第19話 隠し事
それから三日間、ラスラとイオはブロキシュの診療所に隠れて過ごした。
たまにシュトシュノがやって来て気晴らしに散歩に連れて行ってくれたが、もっぱらの話題はどうすれば誰にもばれずにトハーンを脱出できるかだった。外に出るには正門の検問を通らねばならない。
「入ってきた時みたいに、塀をこえたら?」
ラスラが試しに言ったが、シュトシュノは首を振った。
「ここ数日で警備が厳しくなったんだよ。塀をこえるどころか近付くこともできないぐらいさ」
そこまで言って、シュトシュノはふいに声をひそめた。
「実は、北の〈祭壇岩〉の近くで戒めの民が出たってトハーン中が大騒ぎしてるんだよ。遠征部隊の一人が大けがして帰って来たらしい。君たち、心当たりない?」
そんな警備隊たちも、まさか戒めの民が王のお膝元にひそんでいるとは思わなかったらしい。騒ぎ立てる周囲をよそに、ラスラとイオの周りはとても平穏であった。時々大通りまで出たが、ソライモムシのコートを引っかぶっていれば誰も二人には気が付かなかった。
シュトシュノは二人を伴って、町はずれの広場に案内した。
「ほら、二人とも。あそこの馬屋が見えるかい?」
シュトシュノが指し示した方には、箱のような家があった。馬屋というより、農具を入れる小屋のようである。看板に薄れた文字で記された「交番」の意味を、イオは理解できずに首をひねった。
中で二本角の屈強な馬が五頭もひしめいていた。出入り口には、どこかから引っぺがしてきた鉄のパイプで組まれただけの柵がかかっており、馬にすぐに蹴破られてしまいそうである。
「さすがに警備用の馬を拝借するわけにはいかないからな。こいつらはおれの知り合いの馬だ。よくしつけされているし、とても賢い」
「すげえ!なあ、シュノ!乗ってみてもいいか?」
がまんができないようで、ラスラはその場に飛び跳ねん勢いだった。
「もちろんさ。この奥の敷地はガレキばかりで警備隊も出入りしない。乗馬の練習にはうってつけだよ」
馬を引いて黒い道を横切り、二人はだだっ広いガレキの広場に入った。
「ここの建物、ずいぶんひどく荒らされているね」
「星の主が暴れて壊したのかな?」
「まさか」
イオは否定したが、もはや建物と呼べないくらいにボロボロになった柱の名残に、いや案外そうかもしれないと思い直した。
なにせ足場の悪いガレキ広場はいい練習場になった。
ラスラが乗った馬は真っ白な毛並みで黄金の角を持っていたので〈月のしずく〉という名だった。〈月のしずく〉は好奇心旺盛で、自分の背に乗った見知らぬ生き物をしきりに気にしていたが、彼が上手に行き先を導いて好きに走らせてくれるのですぐに気に入ったようだった。
「村でも馬には乗ってたからな。手綱の引き方は叩きこまれてる。ま、ちょっとコツがいるけど」
なにせトハーンの馬は、足がひづめではなく鳥のように四つの指に分かれて地面をつかんでいるのだ。おかげで不安定な足場や岩肌の上も安定して進んでいく。ただし、村の馬より上下の運動が大きいのが玉にキズだった。イオは途中で気分が悪くなったほどだった。
ラスラが〈月のしずく〉と共に悠々とガレキの山を登っていくのを眺めながら少し休んでいたイオは、心配げに覗き込む栗毛の馬が鼻息をかけたので弱弱しく微笑んだ。
「大丈夫だよ。ごめん」
頭に突き出た漆黒の角は右の一本が半ばで折れている。名前は〈ぬれ羽〉。シュトシュノによるとまだ生まれたばかりの頃に親に踏まれて片角が折れたらしく、おかげで頭のバランスが悪くいつも首がやや左に傾いていた。
シュトシュノは他の馬にしたらどうか、と勧めてくれたが、イオはがんとして〈濡れ羽〉をゆずらなかった。
「ぼくたち、似た者同士だね」
ツァーリに憑かれて感情を凍らせてしまったイオは、あるはずのものを失った馬にどうしようもなく共感したのだ。
だけど〈ぬれ羽〉はそんなイオにおかまいなしで、鼻先を背中に押し付けてくる。
「分かった分かった。早く走りたいんだね?」
早く乗れ、とばかりにブルルルッといなないた〈ぬれ羽〉に、イオは苦笑をもらした。
初めはぎこちなかったイオも、走っている内に〈ぬれ羽〉の乗り心地に慣れて、昼にさしかかる頃にはラスラと競走できるほどになった。二人がトカゲの長顔負けに角馬を乗りこなすので、傍から見ていたシュトシュノが口笛を吹いた。
「城壁を越えるなら、地下を通った方がいい。トハーンの外へ通じている穴があるんだ。馬一頭やっと通れるほどの細道だが、おチビさんたちなら大丈夫だろう」
「地下?警備隊は地面の下は見張らないの?」
イオが不思議そうに首を傾げたら、シュトシュノは肩を揺すった。
「もちろん見張っているさ!だけどそれじゃ間に合わないぐらい地下は広いんだよ。あとで地図を描いてやるから、二人でよく頭に叩き込むんだぞ?」
「あーおれ無理!イオ任せた」
「おいおい、そんなにあっさり諦めないでよ」
早々に投げ出したラスラをシュトシュノは大口を開けて笑った。
イオは渋い顔を収め、シュトシュノを横目で見て首を傾げた。
「シュノはぼくらに何か隠してる」
ブロキシュの診療所に帰ってから、イオが固い声で告げた。
毛布のほこりを叩いていたラスラが仰天してイオを見た。
「隠してるって何をだよ?シュノはおれたちを助けてくれてるんだぞ。ツァーリに頭でもやられたのか?」
「それ、ひどくない?さすがにそこまでおかしくなってないよ。でもラスラ、君はシュノについてどれだけ知ってる?」
「色付け師だろ?それからアドリナの友達で、イオの恩人だ」
「シュノが他の場所で何しているか、とかは?」
「そんなことまで知る訳ないだろ」
ラスラは憤慨したが、イオは上の空だった。
「なんだろうな。ぼくもはっきりとは分からないんだけど、すごく引っかかるんだよ。シュノは何かを企んでるんじゃないかな?」
「おれたちを警備隊に突き出そうって?そうするならとっくにやってるさ。イオはちょっと神経質になってるんだよ」
「そっちの方がぼくらしいんだろ?」
イオはにやっと笑った。
「でも、ごめん。変なこと言った。明日は地下の道を見に行こう。それから帰るのに必要なものを集めなくちゃ。今日は早く寝よう」
ラスラはまさか、イオがつぶやいた不穏なことが現実になるとは思ってもみなかったのだ。それも、まさかあんなに早く。
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