第71話 8月25日は月クリスマスです
『お弁当
買わないあなた
最上川』
謎の川柳が梶野のスマホに送りつけられたのは、帰りの電車の中でのこと。
慣れていない人には分かりにくいが、要約すると夕ご飯を買ってこなくても良い、とのこと。
「(また何か企んでるのかな……)」
梶野は不穏に思いつつ、言う通りにしないと乃亜がスネることも知っている。
仰せの通り、スーパーにもコンビニにも寄らずに帰宅。
「メリークリスマース!!!」
扉を開けた瞬間、パァンッというクラッカーと共にこんな声が梶野を迎える。
同じく出迎えていたタクトはクラッカーの音に「なんですか!?敵襲ですか!?」と驚いていた。
「…………」
梶野はゆっくり、語りかけるように告げる。
「乃亜ちゃん、外、すごく暑かったよ?」
「灼熱のメリークリスマス!」
「そのセリフの矛盾に気づいて?」
ハイテンションの乃亜はサンタ帽を被り、コーデも赤のシフォンブラウスに緑のスカート。季節外れのクリスマスカラーである。
「乃亜ちゃん、ここはどう○つの森じゃないんだよ?1人だけ勝手にタイムスリップしちゃダメなんだよ?」
「ちっちっち、分かってないなーカジさんは。今日は何日すか?」
「え、8月25日でしょ」
「そう、25日!つまり『月クリスマス』なのです!」
「……もしかして、月命日みたいなこと?」
「そういうこと!」
「それが通用するならもう何でもありじゃん……」
何はともあれ乃亜の言うことは絶対。
本日8月25日は、月クリスマスなのだ。
「というわけで、チキン料理を用意してまーす!」
「あ、それは素直に嬉しい。また新しい料理に挑戦したの?」
「もちろん唐揚げでーす!」
「そ、そう……まぁいいけど。乃亜ちゃんの唐揚げは美味しいし」
唐揚げにご飯、味噌汁、サラダ。
乃亜がサンタ帽を被っていること以外は、普段と変わらない食卓である。
「でも食後にケーキあるよ。いつものケーキ」
「えっ、僕の分も?」
「もちろん」
乃亜はもひもひと唐揚げを食べながら、さらりと告げた。
「それはありがとう。いくらだった?」
「いいですよ、お金は。いつも買ってもらってるから、今日はちゃん乃亜サンタからのオゴリっす!」
「えー悪いなぁ」
「まぁぶっちゃけ無性にケーキが食べたかっただけだからね。月クリスマスとか、こじつけマインドっす」
「ぶっちゃけたねー」
食後、ご所望のショートケーキを「むひ〜」と幸せそうに食す乃亜。梶野もちゃん乃亜サンタから譲り受けたモンブランに舌鼓を打っていた。
そうしてまったりしたところ、乃亜が高らかに宣言する。
「プレゼント交換ターイム!!!」
「えっ」
完全に寝耳に水な時間がやってきた。
梶野が状況を把握するよりも早く、乃亜がプレゼントを差し出す。綺麗に包装された掌サイズの箱である。
「あ、ありがとう。でも僕は何も……」
「良いから良いから!早く開けて〜」
あまりに急かすので、言う通り開封する梶野。
その中身は……。
「わぁ、ネクタイピンだ」
シックなブラックのネクタイピン。
梶野はパッと見ただけで、オシャレだと本能的に感じてしまった。
「カッコいいでしょー。そういうのひとつ持っておくと便利らしいよー」
「確かにね。さすが乃亜ちゃん、センスあるね」
「えへへ〜」
と、満足度十分のプレゼントを差し出したことで、乃亜は目を輝かせる。
「それで、カジさんからアタシへのプレゼントは???」
初めからこれが狙いなのであった。
『カジさんの私物を合法的に手に入れたい』『ではどうするか』『そうだ、無理やりプレゼント交換作戦だ』
梶野が断りにくい状況を作り、私物を強奪する。
ちゃん乃亜サンタ、策士である。
「プレゼントなんてないけど……」
「えーひどーい。アタシはカジさんのために用意してきたのに〜」
「いやそんなこと言われても……」
その時、乃亜の瞳が怪しく光る。
「それじゃあ……そのジャケットのポケットに入っているものをいただきまーす!」
「えぇっ」
乃亜は梶野がソファに投げ捨てたサマージャケットを指差す。
もちろん何が入っているかは分からないが、おおよその狙いはあるようだ。
「ねーねー良いでしょー?」
「いやでもたぶん、大したもの入ってないよ?ハンカチとか」
「ハンカチ!全然それで良いよ〜!」
そう、乃亜の狙いはハンカチだった。
梶野はジャケットのポケットにハンカチを入れる癖がある。それを乃亜が把握していたからこその計画だった。
乃亜はただ純粋に、梶野のハンカチを、嗅ぎたかったのである。
「じゃあ、良いけど……」
「いえ〜い決まり〜、吐いたツバ飲むなよ〜!」
早速ジャケットを手に取る乃亜。まずは左のポケットに手を突っ込んだ。
梶野すらも何が入っているか記憶にない。月クリスマスのプレゼントは一体、何になるのか。
「おっ、なんかあった!コレだ!」
乃亜が発見したのは、1枚の紙。
その正体は……。
「…………」
「日○屋のサービス券だね」
某中華チェーン店の麺orご飯大盛り無料券であった。
「……これ、行く度にくれるヤツですよね?無限ループのヤツですよね?」
「うん、あのシステム嬉しいよね」
「……一応もらっておきます」
「うん、どうぞ」
気を取り直して、ジャケットの右ポケットに手を突っ込む乃亜。
「あっ、こっちにも何かあるよ!」
乃亜が発見したもの、その正体は……。
「…………」
「社員証だね」
会社員の必需品、社員証であった。
ハンカチを手に入れるつもりが、クリスマスプレゼントは日○屋の割引券と、社員証。ちゃん乃亜サンタ、策に溺れる。
梶野はニコニコしながら告げる。
「残念だったね。それじゃ、社員証は返して」
「……やだ」
「えっ」
「やだやだ!この社員証はアタシのだ!クリスマスプレゼントなんだ!」
ついには涙目で訳の分からないことを言い出した乃亜。
「何言ってんの……乃亜ちゃんがそれ持ってても仕方ないでしょ」
「いるもん!これで会社に忍び込んでカジさんのデスクの上で踊るんだもん!」
「やめて!どういう状況なのそれ!」
その後も「返しなさい!」「やーだー!」といった幼稚な問答が続く。タクトも傍から見て「人間さんたちは何をしているのでしょう」と呆れた顔をしていた。
「んんんじゃあじゃあ!この社員証と何か交換!」
「何かって何?」
「んんんじゃあ、『カジさんがちゃん乃亜の言うこと何でも聞く券』と交換!」
「ええぇ!それは理不尽だよ!」
「じゃあ何だったらいいの!?」
そこからさらに熱い議論が交わされた。
気づけば15分にも及ぶ協議の末、決着。
「じゃあ名刺の裏にお願いします!はいボールペン」
「はいはい。えーっと……」
「あ、『乃亜ちゃん』じゃなくて『ちゃん乃亜』ね」
「そこ、こだわるの?」
「最後に実印も押してね」
「えぇ……」
そうして梶野は社員証を返してもらう代わりに、乃亜に1枚の名刺を手渡す。
その裏に書かれているのは……。
『カジさんが一度だけ、可能なことに限り、ちゃん乃亜の言うことを聞くため、最大限の努力を惜しまない券』
「えへへ〜」
「一応言っておくけど、変なお願いは聞かないからね」
「分かってるって〜。いつ使おうかなぁ」
乃亜はソファに寝転がりながら、満面の笑みで名刺を眺める。
「(まぁ、機嫌が直って良かった)」
そんな彼女の様子を見て、梶野はもはや理不尽な目に遭っていたことも忘れ、優しく微笑むのであった。
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