第31話 乃亜の友達

「カジさん!明日ケーキ食べたい!」


 唐突な要望に、梶野はコンビニのナポリタンを味わいながら首をかしげた。


「明日?良いけど、なんで?」

「明日のアタシは絶対、ケーキ食べたいマインド!この未来は変えられないの!」

「壮大な話になってきた」


 梶野が了承すると乃亜は「ポンポーンッ」とフィーバーしていた。


 いつにも増して謎めいたテンション。

 それもそのはずで、明日は一世一代の大勝負なのだ。


 作戦名

『ちゃん乃亜☆生誕祭〜プレゼントは既成事実で良いですよ?〜』


 明日、7月17日は乃亜16歳の誕生日。

 16年前、この蒼き惑星に生を受けた小さな生命が、今では立派なタヌキ顔美少女に成長した。祝え、祝うのだ、生きとし生ける全てのものよ。


 そこで繰り出すタクティクス。

 この作戦のミソは、梶野に誕生日を教えていない、という点だ。


 明日の夜、唐突に明かされる誕生日。

 プレゼントなど用意しておらず焦る梶野に、乃亜はいじらしく首を振る。


「プレゼントなんていりません。カジさんといられれば」

「でも、それじゃ僕の気が済まない……!」

「なら、ひとつだけ。今日という日の思い出に――キスをしてください」


 はい結婚。はい扶養家族。

 言わば約束された勝利。こんなのキスしない訳がないんだから。


 10回に及ぶ脳内シミュレーションのうち、キスに成功したのは驚異の10回。更にスケべな展開にまで進展したのは前代未聞の7回。妄想でここまで進んだのだから、もう付き合っていると言ってもいいのではないだろうか。


 とにもかくにも明日は乃亜にとって、勝負の日なのだ。


 ◇◆◇◆


「乃亜、学食の豚丼が半額だって。行こ」

「神楽坂、今日のアタシはね、豚丼なんぞ食べられないの。ごめんあそばせ」

「え、なんで?3日前にはムシャムシャ食べてたじゃん」

「ちょっと放課後、ね?にんにくバキバキの豚丼なんて食べたら、お口が……ね?」

「あぁ歯医者いくのね」

「…………」


 授業中も、神楽坂と話している時も、乃亜の頭は作戦のことでいっぱいだった。


 刻一刻と近づく、運命の時。

 放課後、散歩を終え梶野の帰宅を待っている時にはもう、胸が破裂しそうだった。


「タクト、アタシ今日、誕生日なんやで」

 ワフッ。

「カジさん、祝ってくれるかなぁ」

 ワフワフッ。


 そもそも乃亜にとって誕生日は、これまでの人生では特別でも何でもなかった。


 いつも通り剣道の稽古。

 いつも通りバランスのことだけ考えられた食事。


 親から貰うのは毎年、図書カードだけ。

 それも基本、購入が許されたのは文庫本や参考書のみ。

 

 友達からのプレゼントも、もらってはいけなかった。

 だから毎年、友達に「プレゼントは食べ物にして」と頼むのが恥ずかしかった。

 帰るまでに食べ終えなければいけないのも虚しかった。


 もちろん誕生会なんてした記憶がない。

 だが友達の誕生会には、何度か行ったことがある。


 みんなに注目される中でロウソクの火を吹き消す友達は本当に嬉しそうで、心の底から羨ましかった。


 ほぼ家庭内絶縁となった今なら、誕生会もできるしプレゼントも受け取れる。

 ただ肝心の、祝ってくれる友達はいない。


「(えみり先生とか日菜子さんとか神楽坂に言えば、何かくれたのかな。でもみんなまだ出会って間もないし、祝って、なんて言うのは図々しいよね)」


 だからこそ今年は、梶野と過ごすことができれば、それだけで最高の誕生日なのだ。


 そこへ、梶野が帰宅した。

 

「おかえんなさー……」


「ただいま」と答える梶野だが、その手にはカバンしかない。


「カジさん、あの……ケーキは……」

「……あっ!ごめん忘れてた!」


 それが、自分でも驚くほどショックだった。

 言葉がうまく出てこない。


「あ、えっと……そうすか……」

「ほんとごめんね、明日買ってくるから」

「……うん」 


 仕方ない。

 乃亜は必死に自分に言い聞かせた。


「(ただの口約束だったしね……まあいいよね、別にケーキがなくても)」


 かつて食べた友達の誕生日会でのケーキ。

 それが脳裏に焼きついていただけだ。特別な意味なんてない。


 そうしていつも通り夕食。

 とその前に、梶野がこんな頼みをする。


「ちょっと見てほしいデザインがあってさ。原宿にできるカフェの広告だから、女子高生の意見聞きたくて」


 梶野は乃亜をPCのある寝室へ連れ、タクトも2人についていく。


「ちょっとトイレ行ってくるから、その間にざっと見て感想聞かせて」

「はーい」


 残された乃亜はデスクに座りながら、ノートPC画面でなくタクトに目を向ける。


「はぁ……ケーキ食べたかったねぇタクト」


「いや僕食べれないんで」といった顔のタクトを抱きしめ、アンニュイな乃亜。


 ただ、ここからが本番だ。

「(せっかくのカジさんとの2人きりの誕生日……ここでいかねば……!)」


 と、その時だ。


 バンッ!

「うわッ!!!」


 突如落ちた部屋の照明。

 困惑していると、リビングから梶野の声が聞こえた。


「ごめーん乃亜ちゃん、ブレーカー落ちたのかも!ちょっとこっち来てー!」

「わ、分かったー。びっくりしたねタクト」


 暗闇のなか、乃亜は何とか扉に辿り着く。

 そして何の疑いもなく、ドアノブを回した。


 パンッ!パパンッ!!


 耳をつんざく破裂音。

 目を開くと、そこにいたのは――。


「「「誕生日おめでとーーーー!!!」」」

 

 クラッカーを鳴らす、えみりと日菜子。

 そして、ロウソクが刺さるホールケーキを持った、神楽坂。

 

 ロウソクの灯りで照らされた3人は、みな満面の笑みだ。


 部屋の明かりが点灯すると、廊下の方からひょっこりと梶野が顔を出した。


「うまくいった?」

「いったよ了くん!サプライズ大成功!」

「あはは、乃亜ちゃんボーゼンとしてる〜」

「ごめんね乃亜。でもほら、ケーキ美味しそうだよ」

「な、なんで……」

「先週から計画しててね。こっそりみんなに話してたんだ。びっくりした?」


 梶野の表情はいたずらっ子のようだ。


 そこでやっと、乃亜は状況を理解した。


「(……あーあ、せっかくカジさんと2人きりだと思ったのに)」


  心の中で嘆息する乃亜。


「(ゾロゾロ集まってきちゃって……作戦が台無しじゃん。まったく、もう……)」


 ふと、不思議なことが起きた。

 何故か歪んでいく視界、喉が詰まって出てこない言葉。


「乃亜ちゃん?大丈夫?」


 梶野が心配そうに覗き込む。

 乃亜は慌てて顔を背けた。


「っ……だ、だいじょぶっ……」


 こらえようとすればするほど、溢れる。

 笑えてきた。涙ってこんなに出るんだ。


 誕生日って、こんなに嬉しかったんだ。


「嬉しいぃ、嬉しいよぉ〜……ありがと〜みんなぁ〜……」

 

 誕生会の主役、その顔は涙と鼻水でびちゃびちゃになっていた。




 チキンやサンドウィッチ、ケーキを食べ終えると、テレビゲームが始まった。

 えみりと日菜子と神楽坂が、テレビの前で声をあげて悪戦苦闘している。


 ふと、乃亜が梶野の隣に座る。


「なんで誕生日、知ってたんですか」


 乃亜は少しだけ不満そうに尋ねた。


「前にさ、乃亜ちゃんが雨でびしょ濡れになった日があったでしょ?」

「2軍の下着姿を見られた日ですね」

「その節は誠に申し訳ありませんでした」


 梶野は深々と頭を下げ、続ける。


「濡れたブレザーをドライヤーで乾かしてあげてた時に、ポケットに入ってたパスケースを見ちゃったんだよね」


 乃亜の二つ折りのパスケースには常に、定期券と学生証が入っている。

 そして学生証には、生年月日が記載されていた。


「ストーカーっぽい手口だね、カジさん」

「社員証を盗んだ子が何を言う」


 笑い合う2人。そして自然と縮まる距離。

 乃亜は手をスッと、梶野の手に重ねる。


「カジさん、ほんとにありがとう」

「まぁ、僕は計画を立てただけだよ」

「今日だけじゃなくて。今までのも、ぜーーーんぶ」


 じっと見つめ、顔を近づける乃亜。

 梶野はついドキリとする。


「ずっとずーっと、いーーっぱいありがとう、カジさん」

「……うん。こちらこそ」


 と、良い雰囲気のところへ日菜子が乱入。


「オラ本日の主役ゥ!貴様の番だコラァ!」

「あーーもーーー!」


 乃亜は物理的に梶野から引き剥がされると、悲痛の声を上げながらえみりや神楽坂の元へ連れて行かれるのだった。


 ふと、ソファの振動に気づいた梶野。

 乃亜のスマホにメッセージが届いたらしい。


 それは、ほんの一瞬。

 けして悪気はなかった。


 だが梶野は、見てしまった。

 通知によって表示された、メッセージの差出人と、本文の一部を。


『吉水さん

 乃亜ちゃん、誕生日おめでとう。よければ今度また……』

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