6章 南の友達

第81話 南って誰なん?

「南って誰なん?」


 ぬるっと尋ねる。

 乃亜は神楽坂のチャットのアイコンを指差し、心底不思議そうな表情だ。


「っ……っっ!?」


 神楽坂は、衝撃で言葉が出ないようだ。


「わ、私だよっ!私の下の名前っ!」

「え、そうなん」

「ウソでしょ知らなかったの!?」


 夏休み明けの教室。

 能天気な顔で席に座る乃亜とは裏腹に、神楽坂はワナワナと震える。


 神楽坂の額から流れる汗は残暑が原因でない。乃亜の不義理によるものだ。


「そんなことある!?こんなに一緒に遊んでて……」

「いやほら、おまえって神楽坂じゃん」

「いや神楽坂だけど!神楽坂であると同時に南なんだけど!?」

「おお、その言い方なんかアレみたいじゃね。ほら、アレ。なんだっけアレ……忘れた、もういいや」

「いや逆に何!?」


 乃亜はこれまで、神楽坂とチャットでやりとりをする中でずっと疑問だったのだ。

 神楽坂のユーザー名である『南』とは何なのか。


「いやそりゃ実名かもとは思ってたけどさ、おまえの場合ユーザー名を推しキャラの名前とかにもしそうじゃん」

「そ、それは……まぁそうしてるアカもあるけど……」

「あるのかよ」

「て、てかそれは関係なくて!こんないつも一緒にいるのに下の名前を知らないってのが問題なんだよ!」

「そんなにはいなくね?」

「なああああああっ!?」


 軽い修羅場になりつつある2人。

 そんな乃亜と神楽坂のもとへ、とある女子2人が歩み寄ってきた。


「神楽坂さん、どうしたの?」

「香月さん何したの……」

「ああ、山瀬ちゃん皆川ちゃん。そうなんだよー、こいつ急にぷんぷんマインドになってさー」


 山瀬ちゃんと皆川ちゃん。

 夏休み明けから、たまに乃亜と神楽坂と絡むようになった女子たちだ。


 きっかけは夏休み序盤のこと。

 乃亜は彼女らと駅で遭遇し、こんなやりとりをした。


『実はあの時から、香月さんと話したくて……』

『あの時?』

『神楽坂さんの事件の……』


 夏休み前に巻き起こった、神楽坂派と反神楽坂派の抗争。

 どちらにも属していない山瀬ちゃんと皆川ちゃんは、あの局面での乃亜の立ち回りに感動したらしい。


『あの時の香月さん、カッコよかったよねって2人で話してたんだ』

『すぐに夏休み入っちゃったから、言う機会がなくて……』


 そうして乃亜と彼女たちは別れ際、こんな言葉を交わした。


『夏休み明けたら、教室で声かけてもいい?』

『……まぁ、お好きに』


 その約束が果たされたわけだ。


 神楽坂が現在ぷんぷんマインドになっている理由を話すと、山瀬ちゃんと皆川ちゃんは苦笑する。


「あー……でもまぁ下の名前って、意外に知らないことあるよね」

「でしょでしょ?ほれみれ神楽坂!」

「でも仲良い友達なら、普通覚えてるような……」

「ほら聞いた乃亜!?そうだよねっ、普通覚えてるよね皆川さん!」

「は、はわわ……う、うん……」


 多少話すようにはなっても、神楽坂の王子様オーラはすぐには慣れないらしい。

 皆川ちゃんは神楽坂に顔の距離を詰められると、一瞬にして顔を沸騰させていた。


「ズルいよ!私は乃亜の名前知ってるどころか、下の名前で呼んでるのに!」

「えー、だってアンタはヨーイドンから神楽坂で、アタシは慣れちゃったし。てかアタシってそもそも、名前とかどうでも良い民だから。大事なのはマインドじゃん」

「……んん?」


 難解な思考プラス怒涛の乃亜語に、普段から聞き慣れているはずの神楽坂も困惑。皆川ちゃんも当然首を傾げる。


 ただここで、意外にも山瀬ちゃんが存在感を示す。難しい顔をしながら乃亜の発言を解読していく。


「つまり……始めから神楽坂って呼んでてそれに慣れてるし、香月さんは人の中身にしか興味なくて、呼び名とかはどうでも良いってこと?」

「そゆこと!やるね山瀬ちゃん!」

「さすが山瀬!これが現代文クラス1位の読解力!」


 まさかの正解。

 これには乃亜も嬉しそうに笑う。


「神楽坂と違ってアタシのこと理解してるじゃん山瀬ちゃーん。ヨシヨシしてあげよう、ヨシヨシ」

「わーいっ」

「あーずるい山瀬!香月さん、私もヨシヨシしてー!」

「ヨーシヨシ、良い子だねータクトー」

「タクト?」

「あ、ごめん。つい知り合いの犬を思い出しちゃって」

「犬を……?」


 仲睦まじくじゃれあう乃亜と山瀬ちゃん皆川ちゃん。数ヶ月前、乃亜が孤独だった頃と比べれば、考えられないほど幸せな光景だ。


 だが神楽坂は、むーっと膨れていた。


「乃亜は、ズルい……」


 小さく小さく、誰にも聞こえない声で、王子様は呟いた。



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