第13話 侵入

 石の柱は間近で見ると首が痛くなるほど高く、均等に四角い穴が開いているので〈放浪の山〉で見たフジツボに似ていると思った。

 トカゲの町トハーンの城壁はその辺りの適当に積み上げただけの粗末なもので、あちこちに隙間が空いて中が見えた。


「この裏は廃屋ばかりで人がいないんだ。誰かに見られる心配はない。さあ二つ目の問題だ。高い所は平気か?」


 そう言ってシュトシュノはイオを背負い直し、片手と両足だけで城壁を器用に登った。つかむ場所を変える時はどうするのかと見ていたら、大きな口で出っ張った岩に噛みついてあごだけで体重を支えていた。大したものだ。

 城壁のてっぺんまで上がると、シュトシュノはラスラを見下ろした。


「荷物を投げてくれ。登れるか?」


 ラスラは弓矢やシュトシュノのかごを順に投げた。そして目の前の石の積み重なりに目をやる。

 木登りはできるが岩登りはあまり経験がなかった。それにこの岩は隙間だらけだから、ちょっと押したら抜けそうだ。

 しかしここで怖気づいたと思われたら面目が立たない。ラスラは腹をくくって壁のくぼみに手をかけた。

 コツは木登りと同じだった。足がかりを見つけ、体重をどこにかけるか考えてから次のつかむ岩を探す。さいわい足を突っ込める穴はたくさんあったので、二度ほど行き詰って引き返した以外は何の問題もなく登ることができた。

 シュトシュノに手を借りて、なんとか壁の上によじ登る。


「手袋でも持ってくりゃよかった」


 真っ赤になった手を握ったり開いたりして言うラスラに、シュトシュノは笑った。


「降りる時は楽だから大丈夫さ」


 どういう意味かと問う前に、シュトシュノはイオと荷物を抱えて下に飛び下りてしまった。音もなく着地し、荷物を地面に降ろす。

 ラスラはさすがに顔色を変えた。


「無理だって! こんな高さ飛び下りたらつぶれちゃう!」

「そんなことないさ。せいぜい足をひねるくらいだ」

「あんたたちにはなんてことないかもしれないけど、おれは人間なんだぞ!」

「じゃあ受け止めてやるよ。ほら」


 シュトシュノは手を広げて見せた。

 正気の沙汰じゃない、とラスラは思った。ひょっとしてわざと落としておれを殺すつもりじゃないよな?


「わざと落として殺すつもりはないから安心してくれよ。まだ怒っているのか?」

「だから、勝手に頭の中のぞくなよ!」

「顔に出てたんだよ。早く、ぐずぐずしてると誰かに見つかっちまう!」


 言い返したいのを飲み込み、ラスラは思い切って城壁を蹴った。

 浮遊感。地面にぶつかる、と思った時、ラスラはシュトシュノの太い腕に支えられていた。シュトシュノは口の端を耳まで吊り上げた。


「いいぞ、おちびさん。トハーンへようこそ」


 トカゲの町トハーンは思ったよりほこりっぽかった。足元はやわらかい土でもごつごつした岩でもない。黒っぽくて平らな道が町の中央部に向かって伸びている。ラスラは緊張してぎゅっとフードを目深にかぶった。道をはさむようにならぶ家は二階建て以上が多く、屋根や壁の色は個性豊かだ。それでも廃屋ばかりというのは本当のようで、静まり返った町は外の荒野より寂しく思えた。


「どうしてここには誰もいないんだ? まるでさっきまでいた誰かがいきなり消えちゃったみたい」

「城壁が近いからさ。何かが侵入してきた時のために、今の王が突然ここを捨て町にするよう命じたんだ」


 暗い声でシュトシュノは吐き捨てた。ラスラは驚いた。


「シュノは反対なのか?」

「おれだけじゃない。町のみんなが全員心の中じゃ反対してる。王は町を守るためになにかをしたっていう実績がほしいだけなんだ。いきなり住処を奪われた人たちが、どれほどひもじい思いをしているかなんて考えもしていない。それに……」


 シュトシュノはためらい、ラスラに申し訳なさそうに言った。


「実は、トハーンのみんなが戒めの民を目の敵にし始めたのは、王のせいなんだ。愚かな王は自分の豊かな生活がおびやかされるのを恐れて、戒めの民がいつか町を襲うんだなんてほら話を民に広めたんだよ。でも、それを疑うほどみんな戒めの民のことを知らないから……」

「なんだよそれ! すっげぇ迷惑! じゃあ、シュノも人間は敵だと思ってるわけ?」

「王の言うことをうのみにするつもりはなかったけど、心のどこかじゃ信じちまっていたんだろうな。だって、戒めの民がこんなに小さくて口達者で、友達思いなヤツだなんて思いもしないじゃないか」


 シュトシュノはぽんぽんラスラの頭を叩いた。ラスラは顔を真っ赤にする。


「小さくては余計だろ! おれはこれから背が伸びるんだ!」

「おっと。じゃあ君は今何歳なのさ?」

「十二。イオは十三だ。こないだ誕生日だったからさ」


 身長もわずかながらイオの方が上だ。知らないうちに声変わりもさっさとすませてしまった。それに比べラスラの成長期はまだ来ないらしく、声も高いままだった。少し気にしているのだ。

 答えると、シュトシュノは大口を開けて笑った。


「なんだ、まだまだ子どもじゃないか。ちなみにおれは十八だ」


 ラスラはふてくされて足早に歩いた。


 奇妙な黒い道には白い線を組み合わせて何か文字が書いてあった。「止まれ」何かあるのかと見回したが、特に何も見当たらない。

 これは何かとラスラが聞こうと振り返ると、シュトシュノは空を仰いで胸に手を当てていた。


「なにしてんの?」

「なにって、お祈りさ。この黒い道は大昔の戒めの民が作ったものなんだけど、何か知らない? ところどころ道の交わるところでこういう『止まれ』っていう文字があってさ。きっと戒めの民はここで星の主に祈って、自分の行くべき道を聞いたんじゃないかと思うんだ」


 この黒い道を人間が作った? ラスラは信じられなかった。

 そういえば、アレフが言っていたっけ。トカゲの長は星の主から人間の言葉と文明をさずかったって。これが『ぶんめい』とかいうやつなのだろうか。ラスラは感心して地面をまじまじと見つめ、そしてシュトシュノがするように空を仰いで星の主に祈った。イオがちゃんと助かりますように。

 それから戒めの民が作ったという道をひたすら進むと、目の前にまた城壁があらわれた。しかもさっきの壁よりずっと高い。どうやら石の柱はこの向こうらしい。

 げんなりしているラスラに、シュトシュノは安心させるように言った。


「ここは抜け道を知ってるんだ。ちょっと待ってろ。ないとは思うが、誰かが来ないか見張っていてくれ」


 一度イオを背中から降ろし、シュトシュノは城壁に近付いた。ラスラは念のため赤い壁の建物の影に隠れ、周囲に気を配る。

 ぎゅっとイオの手をにぎった。爪はもう血の気が引いて青くなっている。ちゃんと息をしているのか不安になってイオの口元に手を当てると、かすかに吐息がラスラの手に触れた。


「もうちょっとだからな。がんばれ!」


 ぴくりとも動かないイオに、それでも声は届いていると信じて励ました。

 ごとり、と重い音がした。振り返ると、シュトシュノが城壁の一部の岩を慎重に抜き出しているところだった。

 シュトシュノは戻ってくると、シュシュシュとささやいた。


「ここから先は大通りだ。絶対にフードを取るなよ! ブロキシュの診療所に着くまでは立ち止まっちゃいけない。分かったか?」


 ラスラが強くうなずくのを確認し、シュトシュノはイオのフードをしっかりとかぶせてやって背負い直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る