第69話 日菜子の恋(後編)


 私の名前は花野日菜子。

 ごく普通の会社員。ごく普通の24歳。


 長崎の田舎でごく普通にグレつつ成長。

 東京の美大でごく普通に自信をへし折られ、ごく普通に絶望の中で『自由』を捨てた女の子。


 みんなと同じです。

 あらゆるウソで必死に取り繕った、ごく普通の24歳。


 私の人生にはもう、自由なんてほとんどない。

 でもだからこそ、わずかに残っている自由だけは、誰にも奪わせない。


 私に残された自由、それは――。


 ◇◆◇◆


「……先輩、あんまりナメんでくださいよ」

「え……」


 居酒屋。目の前には上司。

 その時私は、静かにキレていました。


 しっかりと、アルコールが回っているようです。


「つまり、私と梶野さんがくっつくよう、コントロールしようってわけですか?」

「コントロールっていうのは人聞き悪いけど……もちろん上手にやるよ?」


 器用なエマ先輩なら実際、うまくやってくれそうです。

 私と梶野さんを良い雰囲気にすることくらい、造作もないでしょう。


 加えてこの恋には強力な恋敵もいます。


イマジナリー乃亜ちゃん

『いえーい!アタシったらなんて強大なラスボス・オン・ザ・プラネット〜〜っ!』


 上記の通りです。


 なればこそ、ここで梶野さんの元カノ、つまり梶野さんを熟知しているエマ先輩が味方になれば、ラスボス乃亜ちゃんを容易に負かせるかもしれない。


 でも、それじゃダメなんだ。


「エマ先輩……私ね、本当は自由でいたいんです」


 エマ先輩は首を傾げ、じっと私を見つめます。

 ほんと、端正な顔立ちで腹立つ。


「好きな絵ばかり描いていたいし、ムカつく上司とかには片っ端から生卵ぶつけたいし、髪も真っ赤に染めたいし……好きな人には、好きって言いたい」


 誰にも制限されたくない。

 何にも縛られたくない。


「でも、できないじゃないですか。だって私は、大人だから」


イマジナリー乃亜ちゃん

『そしてアタシは、子供だから』


 そう。だから羨ましい。

 自由な乃亜ちゃんが羨ましい。


『子供は子供で不自由だけどね』


 こんなにも面倒くさい恋敵がいる私の恋。

 他にも面倒事がいっぱい隠れている、上司への恋。


 でも、この恋について考えている時だけは――。


 梶野さんにどう好かれようか試行錯誤したり、乃亜ちゃんの若々しい行動に一喜一憂したりしているその時だけは、私は自由になれる。


 私はこの恋を、楽しんでいるのです。


「大人だから、不自由なこといっぱい我慢してるんです。面倒なこと飲み込んで、バカみたいに働いてるんです。だから……」


 私はまっすぐ伝えます。


「だから――恋くらい、自由にさせてくださいッ!」


 情けなくも正直な、24歳の叫びです。


 エマ先輩は目を逸らさず、真剣な表情で聞き入っていました。

 ただ、私の視線を促すように、周りに目を向けます。


「……ゲッ!」


 顔を上げるとビックリ、居酒屋の店員さんや他のお客さんが私を見つめています。

 興奮しすぎて、酔いすぎて、声のボリュームを間違えてしまったようです。


 すると次の瞬間……。


「よっ、良いぞ姉ちゃんその意気だ!」

「頑張れよ!若いうちに死ぬ気で恋するんだぞ!」

「その気持ち分かりますっ……握手してください!」


 囃し立てるおじさま方に、何故か涙目で握手を求めてくる女性店員さん。現場はカオスでございます。


イマジナリー乃亜ちゃん

『人気者だね〜ヒナミチは。どこへ行っても』


「エ、エマ先輩!もう出ましょう!」

「あははー、日菜子の顔真っ赤」

「良いから!店員さん、握手してないでお会計ー!」


 慌てて荷物をまとめてレジへ。

 するとここで、思いもよらぬ人物が登場します。


「あれ、花野さん。もう出るの?」

「わあああ梶野さんっ!?」


 なんと遅れていた梶野さんがこのタイミングで到着してしまいます。


「そ、そうです!店変えようって決めて……ですよねエマ先輩!」

「ははは、うんそうだよ」


 肯定するも、エマ先輩は何やらほくそ笑んでいます。

 彼女だけではありません。店の客たちも「なるほどアイツか……」みたいな顔で梶野さんを見つめていました。


「え、花野さんなんか注目されてない?」

「気のせいです!ほら行きましょう梶野さん!今夜は飲みますよ〜〜〜!」


 梶野さんの背中を無理やり押し、なんとか店からの脱出に成功。

 その際背後から、梶野さんの汗ばんだシャツの匂いを嗅いだことは言うまでもありません。


イマジナリー乃亜ちゃん

『あ〜〜ズルい〜〜!』


 福岡の夜は、本日も賑やかに過ぎていくのでした。


 ◇◆◇◆


「だぁ〜〜頭いたい……」

 

 翌朝、大方の予想通りひどい二日酔いが私を襲いました。

 梶野さんはほんのり呆れ顔です。


「だから昨日、やめた方がいいってあれほど言ったのに」

「しゃーせん……」


 それでもなんとか仕事をこなし、午後3時を過ぎた頃、私と梶野さんとエマ先輩は福岡支社を後にして空港へと向かいました。


 機内では頭痛と戦いながら、この3日間を回想します。


 思えば初日のエマ先輩元カノショックのせいで、まったく梶野さんとお近づきになれませんでした。

 梶野さんの懐へグイグイいくはずが、結局は酒をグイグイいっただけ。


「日菜子」


 ふと、隣のエマ先輩が小声で囁きます。


「悪かったよ。おまえの気持ちも考えず、お節介ばかりして」

「……いえ、私も生意気言いまして、すみません」

「もう関わらないよ、おまえと梶野のアレコレには。ただ、うまくいくことを願ってるよ」

「ありがとうございます。でも、たまには手伝ってくれてもいいですけどね」

「どっちなんだよ」


 まぁ、ある意味で自分と向き合えたというか、覚悟が決まって良かったです。

 それが報酬、ということにしておきます。


イマジナリー乃亜ちゃん

『甘〜〜自分にゲロ甘〜〜!そんなんじゃすぐアタシに先越されちゃうよ〜〜〜?』


 うっせえ!

 ていうかアンタ、出張中ずっと頭の中にいたな!自重しろ!


 無事東京に着き、キャリーバッグを転がす中、エマ先輩が提案します。


「ちょっと早いけど、最後にごはんでも行くか?」

「あ、いいですね。私空港メシ食べたいです」

「いいよ。どこにしようか」

「確か向こうに飲食店がいっぱい……ええッ!」


 突如、素っ頓狂な声が出てしまいました。

 それもそのはず、私の目にはなんと、乃亜ちゃんが映っているのです。


 仁王立ちする彼女は、ゲートの外で私たちを待ち構えています。


 ついに頭の中だけでなく、イマジナリー乃亜ちゃんの幻覚まで……。

 そう慄いていましたが、幸いそこにいる乃亜ちゃんは、私にだけ見える乃亜ちゃんではないようです。


「えっ、乃亜ちゃん!?」


 梶野さんも驚きの声をあげます。

 私と梶野さんが駆け寄ると、リアル乃亜ちゃんは何故か尖った口で告げました。


「……おかえり」

「いやただいまだけど……なんで?」

「なんとなく、迎えに来たくて」

「だから今日何時に東京に着くか、私にしつこく聞いてきたのか……」


 いまだ驚く私たちをよそに、乃亜ちゃんの視線は一点に向かいます。

 私たちの少し後ろでこちらを見ている、エマ先輩。


 そうでした。乃亜ちゃんも気づいたのでした。エマ先輩が、元カノであることを。

 彼女を一目見るために、わざわざ空港まで来たのでしょう。


 乃亜ちゃんの視線に気づくと、エマ先輩は気さくに手を振ります。


「やあ、梶野のお隣のJKちゃん、初めまして」

「……はじめまして」

「可愛いね。顔ちっちゃくて、お人形さんみたいだ」

「……ども」


 乃亜ちゃんの警戒心丸出しな態度にも、エマ先輩は愉快そうに笑います。

 その後、さらっと告げました。


「それじゃ、私は先に帰るね」

「え、一緒にごはん行くんじゃ……」

「いやぁ急用思い出してね。それに……」


 エマ先輩は私、そして乃亜ちゃんを見比べ、一言。


「私はもう、からさ」

「え、なんて?」


 聞き返す梶野さんをスルーし、エマ先輩は颯爽と去っていきました。


 残された私と梶野さんと乃亜ちゃん。


「じゃあ、私たちで行きますか?」

「あ、うん、いいよ。乃亜ちゃんお腹空いてる?」

「ちょっと空いてる。でもそれより、アタシ梶野さんにいーーーぱい聞きたいこと、あるんだっ」

「え、何?」

「あ、私もあります。主に元カノさん、もとい、エマ先輩との関係について」

「なぁっ!?」


 あまりの驚きで、梶野さんは両手をあげ、全身で感情を表現していました。


「な、な、なんで……!?」

「色々あったんですよ、福岡で。ちなみに乃亜ちゃんも知ってますよ」

「美人だったね!エマさん!」

「ええええなんで!?」

「ていうか元はと言えば梶野さんのせいですからね」


 そうして私と乃亜ちゃんは梶野さんを両側から挟み、ご飯屋さんへと連行します。


 笑顔の乃亜ちゃんと、困惑する梶野さん。3人で歩いているこの瞬間は、ふわふわと雲の上を歩いているよう。


 今だけ、この時だけは、私は誰よりも自由でいられる気がしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る