市街の喧騒も、宮廷のざわめきも届かない、白薔薇宮しろばらきゅう最奥さいおうにて。


 美しく咲き、それでいて拒絶するようにトゲを立てるイバラたちに囲まれて、姫君は寝息を立てていた。

 木陰こかげに背を預け、膝上には、風にページを揺らす読み掛けの書を乗せて。


「……あ」


 たった一目でロザリアは。魂が震えた。


 神聖アレストリア帝国第三皇女、ミアリス・ラ・アルフェリス。

 地上に咲いた奇跡の花。


 亜麻色の長い髪は、妖精の紡いだ糸のようにさらさらと、春風に柔らかく揺れる。

 雪の彫像めいて白く華奢きゃしゃな肢体は、触れたら融けてしまいそうで怖いくらい。

 まるで繊細な硝子ガラス細工のように……危ういまでに可憐ではかない。


 後に数多の芸術家達が題材とした、神が気まぐれに天界の薔薇を地上へ咲かせたのだと、そう讃えられることになる美貌は、今はまだ十四歳のあどけなさに包み隠されている。

 されど至上の宝石は、原石のままでなお。

 すでにして魔性すら帯びた輝きで、見る者の魂を縛った。


「……殿下、か、可愛い♪」


 たった一瞬で、とりこに。こんなの、卑怯だとさえ思った。


(もう二度と、女の子に恋なんてしないと)


 ……そう決めた、はずなのに。こんなのずるい。


 世の理さえ越えた領域の愛くるしさに、抗う術など無くて。

 このきらきら輝くお姫様へ、今日から毎日毎夜仕えるなんて、神様からの罰か、あるいは悪魔の誘惑か。


 気付けばロザリアは、皇女の傍へ跪き、寝息を立てるその貌を覗き込んでいた。

 静かな花園で、とくん、と、鼓動が熱く耳を打つ。


 無防備に眠る姫君。星の零れるような長い睫毛まつげの下、その瞳は閉ざされている。


 まだいかなる汚れも知らない、眠れる天使へ。

 ……知らず、唇が引き寄せられる。苺色の、柔らかそうな唇へ。


(わ、私、何をしようとしているの!?)


 大切な、女の子の初めてを。こんな風に奪って良いはずない。

 でも、薔薇と少女の薫りに、理性の鎖はとっくに壊れ。


「もう、どんな天罰が下ってもいいの。キス、したい……」


 止められない唇。

 互いの甘い吐息が、鼻先に掛かるほど近く。


 触れたか、触れないか分からないほど近く。

 重なろうとした、その時。


 リィィン、ゴーン、リィィン、ゴーン……と。

 運命の愛を祝福する結婚式のように。

 遠く教会の鐘が、そよ風に運ばれてきた。


 その音に、姫君のまぶたがゆっくりと開かれる。

 森の中の泉のように静寂をたたえた、翠緑すいりょくの瞳へと、間近に迫ったロザリアの顔が映り。

 皇女ミアリス・ラ・アルフェリス殿下の顔はみるみる赤くなって。


「きゃぁぁっ!? 衛兵、衛兵はどこ!?」


 ロザリアは、不審者扱いされてしまった。


 これが、やがて世界を革命する、二人の乙女の出会い……。

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