第38話 エンカウント&エマージェンシー

『ディナーの件、考えてくれた?けっこう高いお店だから、行かないと損だよ♪』


 吉水から届いたメッセージを前にして、乃亜の眉間にシワが増える。


 誕生日プレゼントを受け取った日から、毎日のようにメッセージが来ていた。

 適当にかわしてはいるが、一度会ってちゃんと話した方がいいのかもと、乃亜は心のどこかで小さく思っていた。


 吉水は乃亜にとって初めてのパパ活相手。

 いつでもオシャレなセットアップコーデ。上品で清潔感のある40代後半の男性。


 パパ活する理由についてこう語っていた。


『娘が高校生で、まだまだ仲良くしていたいから、現役の女子高生とお話しして見聞を広めたいんだ。流行りとか最新トレンドは知っていて損はないし』


 可愛い理由だなぁと、まず乃亜は思った。


 会ってみれば、ご飯を食べながらほぼ乃亜の話を笑顔で聞いているだけ。

 ただ表情が豊かで反応も良いので、話していて退屈しなかった。


 ある時、学校が退屈だと話すと、吉水はいつもの笑顔でこう言った。


『世の中には学校なんかより面白いものがいっぱいあるから、そう思っちゃうよね。乃亜ちゃんっぽくて良いじゃん』

『そうなのかな……』


 その言葉は少しだけ乃亜の心を軽くした。


 調子に乗って他のパパ活相手を漁ったこともあったが、愚痴ばかりの人やカラダ目的の人などロクな人はおらず、相対的に吉水の評価は上がっていった。

 

 最後に会ったのは4回目のパパ活。

 その日はディナーだけでなくカラオケにも行った。


 そこで吉水は、こんなことを言ってきた。


『今度、2人でどこか行こうよ。学校も会社もサボって、旅行でも』


 その誘いは正直、怖かった。

 ここまで一緒にご飯だけ、カラオケでもただ歌って話を聞くだけだった吉水さんが、突然豹変することもありうる。


 本当にたまに、垂れ下がった目の奥に、得体の知れない何かを感じる時もあった。


 そしてその帰り、乃亜は梶野と出会う。


 果たして梶野の魅力に心を奪われてからは、吉水の存在は乃亜の中から少しずつ、薄れていった。


 ある意味で目を覚ましたとも言える。

「(冷静になって考えれば、会って4回目の女子高生を旅行に誘うってどうよ)」


 乃亜も薄情だと自覚していたが、そもそもパパ活という不健全な関係で成り立っていたのだ、これくらいアッサリした終わりでも良いだろうと、自己完結した。


 それでも話を聞いてもらった恩、彼のちょっとした言葉で救われた恩から、その後のメッセージも無下に扱うことはできなかった。


 その結果、現在の惨状だ。

 乃亜は梶野の顔をもう何日も見ていない。


「(アタシって、くそばかだなぁ……)」


 ぼうっとしているだけで自然と、瞳が潤んでいった。


 ◇◆◇◆


「(あと1、2日あれば……カジさんとおしゃべりできる気がする……!)」


 気晴らし映画鑑賞後の帰宅中、電車内で漠然とした思いが湧き上がる。


 悲しいような辛いような苦々しいような、自虐のような、梶野への不満のような、複雑な感情を抱いて5日。

 日菜子の助言もあり、『メンドくさ子マインド』は徐々に軟化しつつある。


「(アタシから聞けばいいんだ。カジさんは、アタシの何なのって。そこまでアタシのパパ活を気にしている理由は何って)」


 もう一歩踏み込んでくれない、叱ってくれない梶野に悶々としていた乃亜は、学んだ。梶野はちょっと不器用で、人との関係の変化に敏感な人なのだ。


 ならば乃亜が、踏み込めばいい。

 その決心にまで至ったのだ。


「(……ま、明日でも良いかな、うん。吉水さんのことも、その後に決めよう)」


 夏休みの宿題みたいな意識でもって、1人で勝手に納得した乃亜。


 ここで自問自答の渦から回帰。

 ふと顔を上げて辺りを見渡すと、思わずギョッとした。

 

 家に帰りたくない+考え事のせいで、足が自然と慣れ親しんだ道を選んでいたらしい。

 夕刻、乃亜はいつもの土手に来てしまっていた。


「(やばっ……ここにいたらカジさんとエンカウントする可能性も……!)」

「あっ」

「えっ」


 不安的中。

 乃亜の目の前に現れたのは、梶野&タクト。


 今の今まで頭の中にいた人と現実で遭遇。

 久々に見た梶野の顔は変わらず、泣きたくなるほど優しい雰囲気を醸し出す。


 今すぐその胸に飛び込みたい気持ちと、後ずさりながら様子を伺いたい気持ちが乃亜の中で交差する。


 零コンマ数秒で決断した結果。

 乃亜は脱兎のごとく逃げ出した。


「あっ、こら待て!」

「えーーーなんで追ってくるのーーー!?」

「そりゃ追うよ!てかなんで逃げるの!?」

「あと1日!あと1日だけ待ってもらえれば、満足のいくものに仕上がると思うんですーーー!!!」

「どこの限界クリエイターだ!」


 茜空の下、土手に広がるアラサー男がJKを全力で追うという異常な光景。


 だが前回の二の舞か、嬉々として乃亜を追うタクトと対照的に、梶野のスピードが急激に落ちていく。

 アラサーに突然のスプリントは、あまりに酷なのである。


 開いていく距離を確認しすると、乃亜はほっと一安心。


 その時だ。


「タクトッ!どうした大丈夫かッ!」

 

 心がざわつく梶野の声。

 乃亜は思わず振り返る。

 

 さっきまで元気に走っていたタクトが、足を引きずって歩いていた。


「……ウソ、でしょ……」

 

 血の気が引いていく音が、聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る