第18話 仲直り
夜が明けてすぐ、ラスラがイオの部屋に来た。
それはそれはものすごい勢いで扉を開けた。
「外行こ」
イオはびっくりして、ベッドから身を起こす。
「どうしたの、いきなり」
「いいじゃん。行こうよ」
言い張るラスラの目は腫れぼったかった。イオはラスラの意図が分からなかった。
「だけど、ここはトカゲの長がたくさんいるんでしょ?ばれるんじゃないの」
「コート着てればばれないよ。おれだって何度も大通りに行ったもん」
それはシュトシュノと一緒だった時だろ、と言いかけてイオは口を閉じた。
代わりにソライモムシのコートを引っつかむ。しっかりフードを目深にかぶってみせた。
「これでいいの?」
ラスラは仏頂面でうなずいた。なんで怒っているんだろう。
ラスラはイオを連れて廊下へ出た。今は明け方だから診療所の中は静まりかえっている。確かにこれでは人目につかないだろう。イオは久々に歩こうとするとふらついた。頭もくらくらする。だけどラスラを心配させまいと涼しい顔を装って階段を下りた。
廊下の途中でガラス張りの部屋があった。玄関と廊下を見渡せる作りになっており、勝手に誰かが出入りできないように見張っているようだ。
二人で息をひそめてガラスの部屋をうかがう。女のトカゲの長が二人、机に突っ伏して眠っていた。そのすぐそばには空瓶。酔いつぶれていたのだ。顔を見合わせ、二人は音もなく廊下を抜けて玄関に出た。
荒野から吹き込む砂埃が舞って、視界はぼんやりくもっている。イオは朝日に照らされて浮かび上がる四角い建物群をぐるりと見渡した。
「これがトカゲの長の、町?」
「トハーンって言うんだって。こっちだ」
ラスラはイオの腕をつかんで小さな路地に入っていった。どこもかしこも妙に平らな道で、土より固いからちょっと足が痛かった。
どこまで行くのだろうと思いながら、ラスラの後を追った。ずんずんと進んでいく足取りに迷いは全くない。右に行ったり左に行ったり、時には空家と思われる建物の中を突っ切ったりした。
幸いトカゲの長とはすれ違わなかった。路地の合間から見えた広い道にみんな向かうのだろう。それでも日が高くなっていくにつれて人気が多くなった。いや、トカゲ気というのだろうか。
目的地にはまだ着かない。
「ねえ」
イオはさすがに不審に思ってラスラを呼んだ。
「ねえ、ラスラ」
「なに?」
やっとラスラが振り返る。
「これ、どこに向かってるの?」
「さあ?」
不機嫌そうで、それでいて呆れたような声。どうして今更そんなことを聞くのだろう、という様子だ。
「だ、だって、行きたい場所があるんだよね?」
「あるかも」
「なんでそんなにぼやかすの? ラスラが外に行こうって言ったじゃん」
ラスラは足を止めて、イオを見た。
そういえば昨日みたいにラスラは顔を緑色に塗っていない、ということに今頃気が付いた。戒めの民だってばれるとまずいことになるから、と外出する時にはシュトシュノが必ず塗っていたはず。
今更。本当に今更だ。
だって自分もそんなカムフラージュをしているわけがない。
イオは客観的に状況を把握し、ふと思い至る。
……これって結構危ないよね?
「あのさ、ラスラ。やっぱ戻らない?」
そういうと、ラスラは不機嫌顔をいきなり崩してくすくす笑った。
「なに?」
「よかった!やっとイオらしくなってきた」
そう言われて、イオははっとした。
そうか。ラスラはずっと待っていたのだ。イオが止めるのを。いつだってラスラの突飛な行動に待ったをかけるのはイオの役目だったから。だけどイオが止めるどころか行先さえ尋ねないので、それでラスラは不機嫌だったのだ。
「そんなにぼくは、いつものぼくじゃないかな」
ラスラは笑いを収めて真面目くさった顔になった。
「いつもイオは変だけど、いつもより変だと思う」
「ひどいなぁ」
イオは苦笑いした。
たぶん、これはいつも通りのはず。
「でもさ。おれ、謝んなきゃ」
笑いが消えた。
どうしてラスラが謝るのだろう?あれ、これって好奇心じゃないよね?さっきから質問ばっかり。ぼくってこんなに聞きたがりだったっけ?
「一番不安なの、イオなんだよな。目覚めたらトカゲの長ばっかりで、ツァーリに憑かれたとか言われて、おまけに感情が凍りついちゃったなんて言われて。おれも……すごくひどいこと言っちゃったし」
「謝らないでよ。大丈夫だよ。どうせ怖くないもん」
そう、怖くない。
不思議と今は心の中が静かだ。夢で見た海の底と同じ。
だから、ほら。笑えるよ?
「怖くなくてもさ。……悲しいでしょ?」
…………。
悲しい?
ああ、そうか。
今トカゲの長に見つかる前に戻らなきゃと思っているのは、もしラスラに何かあったら悲しいからか。
ラスラに心配かけまいとしてしまうのは、ラスラが泣きそうになるのが悲しいからか。
いつもと違うと言われて。
ぼくは悲しかったのか。
「変だなぁ」
イオは笑った。
「ぼくは自分の心がよく分からないよ」
笑った頬に涙が伝った。
ラスラにはかなわないなぁ。だって、ぼくよりもぼくのことをよく知ってるんだもの。
「ごめん、イオ。ホントにごめん」
気付いたらラスラももらい泣きをしていた。本当に涙もろいな。
空き家の影で、二人ともわんわん泣いた。昔いたずらがすぎて親に怒られて、家の外に放り出された時と同じ。
そんなに間をおかずして、シュトシュノが二人を探しに来た。二人がいないことに気が付いたアドリナがシュトシュノに頼んだらしい。彼は隠れるようにしてしゃがみこんでいたラスラとイオを見つけ、ひどく驚いていた。
「泣いてるのかい?」
「うるさいな!」
ラスラが落ちていた石をシュトシュノの足元に投げた。
隣でイオはくすくす笑っていた。二人とも目が真っ赤だ。だけどすっきりした顔をしていた。
「ごめんね、シュノ。勝手に出て行って」
顔をそむけるラスラの代わりに、イオが謝る。
「もう大丈夫なのか?」
「うん。ラスラが連れ出してくれたからね。病人を、むりやり」
「う……わ、悪かったって!」
ラスラは鼻をすすった。
二人を見ていたシュトシュノが、突然遠い目をした。
「シュノ?」
問いかけを手で制し、シュトシュノは意識を集中させる。
「アドリナがこっちに向かうそうだ」
ややあってシュトシュノがそう言った。
「ヌイって会話できるの?」
「ちゃんと波長を合わせればな。じゃなきゃ周りの会話まで聞こえて頭がおかしくなっちまう」
「それ便利だよな。おれたちもヌイを使えないかな?」
「さて。訓練すれば使えるかもな。二人とも覚悟はいいか?アドリナの小言は長いぞ?」
シュトシュノの言葉通り、アドリナは二人の顔を見るなり説教を始めた。
無防備に出歩きすぎる、そもそも病人を連れ出すとはなにごとだ、誰かに見られていたらどうするつもりだったのか。あまりの剣幕にラスラはすっかり怖気づいて小さくなってしまったが、イオはそんなラスラがおかしくてずっと笑いをかみ殺していた。しかしアドリナに気付かれたので、イオはラスラよりも多く小言をいただく羽目になった。
一応反省しているふりはしたが、イオはアドリナの形相を見ても怖いとは思わなかった。
「聞いているの、イオ!」
そう怒鳴られて、イオはアドリナに微笑んだ。
「優しいんだね、アドリナって」
「!」
「戒めの民なんかを心配してくれるんだもの。優しいよ」
ぐっとアドリナが詰まった。
シュシュシュっとシュトシュノが壁に手をついて笑い転げていた。
「イオだっけ?アドリナを黙らせるなんてやるじゃないか!」
「笑いすぎよ、シュノ!」
いらだたしげにアドリナが言うと、シュトシュノはあわてて取り繕った。
「まあいいじゃないか。二人とも見つかったんだし。おい、おチビさんたち。誰にも会ってないだろうな?」
「誰ともすれ違わなかったよ」
「そりゃよかった!さあ、早く帰るぞ。君らがトハーンを出られるように作戦を立てないと」
「馬さえ借りられたら、自分たちで帰れると思うぞ」
さっきまでしょげていたラスラが、もう調子を取り戻してひょこりと頭を上げた。
「あの森さえ迂回できたら、〈放浪の山〉の足跡を辿ることができる。こないだみたいに大雨が降らなければ迷わないさ」
「問題は馬と、イオの体力だな。アドリナ、イオはいつになったら退院できる?」
「呆れた!二人がトハーンに入ったのは一昨日のことなのよ。あと三日は休ませるべきだわ。ラスラ、あなたもよ。長旅で自分では気付かない内に疲労をためてるはず」
「おれは大丈夫だって!もっと長い期間狩りに出てたことあるもん」
ラスラは口を尖らせたが、アドリナは首を縦には振らなかった。
「だからって無理をしていい理由にはならないわ。ゆっくり休養をとって、長旅に備えなさい」
「なんだか、イオの母さんと話している気分になってきたよ」
ラスラがげんなりした顔をしたので、イオはまたふき出した。
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