。
「どうしてこんなことをしたの……!」
処置をしながら、アドリナの声は湿っていた。いつも強気な彼女にはひどく取り乱した様子だった。
「君も手を見せなよ。いつも無茶するんだから」
イオもラスラの手の傷を見て苦笑した。こちらは実に落ち着いて血止めのなんこうを塗り込んだ。
手早くラスラの応急処置をしたイオは、無言でうなだれているシュトシュノに向き直った。
「君の本当の目的はこれだったんだね。戒めの民の血が欲しかったんだ。だからぼくらをトハーンに招き入れたんだろう?」
「そうなのかよ、シュノ!」
ラスラはひどく傷付いた顔をした。
「いい友達になれたと思ってたのに!」
息を詰まらせたシュトシュノは、かすれた声で「すまない」と告げた。
「そんなに、王のやり方はひどいの?」
はっとシュトシュノは顔を上げた。そして微笑みさえ浮かべるイオを見て、力なく笑った。
「君にはかなわないな。いつから気が付いていた?」
「ラスラからいろいろ聞いていたからね。シュノは王に反感を持っている。だからもしかしたら、君がぼくたちを利用するつもりなんじゃないかと警戒はしていた」
「……この町は、君たちが思っている以上にすさんでいるんだ。中央の広場では連日、王に歯向かった者が首をしばられる。塀の外の捨て町にはかつて俺の家もあった。王は民をかえりみない暴君に成り果てているんだ。自分の家を捨てることを拒んだ仲間はたくさんいたが、その多くが王直属の警備隊に捕まっちまった」
シュトシュノは頭を抱えた。
「王に反対した者の中には、俺の両親もいたんだ。兵に捕らわれて、それきりだ。縛り首にあったのかも知れないが、俺は怖くて確認に行くこともできなかった」
「……許せなかったんだね?」
「王に恨みを持っているのは俺だけじゃない。反旗を翻してやろうと服従の影にひそんでいるヤツはごまんといる。俺やアドリナは、そういうレジスタンスの集まりに所属しているんだ。俺たちはみんな、いるかどうかも分からない戒めの民に対し挙兵するのを反対していた」
「だけどぼくたちがやって来た」
イオが言いつのる。
「戒めの民が自分たちを襲わないという確信と、王を殺すための手段が同時に君の目の前に現れたわけだ」
「今朝、王の遣いが俺の家に来た。夜明けにトハーン中から若者が集められる。王は戦を始める気だ。そうなったら、戒めの民も無事ではすまないかもしれない」
イオの隣でラスラが震えあがった。
「お、おれが遠征兵に会ったからか……?」
ラスラが出くわしたあの三人組は、トハーンに逃げ帰って王に報告したのだ。戒めの民がついにこの町を攻め入るだろうと。
シュトシュノは厳しい目をして小さな戒めの民に向き合った。
「利用する形になってしまって、本当にすまなかった。君たちはこのまますぐにトハーンを出ろ。〈月のしずく〉と〈ぬれ羽〉を診療所の下に連れてきている。万が一のために、君たちの村にこのことを報告するんだ」
「シュノはどうするんだ……?」
ラスラが震える声で尋ねた。
しかしシュトシュノはそれには答えず、ふらりと立ち上がって二人の少年の頭をくしゃくしゃになで回した。
「うまく逃げ切れよ、おチビさんたち。君らに会えて本当に良かった」
そして最後に、もう一度だけ小さく謝った。
◆
足の傷を思わせないほど、シュトシュノはしっかりとした足取りで去って行った。その背中はまるで屈強な戦士のようであった。
ラスラはすっかり意気消沈していた。そんな彼を見かねてアドリナが口を開く。
「本当にごめんなさい。まさか彼があそこまで思い詰めていたなんて知らなかった。……あなたたちをここに連れてきた時点で、こうなることに気付くべきだったのに」
「どうしてシュノを止めなかったの」
ラスラの代わりに、イオが尋ねた。
アドリナは目を伏せ、力なく首を振った。
「今の王を引きずり下ろしたいというのは、トハーンの民の悲願よ。まして、彼は王に家族と家を奪われている。……止められるわけがないわ」
「でも、たとえ王を殺せてもシュノは……」
イオは言いよどんだ。
アドリナがこれまで見たこともないほど悲しげな目をしていたからだ。
二人は〈月のしずく〉と〈ぬれ羽〉にまたがった。空はまだ暗く星が見えるが、東の方がやや赤みを帯びかけている。もうすぐ夜明けだ。
「道は分かるわね?」
「シュノがちゃんと教えてくれたからね。もちろん、彼が嘘を言っていなければだけど」
「シュノはあなたたちを本当に大事な友だと思っていたわ。こんな別れになって残念だけど、私もあなたたちの旅路が良きものになるよう祈っている」
アドリナがあまりに真面目な顔をして言うので、イオは可笑しくなって笑ってしまった。
「ありがとう。でも残念だけど、旅に出るのはもう少し先になりそう」
アドリナが聞き返す前に、ラスラがぱっと顔を上げた。
「行こう、イオ。ついて来るだろ?」
「全く、どうしてぼくは君の親友なんてやっているんだろうね?目的地は?」
「〈天の大木〉」
ラスラが当然のように言い放ったので、アドリナが慌てた。
「ちょっと!まさか、あなたたち……」
「もちろん、そのまさかさ」
くすっとイオが笑い、ラスラが申し訳なさそうにアドリナに向き直る。
「ごめん、アドリナ。おれ、やっぱり嫌だ。シュノに殺しなんてさせたくない」
「無茶よ!今〈天の大木〉には町中から民が集まってる!警備隊の数も増えているわ!自殺行為よ!」
「それでも、シュノは行ったんだ。自分が死ぬかもわからないのに」
ラスラの言葉に、アドリナが押し黙る。
「それに、王が気まぐれを起こしたのもおれのせいなんだ。おれがトカゲの長を一目見たいなんて言ったから。おれの姿を見た警備のヤツが戒めの民が攻めてくるなんて与太話を本当だって信じちゃった。そのせいでシュノがしばり首なんて、そんなの嫌だ。絶対後悔する」
「シュノを止めて、説得して、それからさっさと逃げ出すことにするよ。大丈夫。村には結界が張ってあるし、そう簡単に行ける場所じゃない。戦をしにきた兵士たちはきっと石の平野で立ち往生する羽目になるよ」
「それでも…!やっぱりだめよ!あなたたちが見つかったらどうするの!逃げ切れなかったら!今はあなたたちの方が危険なのよ!」
「おれ、今ほどアレフに、良いこと言ったって思ったことはないよ」
ラスラも悪戯っぽく笑って、イオと顔を見合わせた。
そして口をそろえる。
「「『空を飛ぶとんびは止まり木のことを考えない』」」
二人は同時に馬の腹を蹴った。
暗がりの町に矢のごとく二人の戒めの民が駆けていく。友のためと放たれたその二本矢が、この後のトハーンの命運を大きく左右することになる。
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