伯爵家令嬢ロザリア・オルベイン16歳。皇女の専属侍女となって最初の夜は。

 ……牢屋の中で過ごすことになった。


 とはいえ、仮にも貴族の娘。

 犯罪者を入れるような地下牢などではなく、寝室の窓に格子をはめた程度の、貴族用のそれではあるが。


「……眠れませんわ」


 牢とは言っても、簡素ながらベッドもある。寝心地にうるさい質ではないので、眠れぬ理由はそこではなく。

 更に言えば、今後の心配もしてない。


 明日には出すよう掛け合うと、衛兵や役人達も言っていた。

 彼等はロザリアの無実を信じ切っているのだ。

 ……女の子が、女の子にキスしたくなるほど恋い焦がれるなんて。

 そんな感情が存在することさえ知らないのだから。


(本当は、無実ではないのだけど)


 自分のアブノーマルな性向を、今のところ皇女殿下以外は、想像さえしてないだろう。


 むしろ客観的には、想像するのも困難だった。

 ロザリア自身に自覚は薄いが、彼女もまた道を歩けば多くの人が振り返る美少女だ。

 同年代の中では少し高めの身長、すらりとしたスタイル。

 腰まで伸びた栗色の髪に、知性溢れる紫水晶アメジストの瞳。

 ……本人としては、全ての部分が一回り二回り小さい方が、好みにぴったりなのだが。


「ミアリス殿下……。あんな可愛い方がいるなんて」


 そう、これが眠れない理由。


 ふわふわの髪。柔らかそうな薔薇色の唇。

 今まで出会ったこともない可憐さに、一目見た時から、胸の疼きが止まらなくて。


 薄い毛布を姫君に見立て、ぎゅっと、本物なら折れてしまうぐらいに抱擁。

 頬を、身体を擦り寄せる。


「だ、だめっ、こんなの、いけない……っ!」


 胸の奥深く、秘めたはずの情欲をずぶずぶと掻き乱され、ロザリアは少し泣いてしまった。


(……きっとまた、気持ち悪いって)


 そう思われてしまう。


 気持ち悪い、気持ち悪いと。故郷で幾度も囁かれてきた陰口。

 こんなにも女の子にどきどきする自分は、異常なのだろうかと。それを克服する為に学問へ励んできたはずなのに。


 やがてその学識を買われ、皇女の専属侍女に選ばれたと思えば、この有り様。


「でも、もしあの可愛い殿下が、笑ってくれたら」


 きっと、すっごく愛らしくて。自分は命も捧げるほどに愛してしまうだろう。

 それこそ、世界を敵に回しても。この世の因果をねじ曲げようとも。


「この想いは、抱くことさえ罪深いのですか?」


 眠れない夜、質素な寝台の上で。ロザリアは、自らを試すような神に、問い掛けるのだった。


※ ※ ※


 同じ夜、白薔薇宮の翼棟、皇女の寝室にて。


「……眠れないわ」


 皇女ミアリス・ラ・アルフェリスもまた、ベッドの上で冴えた目に戸惑っていた。

 こちらは皇族らしく、天蓋てんがいにカーテン付き、名工による彫刻まで施された寝台。

 枕も、羽毛の布団もふかふかだが、寝心地にうるさい質たちの姫君には、これでも不服だったり。


 それにしても、今日は。


「……いったい何だったのよ、あのメイド」


 まあ、明日には許してあげようと思うけど。

 つい、牢屋へぶち込んでしまった。


「だ、だって、私の唇を……」


 奪おうとするなんて。

 男だったら、帝国の法に照らしても不敬罪、断頭台送りだ。


(……でも、綺麗な人だったな)


 薔薇色の唇を思い出し、ミアリスは一人、かあっと赤くなる。


 実は、新たな専属侍女の事は、ほんのちょっぴり楽しみにしていた。

 彼女も尊敬する学者や思想家達が、口々に讃える帝国一の才媛。

 貴族の矜持きょうじを備えた、才色兼備の美少女。


 それが、ミアリスの聞かされていたロザリア・オルベインの印象。


「それが、あんな……へ、変態だったなんて!」


 でも、あの綺麗な顔。もし、また迫られたら?

 匂い立つような、上品な雰囲気。小さな雌豹のように、悪戯っぽく煌めいていた、紫の瞳。


 こんなお姉さまに甘えてみたいとか、ちょっとだけ思ってみたりして。


 布団を侍女に見立て、本物なら傷付けてしまうほどに、ぎゅっと抱擁。

 頬を、身体を擦り寄せる。


「だ、だめっ、こんなの、不潔よ……!」


 胸の奥深く、妖しく疼きだす炎。未知の火照りに戸惑い、布団を払って手足をばたばた。


「そう、不潔、不潔なんだからぁっ!」


(このままでは、お母様みたいになってしまう)


 ミアリスの頬に一筋の涙。

 亡き母は平民出身、それも貧民窟から拾われてきて、宮廷の侍女となった人。

 先の皇妃を亡くし、気落ちする父ウェルナー帝を支えるうち恋に墜ち、自分を身籠ったと言う。


 そんな母が宮廷の人々から、嫉妬と蔑みを込めて元娼婦と噂されていたのを知ったのは、自分を遺し、両親共に世を去った後のことだった。


 「娼婦の娘」。事実であったのかは後世に至っても謎のままだが、ミアリス・ラ・アルフェリスに生涯付いて回る言葉。

 この時の彼女には、愛していた母を憎悪させてしまう、呪われた言葉。


 そんな汚らわしい血が、この身に流れているなんて。


「嫌、不潔なのは、嫌なんだからぁ……」


 ロザリアの吐息を思い出してしまい。

 目覚め始めたときめきに、独り眠れぬ夜を震えるのだった。

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