Ⅲ
伯爵家令嬢ロザリア・オルベイン16歳。皇女の専属侍女となって最初の夜は。
……牢屋の中で過ごすことになった。
とはいえ、仮にも貴族の娘。
犯罪者を入れるような地下牢などではなく、寝室の窓に格子をはめた程度の、貴族用のそれではあるが。
「……眠れませんわ」
牢とは言っても、簡素ながらベッドもある。寝心地にうるさい質ではないので、眠れぬ理由はそこではなく。
更に言えば、今後の心配もしてない。
明日には出すよう掛け合うと、衛兵や役人達も言っていた。
彼等はロザリアの無実を信じ切っているのだ。
……女の子が、女の子にキスしたくなるほど恋い焦がれるなんて。
そんな感情が存在することさえ知らないのだから。
(本当は、無実ではないのだけど)
自分のアブノーマルな性向を、今のところ皇女殿下以外は、想像さえしてないだろう。
むしろ客観的には、想像するのも困難だった。
ロザリア自身に自覚は薄いが、彼女もまた道を歩けば多くの人が振り返る美少女だ。
同年代の中では少し高めの身長、すらりとしたスタイル。
腰まで伸びた栗色の髪に、知性溢れる
……本人としては、全ての部分が一回り二回り小さい方が、好みにぴったりなのだが。
「ミアリス殿下……。あんな可愛い方がいるなんて」
そう、これが眠れない理由。
ふわふわの髪。柔らかそうな薔薇色の唇。
今まで出会ったこともない可憐さに、一目見た時から、胸の疼きが止まらなくて。
薄い毛布を姫君に見立て、ぎゅっと、本物なら折れてしまうぐらいに抱擁。
頬を、身体を擦り寄せる。
「だ、だめっ、こんなの、いけない……っ!」
胸の奥深く、秘めたはずの情欲をずぶずぶと掻き乱され、ロザリアは少し泣いてしまった。
(……きっとまた、気持ち悪いって)
そう思われてしまう。
気持ち悪い、気持ち悪いと。故郷で幾度も囁かれてきた陰口。
こんなにも女の子にどきどきする自分は、異常なのだろうかと。それを克服する為に学問へ励んできたはずなのに。
やがてその学識を買われ、皇女の専属侍女に選ばれたと思えば、この有り様。
「でも、もしあの可愛い殿下が、笑ってくれたら」
きっと、すっごく愛らしくて。自分は命も捧げるほどに愛してしまうだろう。
それこそ、世界を敵に回しても。この世の因果をねじ曲げようとも。
「この想いは、抱くことさえ罪深いのですか?」
眠れない夜、質素な寝台の上で。ロザリアは、自らを試すような神に、問い掛けるのだった。
※ ※ ※
同じ夜、白薔薇宮の翼棟、皇女の寝室にて。
「……眠れないわ」
皇女ミアリス・ラ・アルフェリスもまた、ベッドの上で冴えた目に戸惑っていた。
こちらは皇族らしく、
枕も、羽毛の布団もふかふかだが、寝心地にうるさい質たちの姫君には、これでも不服だったり。
それにしても、今日は。
「……いったい何だったのよ、あのメイド」
まあ、明日には許してあげようと思うけど。
つい、牢屋へぶち込んでしまった。
「だ、だって、私の唇を……」
奪おうとするなんて。
男だったら、帝国の法に照らしても不敬罪、断頭台送りだ。
(……でも、綺麗な人だったな)
薔薇色の唇を思い出し、ミアリスは一人、かあっと赤くなる。
実は、新たな専属侍女の事は、ほんのちょっぴり楽しみにしていた。
彼女も尊敬する学者や思想家達が、口々に讃える帝国一の才媛。
貴族の
それが、ミアリスの聞かされていたロザリア・オルベインの印象。
「それが、あんな……へ、変態だったなんて!」
でも、あの綺麗な顔。もし、また迫られたら?
匂い立つような、上品な雰囲気。小さな雌豹のように、悪戯っぽく煌めいていた、紫の瞳。
こんなお姉さまに甘えてみたいとか、ちょっとだけ思ってみたりして。
布団を侍女に見立て、本物なら傷付けてしまうほどに、ぎゅっと抱擁。
頬を、身体を擦り寄せる。
「だ、だめっ、こんなの、不潔よ……!」
胸の奥深く、妖しく疼きだす炎。未知の火照りに戸惑い、布団を払って手足をばたばた。
「そう、不潔、不潔なんだからぁっ!」
(このままでは、お母様みたいになってしまう)
ミアリスの頬に一筋の涙。
亡き母は平民出身、それも貧民窟から拾われてきて、宮廷の侍女となった人。
先の皇妃を亡くし、気落ちする父ウェルナー帝を支えるうち恋に墜ち、自分を身籠ったと言う。
そんな母が宮廷の人々から、嫉妬と蔑みを込めて元娼婦と噂されていたのを知ったのは、自分を遺し、両親共に世を去った後のことだった。
「娼婦の娘」。事実であったのかは後世に至っても謎のままだが、ミアリス・ラ・アルフェリスに生涯付いて回る言葉。
この時の彼女には、愛していた母を憎悪させてしまう、呪われた言葉。
そんな汚らわしい血が、この身に流れているなんて。
「嫌、不潔なのは、嫌なんだからぁ……」
ロザリアの吐息を思い出してしまい。
目覚め始めたときめきに、独り眠れぬ夜を震えるのだった。
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