第77話 びええええええん!!!
「カジさん、アタシはいま、唐突に怒っています」
夕飯の食卓にて、乃亜が告げる。
直前まで楽しそうにタクトとの耳パタパタゲームについて語っていただけに、梶野はいっそう驚いた。
「……おっしゃる通り唐突で、僕はビックリしているよ。どうしたの乃亜ちゃん」
「ふと気づいてしまったのです。梶野さんの、ハラスメントに」
「ハ、ハラスメント……?」
現代社会において神経質になりがちな単語の登場に、梶野は背筋を伸ばす。
「ぼ、僕は一体なにを……」
「落ち着いて聞いてください。カジさん、あなたは……」
ゴクリ、梶野は生唾を飲む。
「ちゃん乃亜にだけ料理を作らせているハラスメントをしているのです!」
どかーんっ、と効果音付きで大発表した乃亜。
対して梶野は、冷ややかだ。
「……いやごめん、ちょっと何言ってるか分からない」
「なんで分かんないんすか!だって今日までずっと、アタシしか料理してないじゃないすか!」
乃亜はフンスッと鼻息荒く糾弾する。
「これはいわば男女差別ハラスメントです!ジ、ジ、ジンジャー、ハラスメント?」
「ジェンダー・ハラスメントかな」
「それじゃい!!!」
興奮する乃亜とは裏腹に、梶野は一度深呼吸。
「えっと乃亜ちゃん、そもそも料理を作ってくれてるのって、乃亜ちゃんが勝手にやってるだけのような……」
毎日ではないが、週に何度か乃亜は唐揚げなどの料理を作り、振る舞っている。
だが一度も、梶野から料理を作ってくれとお願いしたことはない。すべて乃亜が自主的にやっているのだ。
ただそんな理屈は通らないらしい。
「でもでも!カジさんだって最近は期待マインドで帰ってきてるんでしょ!?家には唐揚げがあるぞよ〜、って!」
「語尾は怪しいけど、そうだね」
「ってことは、カジさんの中で私が料理を作ることが当たり前になってるってことじゃないすか!アタシは家政婦じゃないんすよ!」
「う……なんか、力技で納得させられそうになってきた」
正論とは言い難いが、ここまできたら乃亜が満足する方向へ行くしかない。
「分かったよ、悪かったよ」
「言葉でなく、行動で示すのが吉!」
「えぇ……ど、どういうこと?」
「だから、明日のご飯はカジさんが作ってください!」
前置きが異様に長かったが、要は梶野の手料理が食べたくなったということだ。
「最初からそう言ってくれれば……でも、料理かぁ。うーん、人に食べさせられるようなものは……」
と、弱気になっているアラサーを見て、女子高生はつい意地悪を言いたくなってしまったらしい。
「え〜、カジさんもしかして料理できない系ですか〜?イマドキはメンズも料理できないとモテませんよ〜」
プークスクスと笑う乃亜には、流石の梶野もカチンときてしまったらしい。
「よし分かった。じゃあ明日の晩ご飯は僕が作るよ」
「いえーい、がんばれー(笑)」
ニヘニヘ笑う乃亜を前に、梶野の心はより強く燃え上がっていった。
◇◆◇◆
翌日。
「ほうれん草とベーコンのキッシュです」
「……?」
差し出された料理を前に、乃亜の目に?が浮かぶ。
「キ、キ……?」
「キッシュです」
パイ生地で作った器の中に、卵と生クリームなどを混ぜたものを入れ、オーブンで焼き上げるフランス料理。
見た目はケーキのようだが、立派なご飯である。
「キ、キッシュ……何このオシャレな料理……」
「え〜、乃亜ちゃんキッシュも知らないの〜?」
「うぐっ」
そう言う梶野も学生時代に初めてキッシュを食べ、そこからハマって自分でも作るようになっただけで、あらゆる料理を作れるわけではない。
レパートリーは少ないながら、うまくかわしているだけなのだ。
「はい、ミネストローネも作ったから、一緒にお食べ」
「ミネストローネまで……」
乃亜は早速、キッシュを一口。
「どう?」
「何これ超おいしー!優しい玉子の味がする!ベーコンとほうれん草も合うねー!」
「そりゃ良かった。ケチャップつけてもおいしいよ」
そうして乃亜は初キッシュを平らげ、満足そうな表情。
「ふーおいしかった!カジさんまた作ってね!」
「うん、良いよ」
「いやー満腹まんぷ……」
ふと乃亜の顔が、急速に曇っていく。
「……っ、うぐぅっ……!」
そして突然、泣き始めた。
これには梶野も仰天である。
「ど、どうした乃亜ちゃん!?」
「うぅ、マウント取られた……」
「え?」
「カジさんに、キッシュでマウント取られたーーーー!びええええええん!」
食後、唐突に悔しさを思い出したらしい。乃亜はそれはもう小学生のように泣き出した。そんな姿にタクトも心配そうに駆け寄る。
「びええええんタクトー!カジさんがイジめるーー!」
「い、いやそんなつもりじゃ……」
タクトは「見損ないましたよ……」といった顔で、梶野に冷ややかな目を送る。
まさかの2日連続で理不尽な目にあった梶野。乃亜はしばらく泣き止むことはなかった。
◇◆◇◆
「やってやるよ……」
さらに翌日。
梶野家のキッチンには、目に炎を灯す乃亜が立つ。
梶野にマウントを取られ、号泣してしまったことが自分でも許せないらしい。
そこで乃亜も、反撃に出る。
「アタシもキッシュくらい簡単に作れるってところ、見せてやるんじゃ……!」
早速乃亜はスマホでレシピを検索。
「ふむふむ、まずは冷凍パイシートを自然解凍……面倒臭いからレンジでいっか」
パイシートをレンジに放り込み、次の作業へ。
「えー、卵3個と生クリーム100ml……あれ、計量カップないな。ま、100mlくらい感覚で分かるし」
ボウルに卵と生クリームをびしゃーっとぶち込み、混ぜ合わせる。
「ほうれん草とベーコンを切って炒める。ベーコンは大きめの方が嬉しいよね〜」
順調に作業が進んでいると確信した乃亜。
足元でうろちょろするタクトに話しかける。
「なーんだ簡単じゃーん!タクト、アタシってやっぱりやればできる子だよねー?」
「知らんけど」と言った顔のタクトをよそに調理を進め、ついには完成した。
「完成!ちょっとめっちゃおいしそうじゃーん!」
確かに外見は、昨日梶野が作ったものと変わらない。
しかし、この時の乃亜は気づいていなかった。料理初心者がやりがちなミスを連発していたことに。
「んじゃ早速味見を……あれ?昨日のヤツってこんなにグズグズだったっけ?」
デロデロな中身に、乃亜は首を傾げる。
ひとまず口に入れてみると、途端に青ざめた。
「な、何これマズッ!てか全然生焼けじゃん!ベーコンも中まだ冷たいし……あれっ?生地がくっついて型から剥がせない!なんだこれ!」
べちゃべちゃなキッシュを前に、乃亜は愕然。昨日梶野が作ったモノとは比べ物にもならない出来栄えである。
この惨状を前にして、乃亜は――。
「……ぐすっ」
◇◆◇◆
「ふぅ……」
自宅の玄関を前にして、梶野はひとつ深呼吸。
この緊張感の裏には、昨日の出来事があった。
「(イラッとしたとはいえ、女子高生をびえええんと泣かせるのはやり過ぎたな)」
1日中、反省していたらしい。
「(もうあんなびえええんな乃亜ちゃんは見たくない……ひとまず謝っておこう)」
そう決意し、鍵を回した。
「ただい……」
「びえええええええんカジさーーーん!!!」
「えええぇっ!?」
帰宅して1秒でびえええんな乃亜に遭遇してしまった。
「びええええんごべんなさーーーい!アタシなんかがマウント取って、ごべんなさーーーい!!!」
「ど、どうしたどうした!?」
「アタシは無能でずーー!無能なゴミクズでずーー!」
「いいから落ち着いてー!」
一昨日、冗談でも梶野の料理の腕をバカにしたことが恥ずかしくなるほど、料理下手を露呈した乃亜。
結局は梶野に、キッシュの作り方をイチから教えてもらうのだった。
※乃亜のレパートリーに、キッシュが追加されました。
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