第62話 一方その頃、ちゃん乃亜と愉快な仲間たち
梶野が出張とのことで、初めはタクトをペットホテルに預ける予定だった。
だが乃亜やえみりや神楽坂が「世話するから」と言って聞かなかったので、梶野は言う通りにした。
そんなこんなで出張2日目の本日も、3人は梶野家に集まっていた。
「ねむぅ……なにもこんな朝早くから集まらなくても良くねー?」
「10時は全然早くないよ」
「ていうか乃亜のために来てるんでしょーが」
夏休みもいよいよ終盤。
ここに来て発覚した、乃亜の宿題まるで終わっていない問題。彼女は全教科、ほぼ手をつけていなかった。
「だっるーい。夏休みに宿題なんていらなくねー?生徒の自主性ないがしろマインド爆裂じゃねー?」
「アンタの自主性を一体誰が信用するのよ」
「乃亜ちゃんみたいな人のためにあるんだよね、夏休みの宿題って」
すでに課題の9割を終わらせているえみりと神楽坂にとって、乃亜の主張は常識の埒外にあった。
そうして3人はリビングのガラステーブルにつき、それぞれ宿題を始める。
タクトは「みなさん僕のために集まったのでは?僕こんなにヒマなんですけど?許されるのですか、こんな状況」といった顔でソファから3人を見下ろしていた。
「そういや日菜子さん、昨日の夜から音沙汰無いんだよな〜どうしたんだろ」
「仕事忙しいんでしょ。もしくは飲み会とか。歓迎会みたいなのもあるでしょ」
「でもカジさんからは返信あったよ。福岡の人にめちゃくちゃ飲まされたんだって」
「お盆の時もそうだったけど、了くんって飲み会の時にやたら絡まれるからね」
そんな会話をしつつ手も動かす3人。
1時間ほど経った頃だ。えみりが画用紙を広げ始めた。それには乃亜も神楽坂も目を向ける。
「えみり先生、なにそれ?」
「図工の宿題だよ。絵を描くの」
「わー懐かしい。テーマは?」
「人物画。誰でも良いんだって」
「へー、誰描くの?」
「乃亜ちゃんか神楽坂ちゃんにしようと思うんだけど。ちょうど見ながら描けるし」
つまりはどちらかモデルになってほしい、とのこと。光栄に思ってもおかしくないお願いだが、2人は即座に首を振った。
「いやいやっ、今日のメイク鬼テキトーだしご勘弁!神楽坂にして!」
「私もヤダよっ、恥ずかしい!いま顔むくんでるし!」
「大丈夫だよ。乃亜ちゃんは今日も可愛いし、神楽坂ちゃんはいつでも美人だよ」
乃亜と神楽坂は「いやーそれほどでも……」といった顔で照れるが、それでもモデルは了承せず。年頃の乙女はなにかと複雑らしい。
「んー、じゃあ弟の顔でも描くかー。ありきたりでつまらないけど……」
「あ、ここにモデルがいなくても描けるんだ」
「そりゃまぁ、そんな重要な課題でもないからね。先生もわざわざ実際の顔と見比べたりはしないよ」
ここで乃亜は「ふむ」と考える素振りを見せる。そうしてこんな助言をした。
「じゃあ、キョーコの顔にすれば?」
「えっ」
キョーコ。
言わずと知れた、梶野の元カノ。
えみりだけが会ったことのある女性だ。
「キョーコちゃんって、会ったの1年以上前なんだけど」
「でもえみり先生なら覚えてるでしょ?」
「まぁ、印象的な顔立ちだったからね」
「ていうか乃亜、キョーコさんがどんな顔か知りたいだけでしょ」
乃亜の好奇心のみが反映されたその提案。
えみりの回答は……。
「ま、いっか。面白いし」
そう言ってえみりは絵のお題を書く欄に『叔父の元カノ』と記した。
「梶野さん、不憫……」
神楽坂は小さく呟いた。
早速、下書きの準備をするえみりだったが、そこで乃亜と神楽坂に告げる。
「そうだ。2人も一緒に描こうよ、キョーコちゃんの顔」
「え、でもアタシらキョーコの顔知らんし」
「そこは私が口頭で、キョーコちゃんの顔の作りを説明するからさ」
「それ面白そー!宿題の息抜きにやってみようか」
こうして乃亜と神楽坂もお絵かきに参戦することに。
梶野の仕事部屋にあったクロッキー帳から白紙を2枚拝借。
それぞれ鉛筆を走らせていく。
「キョーコちゃんは小顔で、目はキリッとした二重で、鼻が高くて、髪は後ろでまとめてる感じで……」
「本当に美人さんなんだね、キョーコさんって」
「うん。確かハーフって言ってた気がする」
「けっ、生意気に……何がハーフだ」
乃亜は会ったこともないキョーコに対し、不毛な敵愾心を募らせ続けていた。
「ほい、描けたよー」
最初にキョーコの顔を描きあげたのは、そんな乃亜だった。
「お、どれどれ見せてー」
「乃亜ちゃんの絵って見るの初めてだ」
神楽坂とえみりは好奇心いっぱいの表情で乃亜の絵を見る。
そして、絶句した。
確かに小顔で二重で高い鼻。
しかしその実態は、無駄に肩幅が広く、顔のパーツが中心によっているミ○ワ風。鼻は高いが巨大なニンニク型。口はキングボ○ビー。さらに「生意気な園児ボコりてぇ〜」との吹き出しまで書かれている。
「キョーコへの憎しみがすごい!」
「キョーコちゃんこんな顔じゃないしっ、こんなこと言わないよ!」
「いや〜アタシ画力ないんで〜、こういう風にしか描けないんすわ〜」
「いやむしろ画力すごいよ!これだけのヘイト表現できるって並大抵じゃないよ!」
キョーコへの悪意をめいっぱい描き込めた乃亜は、それはそれは清々しい顔をしていた。
気を取り直して鉛筆を手に取ったえみりと神楽坂。
やけに時間がかかっているなと、乃亜は疑問に思い始める。
えみりは夏休みの宿題なので、丁寧に描いているのだろう。
ただ何故、神楽坂が鬼気迫る表情なのか。
乃亜はこっそり神楽坂の絵を覗き込む。
と同時に、叫ぶ。
「いやおっさんじゃねえか!」
「ひぃっ!」
切れ長の二重、高い鼻などの特徴は取り入れつつも、顔立ちは完全に男。長い髪を無造作に後ろでまとめ、鼻下と顎にヒゲまで生えている。
神楽坂の描くキョーコは、まごうことなきおっさんだった。
「なんでキョーコにヒゲが生えてんだよ!カジさんの元カノだっつってんだろ!」
「し、しまった……つい手グセで……」
「どんな手グセだ!」
「私のこの腐った手が自然と、タチ役のイケおじ美術教師を描いてしまっていた……私のバカバカ!」
「タチ役ってなに?」
「えみり先生っ、そんな単語気にしちゃダメ!」
乃亜によってお叱りを受けた神楽坂。
自身の描いたキョーコ(美術教師)をしげしげ見つめると、丁寧に折りたたんでカバンにしまうのだった。
「結局、まともに描いたのは私だけだったね」
最後に描き上げたえみりは嘆息する。
「見せて見せてー。わーえみりちゃんうまいね。さすが完璧女子」
神楽坂は感嘆の声を上げる。
「なるほどこんな顔かー。確かに美人だねぇ。やるなー梶野さん」
「ね、よく付き合うところまでいけたよね」
「それもそうだし、なんで別れたのかも謎だね。こんな美人さんなのに」
乃亜は少々不機嫌そうに、だが興味津々といった瞳でその絵を見た。
「……ん?」
「どうしたの乃亜ちゃん」
「いや……この顔どっかで見たことあるような……」
その時だ。
乃亜のスマホにメッセージが届く。
昨晩から音沙汰がなかった日菜子からだ。
「……え?」
その内容に、乃亜は目を丸くした。
それは、絵文字も顔文字ない、簡潔な1行。
『キョーコが誰か、分かったよ』
そしてその瞬間、乃亜の脳に電気が走る。
連想された、とある光景。
一瞬にして、すべてが繋がった。
「あーーーーーーっっ!!!」
かつて梶野の会社に乗り込んだ時。
離れた場所から日菜子と共に乃亜を覗き見ていた女性。
彼女が、キョーコだったのだ。
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