第16話 天の大木

 その晩、ラスラは眠れない夜を過ごした。


 上の階に人がいないといっても堂々と歩き回るのは危険なので、ラスラはほこりの積もった倉庫の棚に自分の寝床を確保して毛布にくるまった。しかしいつ扉が開くかと思うとラスラは怖くて寝る気がおきなかった。

 見つかったら首を飛ばされるからではない。

 隣の部屋でイオの看病をしているはずのアドリナが「残念だけど……」と言いに来るのではないかと、恐ろしくて仕方がなかったのだ。ラスラは閉め切った窓の隙間から星の主に祈り続けた。


 それでもいつの間にか眠っていたのだろう。明け方にラスラは優しく揺り起こされた。

 アドリナだった。顔を見た瞬間、ラスラの眠気は一気に吹き飛んだ。


「もう大丈夫よ」


 ラスラが質問攻めをする前に、アドリナははっきりと言った。


「まだ寝ているけれど、峠は越えたわ。二人ともよくがんばったわね」


 日暮れ前から出かけていたシュトシュノは、帰って来るなり我がことのように喜んでくれた。


 ラスラはすぐにでもイオに会いたかったが、アドリナにやんわり止められた。今は絶対安静だから、そっとしておくべきだと言うのだ。


そのため、シュトシュノは一日かけて町のあちこちへラスラを気晴らしに連れて行った。

大通りに広がる市場には、見たこともない生き物や果物が並んでいた。町のところどころにある階段を下りていくと、薄暗くて果てしなく続いている迷路があった。

かがり火に照らされた道は巨大なトロッコを運ぶものなのか線路が延びており、そこから少し外れると薄明るい広間に辿り着いた。町の野菜や家畜はすべて地下で育てられていた。空気が合わないようで、地上では植物がうまく育たないのだそうだ。


「実は地上よりも地下の方が広いんだぜ」


 土の敷き詰められた地下空間で、忙しそうに飼育係が畑の間を駆け回るのを見ていたシュトシュノが言った。


「うそだろ?」

「ホントさ。城壁の外まで地下が広がってるんだ。だから地下で暮らしているヤツはけっこう多いんだよ。涼しいし快適だからな」

「おれはやだなぁ。さっきからネズミが通ってるじゃん」


広間の端をちらりと見る。なにかがよぎった気がしたのだ。


「ネズミに食べ物をかじられないの?こんな所に畑なんか作って。あっという間になくなっちゃいそうな気がするけど」

「何言ってるんだ。食べられる前に食べたらいいだろう?」


ラスラはぎょっとした。彼らがトカゲの長と呼ばれているのを忘れていた。


〈天の大木〉と呼ばれる、矢じり形の塔にも行った。とは言っても、中に入るには身体検査が必要らしくラスラは上に登ることができなかった。星の主の機嫌を損ねないための配慮だとか。

 下から見上げたそれは、本当に天を貫くようであった。〈天の大木〉とはよく言ったものだ。トカゲの長より小さな人間が建てたとはとても信じられなかった。


「そうだ、いいもん見せてやるよ」


 そう言うなり、シュトシュノはラスラに町の果てを見せてくれた。

〈天の大木〉のあるメインストリートをずっと南へ進み続けると、ラスラの目の前に唐突に城壁が立ちふさがった。


「ここの向こう。ちょっと覗いてみろよ」


石と石の間の隙間を見つけ、シュトシュノが手招きする。

覗き込んで、ラスラは驚きの声を上げた。

 目の前に広がるのは絶壁だったのだ。城壁のすぐ向こうで大地は割れ、地盤ごと沈んでいた。


「昔々、トハーンの周りは青い水で満たされていたそうな」


 シュトシュノは語り部のように言い、にやりと笑った。


「本当はこの向こうも町だったらしいけど、天変地異が起きて半分が地面に飲み込まれたんだと。そこに大量の水が流れ込んだんだ」

「それって、海ってやつ?」

「そうそう。トハーンは海に浮かぶ島だったんだよ。この絶壁はその名残ってわけ」

「海はなんでなくなったんだ?」


 尋ねると、シュトシュノは両手を挙げて首をすくめた。


「さあな。トハーンじゃあこんな伝説がある。『トカゲの民と戒めの民が争った時、トカゲの民を根絶やしにするために戒めの民は天から太陽を降らせた』」

「太陽を?そんなばかな。まだ上に浮かんでるじゃない」

「だから伝説だって言っただろ。でもそれで地上の水という水が干上がっちまったって言われてる。嘘なのか本当なのか、それは当時の人しか分からないことだよ」


 ラスラはじっと絶壁を見つめた。やっぱり、この石の世界を作ったのは人間だったのだ。だけど太陽なんてどうやって降らせたのだろう?それとも、太陽によく似たものを降らせたのだろうか。


「なあ、トカゲの長は人間を恨んでいるのか?」


 ずっとラスラの心に引っかかっていた問いだった。

 シュトシュノは少し悩んだ。


「恨んでるっていうのとは違うな。みんな怖がってるんだ。いつか戒めの民が復讐に来るんじゃないかって。この町にあるものは、みんなもとは戒めの民のものばかりだろ」


 長い腕を広げ、シュトシュノは町を示した。


「正直、おれたちにもどうやってこんな建物や地下施設を作ることができたのか、さっぱり分からないんだよ。戒めの民は本当に星の主と同じ知恵を持っていたってことを、誰も疑っていない。だからこそ怖いんだ。いつかとんでもない力を身につけて、再び戒めの民が自分たちのものを取り返しに来るんじゃないかってさ」

「そっか」


 しょんぼりとラスラは肩を落とした。

 あわててシュトシュノが付け加える。


「もちろん、戒めの民がそんなこと考えちゃいないってことは知ってるさ。ラスラのことは信じてる」

「ヌイでおれが嘘ついてないって分かるからだろ?」


 シュトシュノは口をつぐんだ。

 ラスラは息を吐いて城壁にもたれかかる。


「イオが言ったんだ。世界をこんなにしちゃったのは、人間なんじゃないかって。トカゲの長が怒ったのも分かるって。おれたちの村の周りはこことは比べ物にならないくらい緑があって、川もあって、生き物がたくさんいるんだ。おれたち人間は、きれいな自然をそのまま独占してるんだよ。自分たちがやったことを全部忘れてさ。なあシュノ、おれたちの方こそ恨まれて当然なんだ」


 今なら、村を囲う結界の意味が分かる。

 あれは身を守るための盾というだけじゃない。自分たちが破壊してしまった世界から目を背けるための境界線なのだ。戒めの民は、自分たちの過ちを忘れようとしてきた。

 復讐を恐れているのは、人間の方だった。

 いまさらアレフの話が聞きたくなった。村に代々継がれる語り部だけが、本当のことを語っていたのだ。だけど村の人は、全部ほら話だと思い込んできた。


「『箱を開けなければ中のねこの毛の色は分からない』」


 村から出て、辿り着いたのはこんな真実なんて。

 下を向いていたラスラの頭に、大きな手のひらが乗せられる。

 顔を上げると、シュトシュノがラスラの髪の毛をくしゃくしゃにした。


「海を干上がらせたのは君じゃない。君が責任に思うことはないさ。それどころかラスラは、おれたちを救ってくれるかもしれないことを教えてくれたんだ。おれはラスラに会えたことを感謝してるんだぜ」

「救う?おれが?」

「トカゲの民が戦うべきは戒めの民じゃないってことさ。君がトハーンに来なければ、おれは何も知らないまま戒めの民を根絶やしにするために戦っていたかもしれない」


 ラスラは目を見開いてシュトシュノを見返した。初めて会った時のように険しい顔をしたシュトシュノは、間近で見える〈天の大木〉をにらみつけている。


「つい十日ほど前、王からお触れが来たんだ。若い男はみんな王のお膝元に来るようにってさ。あいつは隠れている戒めの民を狩るために、兵士を集めてるんだ」


 シュトシュノは荒々しい声で王をあいつと呼んだ。


「もうすぐおれにも召集の令が下される。戦いの訓練を受けて、トハーンの周りを警備したり遠征に出たりしなくちゃいけない。王の気まぐれが終わるまでさ」

「し、シュノ!」


 シュトシュノの言葉をさえぎる。

 戒めの民を根絶やしにする?何を言っているんだ。


「そんなこと……しないよな?」


 おびえた目をするラスラに黄色い眼光を向ける。

 ぽんぽん、と軽く頭を叩いてシュトシュノは手を離した。


「安心しろよ。おれは今の職が気に入ってるんだ。どんなにネズミを積まれたって王の手先になんかなるもんか。さ、そろそろ帰ろう。アドリナが心配するぞ。あいつは普段ああだが意外と心配性なんだよ」


 そう言って、シュトシュノはさっさと歩きだした。

 一瞬、〈天の大木〉を再びにらんでいるように見えたが、ラスラにはよく分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る