第40話 いつしかそこにあった幸せと、
「何とか今日中にカタつきそうですね〜」
日菜子が作業しながら語りかける。
梶野も同様に、ディスプレイへ目を向けたまま応えた。
「今日は宿題持ち帰らなくて済みそうだよ。そういや花野さん、乃亜ちゃんの相談に乗ってあげたんだって?」
その質問には、日菜子もつい手を止めて梶野の顔を覗き見てしまう。
「あー、えー、そうですね。いろいろ女子トークを……」
「乃亜ちゃんが言ってたよ、頼りになるお姉ちゃんだって。花野さんって年下にはそんな感じなんだねぇ。意外な一面だ」
「え、えへへ……その様子だと、仲直りできたんですね」
「まぁ、うん。お騒がせして……」
ふと、梶野のスマホにメッセージが届く。
「お、噂をすれば乃亜ちゃんから……」
ガタッと勢いよく立ち上がる梶野に、花野は目を丸くする。
「どうしたんですか……?」
「ちょっとごめんッ……!」
駆け足でデスクを離れる梶野。
スマホに表示されている、乃亜とのトーク画面には……。
『助けて吉水さんがきて』
◇◆◇◆
「誰に連絡しようとしてるの?」
「あッ……!」
吉水は助手席の乃亜からスマホを奪うと、電源を切ってダッシュボードに置く。
「無駄だよ。こんな良い車に乗ってるから分かると思うけど、僕って大きな会社の重要なポストに就いてるんだ。だからこれくらいのこと、簡単に揉み消せるんだよ?乃亜ちゃんはまだ子供だからよく分からないか〜」
「…………」
「ほら、機嫌直してよ。高いイタリアンのお店連れて行ってあげるから。好きって言ってたよね、イタリアン。あ、まだ6時前だしお腹空いてないか〜。じゃあまずはカラオケ行こっか。あークソッ、道混んでんなぁ」
ハンドルを握りながら、ペラペラと上機嫌に喋る吉水。
その態度も、雰囲気も、今まで乃亜が目にしてきた吉水とは異なっていた。
「……帰りたいです。帰してください」
「ダメだよ」
急に変わった声色。
血も凍りそうな声で吉水は告げる。
「昨日のメッセージにはびっくりしたよ。2ヶ月くらい会ってくれなかったけど、彼氏でもできたの?」
「…………」
「ダンマリかよ。僕なんかに答える義理は無いって?前はあんなに仲良くしてくれたのに。そうやって乃亜ちゃんも離れていくんだね、妻と娘みたいに……なぁ!?」
ガンッと、ハンドルを叩く吉水。
乃亜はビクッと肩を揺らした。
「とりあえず今日は付き合ってもらうよ、乃亜ちゃん。今までのは体験版みたいなものだったからさ……今日は本物のパパ活を教えてあげるね♪」
それからも吉水は、喉に詰まっていた栓が取れたように1人で喋り続ける。
乃亜はしばらく、全身を震わせていた。
帰宅ラッシュによる渋滞を抜け、輸入セダンはカラオケ店近くの駐車場に停車。
大きめの部屋に案内されると、吉水は40代後半にもかかわらず10代に流行っている男性アイドルやロックバンドの曲を気持ち良さそうに歌う。
そしていかにしてトレンドの歌手を知り、歌を覚えたか嬉々として語っていた。
乃亜は部屋の隅で小さく座り、小刻みに震えていた。
2ヶ月前なら、なりふり構わず逃げていた。
パパ活のこと、学校に言いたければ言えばいい。
退学なんて万々歳だ。あんなつまらないところ、ハナから行きたくなかった。
すべて、どうだって良かった。
でも、今は――。
『……放課後、ファミレスとか行く?』
『……んぁ』
神楽坂。
アイツのおかげで、やっと学校が楽しくなってきたのに。
事件に巻き込まれたと伝われば、母親の監視や束縛は厳しくなる。
そうなればもう、梶野家には行けなくなるかもしれない。
キラキラした誕生会の記憶が蘇る。
カジさん、タクト、えみり先生、神楽坂、日菜子さん。
彼らの顔を思い浮かべながら、縮こまる乃亜は目を潤ませていた。
「乃亜ちゃんも、そろそろ歌ってよ〜」
突如として、吉水が乃亜の隣にまで距離を詰めてきた。
リモコンを操作しながら肩を寄せる。
「ほら、この前歌ってたヤツあるよ。アレ可愛かったなぁ〜また歌ってよ、ね?」
「……帰してください」
「え〜ちょっと泣いてるの?ショックだなぁ、僕そんなに怖い?でもダメ〜、逃がさないよ?大丈夫大丈夫、僕って優しくて上手いから、乃亜ちゃんも絶対満足するよ」
「や、やめて……」
じりじりと寄ってくる吉水。ついには乃亜の肩が、壁にぶつかってしまう。
吉水は恍惚とした表情を浮かべながら、顔を近づけてくる。
「乃亜ちゃんは見かけによらずウブだから、知らなかったのかな?パパ活っていうのはね、こういうことなんだよ?」
「やっ……」
「またひとつ勉強になったじゃん。これで、大人に一歩近づけるね♪」
そうして鼻と鼻が当たりそうな距離にまで接近する。
「(自業自得、なのかな……)」
乃亜の頭に、諦念がよぎる。
「(パパ活に手を出して、調子に乗って……そんなアタシが幸せになれるわけがなかったのかな……)」
乃亜の瞳から光が消えかけた、その時だ。
ガチャッ!パシャッ!
「え……」
不自然な音が響く。
それは扉を開く音、そしてスマホカメラのシャッター音だ。
スマホをかざし、そこに立っていたのは――地味で冴えないアラサー男だった。
「良かった……見つけた」
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