第67話 恋しちゃったんだね日菜子さん!
どうも皆さん、おはようございます。
花野日菜子、24歳です。
恋に落ちた瞬間って、覚えていますか?
いつの間にか好きになっていた、なんて言う人もいれば、会った瞬間に好きになった、なんて言う人もいます。
恋の形は人の数だけあって、その始まりもまた幾千通りなのでしょう。
私は、はっきりと覚えています。
梶野さんがただの優しい上司でなくなったあの瞬間は、たとえこの恋がどんな結末を迎えようとも、生涯忘れることはないでしょう。
◇◆◇◆
福岡支社の1フロア上には、立派なカフェがあります。他の会社と兼用ではありますが、羨ましい限りです。
昼下がり、梶野さんに誘われ訪れると、時間帯もあってか混雑していました。
「はい、砂糖なしのカフェラテだよね」
「ありがとうございます」
2人で向かい合って座り、一服。
ここでまったり世間話、といきたいところですが、私は早速切り込みます。
「それで、どうしたんですか梶野さん」
「わあ、いきなりだね」
「だって休憩時間でもないのに、そんなゆっくりできないじゃないですか」
「まぁそうなんだけどさ」
梶野さんは優しく、尋ねてきました。
「エマと、何かあった?」
「……なるほど」
よく分からない返答をしてしまいました。それだけ驚いたのです、私は。
「ランチから帰ってくる2人が、なんか微妙な雰囲気だった気がしてね。勘違いならごめん」
「…………」
梶野さんは人間同士の空気に敏感な人です。
そのことも忘れ、奇妙な雰囲気を持ち帰ってきてしまった私の落ち度でしょう。すみませんエマ先輩。
「そんな大したことじゃないですよ。海鮮丼と刺身定食、どちらがより魚に敬意を払った料理かって話で揉めただけですから」
「ほんとに大したことじゃなかった……」
まさか本当のことを言えるはずもないので、テキトーにごまかしておきます。
「でもそれなら良かった。てっきり何かの案件でトラブったのかと」
デザイナーと営業は揉めやすいから、と梶野さんは自虐的に笑います。
ふと、自分に問いかけます。
そもそも私はエマ先輩に対し何を怒っているのでしょうか。
別に自慢をされたわけでもないし、上から目線で見られているわけでもない。
エマ先輩が梶野さんの元カノである事実を隠すのは至極当然のことで、事故的に判明した後の彼女の対応も、満点に近いと思います。
なのに何故、私はこんなにもグラグラとしているのでしょう。
「……梶野さん、なんでか分からないけど何故かモヤモヤする時って、どうすればいいんですかね?」
つい、尋ねてしまいました。
無関係とは言えない、この人に。
「ん?うーん……」
こんな抽象的な質問でも、梶野さんはバカにせず、真剣に考えてくれます。
そして、こんな答えをくれました。
「そりゃ、無理やりでも理由を見つけるしかなくない?」
「……ふむ」
「理由のないことなんて、この世にはほとんど無いでしょ。『なんとなく』とか言ってごまかしてるだけで」
「まぁ、ですね。そう考えると『なんとなく』って言葉を作った人は罪深いですね」
「本当だよ。都合の良い言葉だよね、『なんとなく』って」
ふんっ、と鼻を鳴らす梶野さん。
実に梶野さんらしい見解です。
変なところで頑固になっているあたりが、特に。
梶野さんは、ちょっと変な人です。
たまに何故この人のことを好きになったのだろうと考える時があります。別に特別カッコいいわけでもないのに。
そんな時、決まって思い出す記憶があります。
◇◆◇◆
1年ほど前のこと。
研修期間が終わり、本格的に仕事が振られる直前、梶野さんが言いました。
「花野さんの絵の傾向を知りたいから、大学4年間の作品をいくつか見せてくれるかな?卒制とか学祭で展示した物とか、まとめて」
正直、他人に見せたくはありません。
特に大学1〜2年の頃の、気持ち悪い『必死さ』が出ている作品は。
それでも翌日、データでまとめて提出しました。そこで私はミスを犯します。
「花野さん、ちょっといい?」
「なんですか?」
「だいたい見せてもらったんだけどさ……この絵だけ異質だなって思って。絵というか、看板?」
「えっ……あっ!こ、これは違います!」
あろうことか高校時代に描いた、文化祭の看板の写真が混じっていたのです。
若気の至りが凝縮した、人生で初めての作品と言ってもいい代物。
はっきり言って、裸を見せるより恥ずかしい存在です。
「これは高校時代に遊びで描いたようなもので……とにかく違うんで消してください!」
「そ、そっか分かったよ、はい消した消した」
私の慌てようを見て梶野さんも同様に慌てます。
「でも分かるよ。そういう作品があることも、保存しておきたくなる理由も」
「……いえ、これはもう捨てたはずだったんです」
過去は捨てる。
そんなポリシーを持っているはずが、何故か残っていた看板の写真。
今となっては消し去りたい作品です。
打ちひしがれていた、あの頃を思い出してしまうから。
「こういう絵を描くのは、大学に入ってすぐの頃にやめたんです。才能がないって気づいたんで」
何を上司に自分語りしているんだろうと、自覚したのは言い切った後でした。恥の上塗りです。
その場から立ち去りたい気持ちをグッと抑えていると、梶野さんは静かに、今度は私の大学時代の作品を見返します。
そして、たった一言。
彼はふわりと綿菓子のように柔らかい口調で、言いました。
「そっか。がんばったんだね」
もしかしたらそれは、泣きたくなるほどに、誰かに言ってほしかった言葉だったのかもしれません。
私の今と昔を知る人は皆、比べたがります。
「前よりも良い」とか「前の方が良かった」とか。
でも梶野さんだけは、過程を見てくれた。
今と昔の絵を見比べた、たったそれだけで、あの努力を見透かしてくれた。
今思えばそれが――好きになった瞬間なのでしょう。
イマジナリー乃亜ちゃん
『いやチョロ!日菜子さんチョロすぎじゃね!?』
うっせえ!
チョロくて何が悪い!
ていうかおまえもまあまあチョロいだろ!
◇◆◇◆
回想を経て、再びカフェ。
「そうですよね……理由がないことなんて、ない……」
ポツポツ独り言を呟く中で、私は思い返していました。
私は過去を捨てた女です。
でもたまに、本当にたまにだけど、過去の記憶に答えが転がっている時があります。
「ありがとうございます、梶野さん。なんとなく、分かった気がします」
「なら良かったけど、そこで『なんとなく』って言う?」
「はっ、しまった……でもこのなんとなくは、そのなんとなくとは違うなんとなくで……」
「どういうこっちゃ」
梶野さんと笑い合う中で、理解しました。
私がエマ先輩に怒っている理由が、何なのか。
つづく
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