第1幕

 聖暦1789年、4月。北国アレストリアの遅い春。

 「薔薇ばらの都」と称されるこの帝都アルフェンも、ようやくその呼び名に相応しい色によそおい始める。

 街路に、公園に、家々の窓にまで、春の花がたおやかなつぼみを開かせる頃。

 わけても北の郊外、小さな都市ほどもある緑の一角は、言葉通り咲き乱れる薔薇にいろどられる。


 この地こそ、帝国の皇居「白薔薇宮しろばらきゅう」ロベーヌ宮殿。

 およそ百年前、帝国史上の誰より絶大な権勢を振るった「美女皇帝」ベルモニカの御代みよに、地上のあらゆる文化、芸術のすいを結集して建てられた、世に並ぶもの無き壮麗なる大宮殿である。


 その深奥しんおう、森林の中に造られた薔薇の植木のトンネルで。

 今日よりこの白薔薇宮に仕える侍女ロザリアは、木漏れ日に手をかざしていた。


(……なんて、広い宮殿だろう)


 彼女が16歳の今日までを過ごしたのは、帝国領東南部の国境近く、保養地として知られる山間やまあいの町。


 その故郷が丸ごとすっぽり入ってしまいそうな広大な領域に、規模は様々なれど七百を超える庭園がその美を誇り。

 世界中の薔薇の品種が集められ、季節を問わず白亜の宮殿を飾り立てる。


(もう私も、この宮廷の一員。伯爵家の名誉に誓って、立派にお仕えしなくては)


 真新しい濃紺の侍女服と、白のエプロン。

 控え目ながら品の良いフリルが付いたカチューシャが、否が応にも胸を高揚させた。


 緑の芽吹く春、この日から、伯爵家令嬢ロザリア・オルベインは、帝国第三皇女の、専属侍女となる。


「さて、殿下はどちらかしら」


 探しているのは、主となる第三皇女の姿。

 宮廷に仕える先輩使用人達の話を聞く限り、中々に手強そう。


 わがままで、生意気なつんつん娘。誰にも心を開かず、今まで専属侍女になった者は皆追い出されたとか。


 そして。ロザリアの胸を騒がせたのは。

 第三皇女は、とびきりの美少女だとか。


(そっか。可愛いのかぁ……)


 すごく好みだったら、どうしましょう。浮かぶ妄想を、ぶんぶんと頭を振って追い出す。


「だめよ、いけないわロザリア。……もう、報われない想いは」


 抱かないと決めた。


 実は今まで何度か、彼女は同性に、女の子に恋してきた。

 でも、その「普通でない」気持ちは受け入れられる事は無く。


(もう私は、誰かを愛したりしない。帝国貴族として、伯爵家の娘として相応しく、立派に務めを果たすだけ)


 そう誓って、薔薇のトンネルを抜けた。


 やがて。

 光が広がる。

 ひらけた空間に驚いた眼を慣らし、ゆっくりとまぶたを開けると。


 そこは、春風薫る森の薔薇園。

 この地で少女は、運命と出会った。

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