第17話 姪、襲来

 夕刻の梶野家。

 リビングで教科書を広げる乃亜は「むーんむーん」と呻き声をあげていた。


「分かんない〜。タクト先生、値域って何〜?」

 ワフッ。

「二次関数って人生に必要ですか〜?」

 ワフッワフッ。

「わふわふっ!……しゃーない、ここもカジさんに教えてもらおーっと」


 設問にハートマークをつけ、次に進む。

 乃亜が梶野家で勉強をするようになったのは、ここ数日でのこと。


 きっかけは、あの日の河川敷。

 梶野が改めて乃亜を受け入れたあの時、彼は2つの条件を提示した。


 1つ、学校にはちゃんと行くこと。

 2つ、宿題をちゃんとやること。


 これが達成できなければ、再び謹慎を課すという。


 勉強嫌いで学校嫌いの乃亜からすれば、ひたすら面倒な項目だ。

 だが、自身を受け入れてくれた梶野の望みには、できるだけ応えたい。

 乃亜は泣き言を言いながらも、約束を守ろうと奮起していた。


「(まぁ分かんないところはカジさんが教えてくれるし。その時に嗅げるし)」


 宿題に関してはそこそこ楽しめている様子だった。


「うーん、なんか腰痛いなぁ」


 ガラステーブルでの勉強は少々腰にくるらしい。乃亜が変な体勢なのも原因だが。


 そこで、またも悪知恵が働く。


「カジさんの机、借りちゃおー」


 梶野がいつも仕事をしている、寝室のデスクのことだ。


 乃亜と、乃亜にぴったり付いてくるタクトはそろって寝室へ。

 リビングとは違う独特な香りに、つい顔がにやけた。


「勉強するため〜、勉強するためですけど〜、その前に〜……」


 独り言の前置きをしたのち、乃亜は思いきりベッドへダイブ。


「カジさんのおやすみ臭が染み込んだベッド〜!ぬふふふ〜!」


 タクトの「またやってるよ……」という視線は気にもせず、乃亜はベッドで大はしゃぎ。

 スカートが翻りパンツが丸見えになっても気にせず暴れていた。


 しかし次の瞬間、思いもよらぬ事態が発生する。


「タクトー、ここー?」


 リビングの方から聞こえてきたのは、幼い女の子の声。

 間髪入れず、扉は開いた。


「え……?」

「…………」


 乃亜の目に映ったのは、ランドセルを背負った見知らぬ少女。無言で、驚きよりも蔑むような瞳で乃亜を見つめている。


 対して少女の目に映ったのは、ベッドでパンツ丸出しでフィーバーしている制服を着たギャル。目を丸くして少女を見つめている。


 少女はすぐさま踵を返し、スマホを取り出した。


「110番、110番……」

「ちょっち待って!!!」


 乃亜は慌てて小さな背中を追いかけた。


「誰か知らんけど鬼ったけ誤解してる!」

「誰なんですか?空き巣ですか?ストーカーですか?」

「違う違うっ、ほら合鍵!カジさんにもらったの!梶野了さんに!」

「……お姉さん、何歳ですか?」

「え、15歳だけど。高1」

「なら渡した方が犯罪者ですね。なおのこと通報します」

「やめてーーー!!!」


 かつてないほど荒れている梶野家。

 女子同士の攻防を前に、タクトも大はしゃぎ。「愉快なヤツですね!僕も参加していいですか!?」と2人の周りを回り続けていた。


 そこへ、最重要人物が帰宅してきた。


「ど、どうしたの大声出して……」


 梶野は乃亜と交戦中の少女を確認した途端、目を見開いた。


「えみり!?何でここに!?」


 少女はえみりと呼ばれた。

 梶野より30cmも低い身長ながら、えみりは彼の前に立つと、まるで見下ろすような威圧感でもって睨みつける。


「了くんっ、何考えてるの!?こんな若い子を家に入れて!」

 保護者のようなことを叫ぶ、ランドセルを背負った少女。


「違うんだ、えみり!これには事情が……」

「いかなる事情があっても不義は不義!未成年は条例によって守られてるんだよ!」

「あぁすごい!正論すぎて何も言えない!」


 小学生に言い負かされるアラサー男。

 乃亜はというと、いまだに状況がつかめず目を白黒させていた。


「キョーコさんと別れた時から心配だったけど、まさか女子高生と付き合うなんて……」

「そ、それは違うよ!付き合ってるわけじゃないから!それは絶対無い!」


 カッチーンと、乃亜の頭に形容しがたい何かが去来。

 徐々に感情が高ぶっていく。

 

 いや付き合ってないですけど?

 それは事実ですけど?

 「絶対無い」とか言う??

 絶対無いことは無くね???

 ていうか何この置いてきぼり感?

 何2人で盛り上がってるのよ?

 あとキョーコさんって誰よ?

 マジ誰よ、キョーコさんって??


「……カジさ〜ん、カジさはぁ〜ん?ちょっと状況が読めないんでぇ、まず説明してもらって良いすかぁ??」


 乃亜は笑顔だ。

 しかし、とんでもない怒気が放出された、地獄のような笑顔だ。

 その様子には梶野だけでなく、えみりもタクトも身震いする。

 

 ここで梶野が改めて、えみりを紹介した。


「この子は僕の姪っ子で小学6年生の、梶野えみり。前までタクトの世話をよくしに来てくれたんだ」

「よ、よろしくお願いします」


 おずおずと頭を下げるえみりに、乃亜は「はぁ〜い、よろしくぅ」とおどろおどろしい声色で応える。


「とりあえず聞きたいこといっぱいあるしぃ、リビング行こっか〜」

「……その前に、ひとついい?」

「なぁにぃ〜?」

「乃亜ちゃんは僕のベッドで、何をやっていたのかな??」


 明らかに乱れている布団やシーツ。

 そこに散らばる教科書やノート、そしてスクールカーディガン。


「……うへへ」


 動かぬ証拠を前に、乃亜の怒気はみるみるうちにしぼんでいくのだった。

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