第15話 ブロキシュ

「ちょっと頭を下げてくれると嬉しいな。ぶつけたいのか?」


 シュトシュノに言われて、あわてて首をすくめた。

 横開きの窓から二人は音もなく部屋に忍び込んだ。部屋は広かった。下は石とも木ともつかないつるつるした床で、中にはかたそうなベッドが三つずつ左右に並んでいる。

 イオは窓際のベッドに横たえられていた。

 ラスラが駆け寄る。身体は相変わらず冷え切って凍えているのに、額にはじっとりと汗がにじんでいる。


「すぐブロキシュを呼ぶ。ここにいてくれ」


 シュトシュノが部屋から出て行った後、ラスラは近くに転がっていた丸い椅子を引っぱって来て座った。

 イオは力なく目を閉じているだけだ。

 ラスラはソライモムシのコートをぬぎ、イオの上にかけてやる。


「なあ、イオ。変な感じだよな。おれたち、今トカゲの長の町にいるんだぜ」


 気付いたら、ラスラはイオに話しかけていた。

 もう青い目をかがやかせてうなずいてはくれないけれど、ラスラは話しかけずにはいられなかった。


「アレフはうそつきじゃなかったんだな。たぶん村を出る前のおれだったら、こんなことになるなんて思いもしなかった。最初はトカゲの長って怖い印象があったけど、シュノはいいヤツだよ。さっき会ったグドーってのも悪いヤツじゃなさそうだ。おれたち、トカゲの長について勘違いしてたのかもな」


 イオは何も答えない。

 なおもラスラは明るく言った。


「もしかしたら、星の主もどこかにいるのかな?この町は戒めの民が作ったって本当だと思う?この町の人たちはおれたち人間が町を奪い返しに来るって思い込んでるみたいなんだ。変だよな。おれたちは今の生活に満足してるのに」


 イオは何も答えない。


「そうだ。イオが動けるようになったらいろいろトハーンを探検しなくちゃだな!村に帰った時にうそつきなんて思われないように、トカゲの長が本当にいたって証拠を持ち帰らないと。村のみんなは心配してるかな?帰ったらどんな話をしようか?」


 喋りながら声が裏返りそうだった。

 必至にこらえてラスラは続ける。


「〈放浪の山〉に乗っちゃった時はどうなることかと思ったけど、思えば一番あれが楽しかったな。ああそうそう、コウモリの丸焼きはひどかった。イオ、将来コウモリだけは絶対食べないって言い張ってたもんな。でもカンジュトウはうまかった。あれ、村にいくつか持って帰ろうよ。果樹園でちょっと場所をもらってさ、種をいくつか植えて、畑を作って毎年食べられるようにして……みんなきっと驚くよな……」


 もうだめだった。

 唇が震えてうまく動かなかった。頬に涙がこぼれる。

 それでも、イオは何も答えない。


「いっしょに……帰れるよな……?」


 ずっと心の奥底に隠していた不安と恐怖が一気にあふれる。

 シュトシュノの前ではなんとか理性を保てていた。町やトカゲの長への好奇心でごまかしていた。だけど、二人っきりになるとだめだ。途端に孤独感が押し寄せる。

 ラスラは嗚咽をもらしてイオの手を握った。少しでも反応してくれないかと期待して。



「そこで何をしているの?」



 ラスラは勢いよく背後を振り返った。

 シュトシュノが出て行った扉の前で、鋭い視線を投げかけているトカゲの長がいた。背は高いがほっそりとした出で立ちで、身体に色とりどりの長い布を体に巻きつけている。青い髪は肩より上で切りそろえられていた。

 女のトカゲの長だ、とラスラは思った。


「何をしているの、と聞いているの」

「あ……」


 ラスラは立ち上がる。いたずらがばれて、大人に怒られる寸前の緊張感のようだった。


「ここは立ち入り禁止よ。張り紙があったでしょう。こんなところで遊んでいたらお母さんが心配するわ」


 弁明しようとしたが、言葉が出てこない。

 ちがう。おれたちは遊びに来たんじゃない。


「ちょっと待って。あなた…」


 彼女は目を見開いた。青い髪がさっと波打つ。ラスラはコートをぬいでしまったことを後悔した。

 悲鳴を上げられたら終わりだ。ラスラはぎゅっと目を閉じる。

 だが、その瞬間は来なかった。ラスラはその場から押しのけられ、驚いて顔を上げるとさっきの女性が厳しく目を細めてイオの顔をのぞきこんでいた。


「衰弱しているじゃないの。それに脈が不規則になってる。この子、君の友達?」


 呆然としていたラスラがこくこくうなずいた。

 女のトカゲの長の動きに無駄はなかった。イオの額に触れたり、口の中や瞳の様子を覗き込んだりして調べる。最後にシュトシュノがしたように意識を集中させ、彼女は舌打ちをする。


「森に行ったのね」


 責めるような口調だったので、ラスラはしろどもどろに言い訳した。


「あんなに危険な場所だなんて知らなかったんだ。知ってたら森を避けて通ってた」

「そうでしょうね」


 ラスラのコートをかけ直す女性を見上げ、ラスラはおそるおそる聞いた。


「あのさ…驚かないの?おれたち……」

「戒めの民だってこと?見れば分かるわ」


 あっさり言うので、ラスラはむしろ肩透かしをくらった。


「君たちがここに転がり込んだ理由は、この子を見れば分かる。それより、隣の倉庫から毛布をあるだけ持ってきてちょうだい。はやく処置しないと危険だわ」


 血の気が引いた。

 ラスラは部屋を飛び出す。隣の部屋は狭くて誇りっぽかったが、羊の毛をなめしたような毛布が山のように積んであった。涙をぬぐってうで一杯に抱えあげる。

 廊下に出たところで、ラスラはシュトシュノとぶつかりかけた。


「部屋を出る時は右と左を見んか、小僧!」


 キーキーと叫んだのはシュトシュノにおぶさられている丸々太ったトカゲの長だった。首周りの肉が垂れていて、短い尻尾は大きな体のおまけのようについている。突き出た鼻の上に角が一本生えていた。あまりに太っているので、抱えているシュトシュノはつぶれそうになっていた。


「さあさあさあ、わしの次なる患者はどこだ?もう少し骨のあるやつなんだろうな?さっきの男なんかちょっと腕の鱗が焼けただれただけで悲鳴を上げていたんだ。ちょぉっと焼けただれていただけだぞ!大の大人が情けない。小僧もそう思うだろ?思うよな!」


 恐ろしく早口でしゃべるこの男がブロキシュなのだ、とラスラは気付いた。足が一本なくて、代わりに木の棒を足にくくりつけている。すずめのようにしゃべり続ける医者に、ラスラは急に不安になった。


「先生、こっちです」


 さっきの女性が廊下に顔を出した。ラスラから毛布を受け取り、中へとうながす。

 よろよろとシュトシュノがブロキシュを連れて部屋に入ると、例によって甲高い声でブロキシュが叫んだ。


「戒めの民だ!」


 とたんに全員から静かにするようたしなめられた。

 イオを抱え上げた女性が、あの鋭い視線をシュトシュノに向ける。


「シュノだったのね。この子達を招きいれたのは」


 女性が声をひそめて憤慨した。


「何を考えているの!戒めの民をトハーンにつれてくるなんて!」


 ラスラが出してきた椅子にブロキシュを座らせ、シュトシュノは弁明した。


「仕方がないだろう。放っておくわけにもいかなかったし、他に頼るところが思いつかなかった」

「おいおいおい!シュノ、もしやお前わしに戒めの民を助けろというのか!見つかったら三人とも縛り首だぞ!」


 ブロキシュの言葉を聞いて、ラスラは肝をつぶした。自分たちを助けることで彼らにどんな迷惑がかかるかなど、考えもしなかったのだ。


「縛り首って! そうなのかシュノ!」

「王は君たち戒めの民を嫌っているわ」

「アドリナ!」


 非難するシュトシュノに、アドリナと呼ばれた女は片眉を上げた。


「隠してどうするの。いずれ知れることよ。王は戒めの民を根絶やしにすべきと考えている。だから君たちを助けでもしたら、怒りを買うことは間違いないでしょうね」


 女性は毛布を丸めて、イオの背中に置いた。身を起こす形にするが、イオの首は力なく下に垂れている。

 シュトシュノは目を細めた。


「見捨てろってのか」

「あなたこそ、自分が何をしたか分かってるの?ここまでの道で警備隊に見つかっていないとも限らないでしょう。今ここで首をしばられてもおかしくないのよ!」

「見つかってないさ。警備隊の巡回ルートは知ってる。それに途中でグドーにも会ったが、あいつはラスラの正体にも気が付かなかった」

「グドーか!あいつの目は節穴だからな!」


 ブロキシュは引きつるように笑ったが、アドリナににらまれてすぐ大人しくなった。


「君たちに迷惑をかけたのは謝る。だけど分かってくれ。おれはさっきこの子に会ったばかりだが、王が言うような恐ろしい民だとは思えないんだ。それどころか彼は、町を奪ったおれたちを戒めの民は恨んでいないっていうんだよ。王はおれたちに嘘をついたんだ」


 シュトシュノの言葉はブロキシュとアドリナを驚かせるに十分だったようだ。

 視線を交わしあい戸惑う二人に、ラスラは口を開いた。


「あの、さ」


 アドリナにじろっとにらまれ、ラスラはたじろぎそうになった。慎重に言葉を選ぶ。


「おれ、トカゲの長のこと何にもわかんないんだ。村でも、トカゲの長のことを知ってるのはアレフくらいだった。だけどこれだけは分かる。トカゲの長は人間なんかよりずっと誇り高くて強いんだって。だから、だからさ…」


 ラスラはうるみそうになるのを耐えて言った。


「イオはおれの友達なんだよ。お願い。イオを助けて。おれじゃ何にもできないよ……助けてやれないんだ……」


 頭を深く下げる。きっと親にだってこんなに懇願したことなんて一度もない。

 隣でシュトシュノも頭を下げるのが分かった。


「顔を上げぃ」


 ブロキシュがうなるように言った。

 恐る恐る頭を上げると、決まり悪そうにブロキシュがたるんだ首をなでていた。


「だれが見捨てると言うた。だれが。うちの診療所に来た以上、王のくだらん側近でも一文無しの浮浪人でも患者じゃ。戒めの民だろうと変わらん」

「!じゃあ!」

「もうアドリナが治療を始めとる」


 目を細めて横目に見るブロキシュの先で、アドリナがイオの額に手を当てていた。

 イオの頬には赤みがさしていた。


「アドリナ…」

「一刻を争う状態だったの。仕方ないでしょ」


 ほっと息を吐くシュトシュノに、アドリナがそっぽを向いた。


「だけど私じゃツァーリを追い出すことはできないわ。先生と二人がかりでなんとかできるかどうか」

「二人とも外に出ておれ。適当に空いとる部屋で休めばいい。こりゃちっと手こずりそうだからな」


 フシューっと空気の抜ける音を出して、ブロキシュは気合を入れた。


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