第1幕 最終話

 去りゆく四月を惜しみながら。

 白薔薇宮の奥、森の花園に吹く風は、優しかった。


「……私、少しは変われたかな?」


 木陰に背を預け、膝上には読み掛けの書を乗せて。

 その顔には少しだけ、誇らしい表情。

 元老院の大人達に立ち向かい、勇気を胸にぶつかって。

 昨日までより少しだけ、自分を好きになれる気がした。


 と、


「ふふ、見つけましたわ、殿下♪」


 横から急に、ロザリアが抱きついてくる。


「わわ、いきなり何よ。心臓に悪いじゃない!」


「だって、十日近くも離れてたのですよ。はあ、殿下成分を補給です♪」


 匂いを嗅いで、頬擦りして。綺麗な顔の侍女は、心底幸せそう。


 ……それを見てると、大聖堂のあの光景が幻影だったよう。

 でも、あの眩しさは。二度と消せないくらい、ミアリスの魂に焼き付いている。


 しかし、先にロザリアの方から、


「……殿下、ありがとうございます」


 感謝を告げられた。ぎゅっと、抱き締める腕に力が込められる。


「……ばか。お礼を言うのは、私の方なんだからね」


 温もりにどぎまぎしながら、小さく呟く。

 恥ずかしくて、ロザリアの顔を見ては言えないけれど。


(……憧れたの)


 大人へ、理不尽へ立ち向かう姿に。

 だから、


「私が、ロザリアを助けたかったの。それだけ」


「……あら?」


 ロザリアは、何かに気付いたように、小首を傾げる。


「何よ」


「……殿下、今、私のこと」


 こんなに嬉しいことは無い、という表情で。


「ロザリアって。初めて名前で呼んで下さいましたね」


 はにかみながら、微笑んだ。


「ば、ばかばかばか。べ、別に、深い意味なんて、これっぽっちも無いんだから!」


 それだけのことが、心を許した証のようで。

 顔から火を吹きそうに、頬が熱くなる。


「ふふ、でも私は嬉しいです。だって、殿下が大好きですから」


「な、ななな何を言い出すのよ。変な冗談は、やめてってば!?」


「あら。殿下は私がお嫌いですの?」


 小悪魔のような、眼を笑わせながらの問い掛けに。


 昨日より、少しだけ素直な私は。


「き、嫌いじゃない、です」


 真っ赤な顔で、勇気を出して答えた。


「ふふ……♪」


 よしよしと頭を撫でられたのが、子供扱いみたいで、ミアリスは膨れてみせるのだった。


 ※ ※ ※


「……殿下、これからも末永くお仕えしますね」


「何よ、急に」


 帰り道、薔薇のトンネルで。


「殿下は、素敵です。勇気があって、気高くて。私の理想のお姫様なんです」


「……ばか」


 それは、私の台詞なのに。貴女が、私の憧れなのに。


「ふふ、それでですね」


 もじもじしながら、ロザリアは。


「……主従のちぎりを、交わしたいなって」


「契りって、な、なななな、何をするつもり!?」


 嘘、ほんとは分かってる。ロザリアの紫の瞳が語ってる。


「殿下と、キスがしたいです♪」


「あ、貴女ねぇっ!?」


 ……何てストレート。

 結局それがしたいだけなのかとか、色々思ったのだけど。


 昨日より素直な私は、胸の高鳴りに。唇の誘惑に、従おうと思うのだった。


 ……ちょっと悔しくて、


「い、いいわよ。やれるものなら、やってみなさいよ! その代わり、ずっと! 一生! 尽くしてもらうんだからね!?」


 そんな命令も、笑顔で受け止められた。


「はい、喜んで」


 両手の指を、繋ぎ合う。近付く、優しい薫り。


「私、ロザリア・オルベインは誓います。貴女に仕えると。貴女の翼となって、嵐の空も共に越えてゆくと」


「……んっ」


 春風と、薔薇の薫りに包まれて。

 唇は重なった。


 吐息を交わし、舌を絡ませ。

 主従の誓いは、甘いキス。


 さあ、混じり合う魂に約束を。これより二人は、時代の波涛はとうも、暗闇の夜も、互いに手を携え越えていくと。


 リィィン、ゴーン、リィィン、ゴーンと。

 二人出会ったあの日のように。そよ風に乗って、祝福の鐘が聴こえてきた。


 後の「純潔皇帝イノセント・エンプレス」、王たる少女ミアリス・ラ・アルフェリス。

 その最初の臣下、ロザリア・オルベインによって、姫君の心の扉は、開かれ始めた。

 今はまだ、彼女自身にも気付けない小さな変化。


 ……それでも。この胸の中の小さな革命は、いつかきっと、帝国の運命、世界の運命さえも変えていく。


 -第一幕 END-

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