第16話 攻められちゃん乃亜の苦悶

 乃亜が暇そうに「長いお耳〜可愛いお耳〜」とタクトの垂れ下がった耳を上げたり下げたりしていると、玄関から鍵の開く音が聞こえた。


 顔を輝かせて立ち上がった乃亜とタクトはすぐさま玄関へ。


「おかえんなさーい♪遅かったっすね〜カジさん!」

「うん、ちょっとね……」


 見るからに疲れた様子の梶野。

 目の下のクマがより濃くなっていた。


 さらに、梶野の匂いを嗅がせれば右に出る者はいない乃亜は、気づく。


「あれ、お酒入ってます?」

「うん、1杯だけね」

「んじゃ麦茶持ってきますね〜」


 梶野はグラスを受け取ると、喉を鳴らして飲み干した。

 すると全身が弛緩したようにソファに沈んだ。

 

「カジさん、今日は特にお疲れだね」

「でかい仕事が、やっと今日終わってね」


 聞けば本日夕方までが締め切りの重要案件があったらしく、それまで延々気を張って対応していたようだ。

 そのプチ打ち上げとして、社内でエマや花野らと缶ビールを飲んできたのだ。


「そんなに大変な仕事だったんすか」

「うん、昨日も2時間しか寝られなくてさ」

「えぇっそれはダメだよ!早く寝ないと!」

「うん。でもちょっとだけ仕事残ってるから、それ片付けてからね」

「ひえぇ〜社畜・オン・ザ・プラネット〜!死んじゃいますってカジさん!」

「平気平気。とりあえずご飯食べよ」


 食欲もあまりないらしく、コンビニ袋から出てきたのはサラダとサンドウィッチだけ。

 心配の眼差しで梶野を見つめながら、乃亜も弁当を食べ始める。


 ふと、梶野の生気なき瞳が乃亜をじっと見つめる。


「ん、なんすかカジさん」

「んー……いや、乃亜ちゃんってキレイな二重だなーって思って」

「えっ!ど、どうしたんすか急に……」

「目が可愛いよね、乃亜ちゃんは」

「へぇ!?」


 いきなりの褒め殺しに、乃亜は顔を真っ赤にして固まる。

 しかし梶野はというと、何事もなかったようにモソモソ食を進めていた。


「(カジさん、ちょっと変……?)」


 怪訝な目で梶野を見る乃亜。

 もはや弁当に意識がゆかず、機械のように箸と口を動かす。


 そのせいか、梶野にこんな指摘をされる。


「ん、乃亜ちゃん、ご飯粒ついてる」

「え、あ、マジすか」


 乃亜が自ら取ろうとするよりも早く、梶野が手を伸ばす。

 唇から1cmも離れていない所に付いていたご飯粒を摘むと、梶野はなんの躊躇も無く、パクッと食べた。


 乃亜は呆気にとられる。

 直後、湯気が出そうなほど顔が熱くなった。


「(お、おかしい!今日のカジさん絶対に変!こんな大胆なカジさん知らない!)」


 そう、現在の梶野は普通でなかった。


 極度の疲労と睡眠不足により脳がオーバーヒート中。更にアルコール摂取も重なったことで判断力が大きく低下。

 もはや自分が何をしているのか省みることさえできない、半分寝ぼけているような状態なのだ。


 しかしだからこそ、チャンス。

 乃亜は密かにほくそ笑む。


「(今のカジさんなら……キスくらいイケんじゃね?)」


 寝ぼけていてもキスはキス。

 既成事実に変わり無し。

 JKの唇を奪ったのなら、それはもう重大な責任問題です。


 そうなれば梶野は株式会社『ちゃん乃亜』に永久就職。

 ちゃん乃亜はハイパーブラックなので休日はありません。年中無休でイチャコラします。キス・ハグ・○○○など保険も完備。転職は殺します。笑顔溢れる職場です。


「カジさん〜。アタシもなんか最近、目が疲れちゃって〜」

「え、そうなの?」

「スマホのせいなのかなぁ、なんかボヤけることが多くて〜」


 こうして潤んだ瞳に注目させ、徐々に近づき……とこんな戦法に打って出た乃亜。


 だが、いきなり予想外の事態に。


「どれどれ、見せてみ」

「んにょ!!!?」


 梶野は一気に顔の距離を詰めてくる。

 もう鼻と鼻が当たりそうな近さで瞳を見つめられ、乃亜は脳を沸騰させる。


「ちょっと充血してるかな?目の疲れはね、こことかここをマッサージすると良くなるんだよ」

「へ、へぇぇ……っ!」


 梶野はいたって純粋な表情で、乃亜の眉間やまぶたの上を軽く揉み込む。

 至近距離にある梶野の顔に、乃亜は大いに動揺していた。


 今日までは梶野へ強引に迫り、慌てさせていたことの多かった乃亜。

 だがここにきて猛烈に迫られた彼女は、息もまともにできないほど狼狽していた。


 乃亜は、攻められ慣れていないのだ。


 しかしそんな自分が許せないらしい。


「(やられっぱなしは、(株)ちゃん乃亜の名折れじゃい……っ!!)」


 架空の企業の誇りを胸に、乃亜社長は魂を燃やす。


「カジさん!今度はアタシがマッサージしてあげるっす!」

「そう?じゃあ頼もうかな」


 ラグにうつ伏せになった梶野の背中に乗り、肩から腰にかけ親指を押し込む乃亜。


「お客さん、こってますね〜」

「あ〜気持ちいい……」


 梶野は至福の声を漏らす。

 そんな安心しきっている梶野に、今度は乃亜が攻勢に出ようと試みる。


 無防備な梶野の背中に突然抱きつき、おっぱいピトッ!作戦だ。

 こんなことをしでかせば、スーパーピュア状態の梶野でも流石に驚くはず。


「(でも……は、恥ずっ!そんな大胆なことできないっ……!)」


 二の足を踏んでいた時だ。

 またも梶野が無意識の暴挙に出る。


「肩さ、前からも揉んでくれない?なんかこわばってる感じがしてさ」

「え、前からって……えぇ!!?」


 おもむろに梶野は仰向けになる。

 自動的に乃亜は、梶野のお腹より少し下にお尻を乗せて座ることに。


「こ、ここここうですか……?」

「あ〜そう、良い感じ……」


 まるで梶野に正面から襲いかかるような体勢で、肩を揉む乃亜。

 意識せずにはいられなかった。


「(いやこれ普通に……き、きじょう、鬼女……ういっ!)」


 どうしよう。アタシ鬼女になっちゃった。

 滅されちゃう?アタシ滅されちゃうの??


 ついには乃亜の思考もオーバーヒート。

 燃えるように赤い顔で口にしたのは――。


「アタシ、カジさんになら滅されてもいい!」


 意味不明すぎる告白だった。


 果たして、梶野の回答は――。


「…………くかー」

「寝っっっ!!!?」


 またも大事なところで寝た梶野である。

 

「うーーー!カジさんのバカバカ!」


 それはそれは幸せそうな顔で熟睡。

 そんな梶野の胸をポカポカと叩き続ける乃亜であった。

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