2章 乃亜の友達

第15話 香月乃亜はとにかく嗅ぎたい 映画編

「カジさんカジさん!映画観ない?」


 休日、乃亜がBDを持って梶野家を訪れた。


「お、いいよー。どんなの?」

「ゾンビ映画!でも最後は鬼感動マインドなんだって」

「乃亜ちゃんもまだ観てないの?」

「うん!楽しみにしてたんだ〜」

 

 早速梶野は期待した様子でジュースとお菓子を取りに行く。

 そんな彼を見て、乃亜はニヤリと笑った。


 この映画鑑賞会には、とある陰謀が渦巻いている。


 実は乃亜は、既に映画に目を通していた。

 どの場面で驚かされるか、どの場面で泣かされるか、頭に入れるために。


 目的はただひとつ。

「(梶野さんを……いっぱい嗅ぐ!)」


 鑑賞中、良きタイミングで抱きつけば。

 良きタイミングでしなだれかかれば。


 ――嗅げる。


 乃亜の果てなき欲望が、この映画に託されているのだ。


 そうとは知らず、梶野は呑気にBDをプレイヤーに差し込む。

 2人はソファに並んで座り、鑑賞を始めた。


 さあ最初の嗅ぎポイント。

 お約束の、振り向いたらゾンビ。


 正直分かりきっている演出だ。初見時の乃亜は「まぁそうでしょうねー」と小鼻を掻きながら観ていた。


 しかし今だけはピュアな女子。今のアタシはゆめかわ系。

 可愛く、ちょっとエロく(ここ大事)、驚くフリをかますのだ。


 さあ来いゾンビ来いゾンビ来い……!


『ヴォオオオォォォッ!』


 来たっ!

「きゃっ…………」


 ここで思いっきり抱きつくっ……つもりが、問題発生。

 乃亜の目に映った、驚きの光景――。

 

 ソファで体育座りしながら、両手で目を隠し、ブルブルと震える梶野。

 本当に、本当に、怖かったらしい。


 その様子を目に焼き付けたいがあまり、乃亜は尻込みしてしまったのだ。


「(可愛いけどっ……可愛いけどぉ!)」


 猛烈に怯えている梶野の様子は念のためサイレントカメラで撮影したので良しとしたが、このままでは嗅げない。それはダメだ。


 あっという間に次の嗅ぎポイント。

 窓の外からゾンビがバン!そして成金おじさんグチャグチャ!

 映画の中でも極めてグロテスクなシーンで、初見時の乃亜は「フゥー待ってましたぁ!」と小躍りしたシーン。


 しかし今のアタシはゆめかわ系。

 ゆめかわ系のアタシが小躍りするのは、小鳥さんやウサギさんがアタシの周りに集まってきた時だけ。


 次こそ、なりふり構わず、抱きつく!


 グチャ、グチャグチャッ!

『ギャアアアァァァァッ!』


「きゃあっ!」

 計画通り抱きついた……はずだった。


 おかしい。

 カジさんはこんな野性味あふれる匂いじゃない。そしてこんなモフモフじゃ――。


「いやタクトやないかーーーい!!!」

「うわあああああッッ!」


 渾身のツッコミに、梶野はソファから転げ落ちるほど仰天していた。


 乃亜が抱きついたのは、確かに梶野だ。

 ただ正確には、怖すぎてタクトを抱きしめ縮こまっていた梶野。乃亜はタクトへとダイレクトに顔を埋めていたのだった。


 タクトはというと「大胆ですね、姉さん」といった顔をしていた。

 おまえやない。


「ど、どうしたの乃亜ちゃん、急に叫んで……」

「すみません、ちょっと怖すぎて」

「怖すぎると関西弁でツッコむタイプなの……?」


 そんな人はいない。


 ついにはラストチャンス。

 最後は驚きによる嗅ぎでなく、感動による嗅ぎ。


 クライマックス、恋人がゾンビになってあーだこーだするヤツ。

 初見時の乃亜は「ゾンビって死臭すごいのに、あんなに顔近づけたら鼻もげるんじゃね」と瞳カラッカラだった。


 しかし今のアタシはゆめかわ系。

 ゆめかわ系は小学生が大縄跳びしてるだけでも泣く。こんなシーン見たら目が飛び出るほど号泣するはずだ。


 計画では、上品な嗚咽を漏らしながら、よよよと梶野の肩にしなだれかかる。

 芸術点も問われる嗅ぎだ。


 さらにこの嗅ぎポイント最大の利点は、良い雰囲気になるところだ。

 感動的なシーンに感化された梶野は、瞳の潤んだゆめかわ乃亜の魅力にやられ、嗅ぐどころの騒ぎじゃない事態に……!


 なんと本日は神をも恐れぬ勝負下着。エースで4番の超1軍。戦うために生まれてきた戦闘民族。かかってこいよ背徳感。 


 そんなこんなでいざ、お涙頂戴シーン。


『早くッ、早く僕を殺すんだ……ヴォ……』

『イヤッ、あなたのいない世界なんて……』


 絶対死臭ヤバいってこの距離。引くわー。


「よよよ……」


 傾いた乃亜の頭は、無事梶野の方に着弾。

 しかし、様子がおかしい。

 何の反応もない。


 チラリと梶野の顔を見上げると……。


「……スー……スー……」


 ね・て・る!!!


 疲れが溜まっていたのか、それとも映画に怯え疲れたのか。梶野はそれはもうぐっすり眠りに落ちていた。


 こうなれば雰囲気もへったくれもない。

 だが、嗅ぐというただ一点において、これ以上のチャンスはない。


「カジさーん(小声)」

「う……ううん……」

「嗅ぎますねー(小声)」

「んあ……ん……」


 無事言質を取った乃亜が選んだポジショニングは、大胆にも膝枕スタイル。

 梶野の太ももに頭をのせ、温かさと柔らかさを感じながら、嗅ぐ。


「(たまらん……)」


 至福の表情を浮かべる乃亜に、タクトは「あ、この人ダメだ」といった顔で諦観していた。


 ここで乃亜は、禁忌を犯そうとする。


「(このまま体の向きを変えたら……!)」


 現状、外を向いて膝枕している乃亜。

 もしもそのまま向きを逆にすれば……目の前に、梶野の股間。


「(流石にそれはまずい……まずいけど……1回だけ試しに……)」


 意を決し、梶野の股間の方へ向き直す。

 だが、その直後。


「ん……あれ、乃亜ちゃん?」

「!!!?」


 梶野が目を覚ました。よりによって股間に顔を向けた状態の時に。


 刹那、乃亜の頭に優しくない未来がよぎる。


『29歳男性会社員の股間を嗅いだとして高1女子を逮捕。女は「そこに股間があったから」と容疑を認めている。ネットでは女に対し「変態サラブレット」「時代が生んだ怪物」「世界よ、これが日本の女子高生だ」などの意見が挙がっている』


 梶野は乃亜の横顔をじっと見つめる。

 そして、一言。


「乃亜ちゃんも寝ちゃったかー。ていうかなんで膝枕?」


 寝ていると勘違いしたらしい。

 乃亜は心の中で安堵のため息をついた。


 梶野は乃亜の頭を優しく持ち上げ、そっとソファにのせる。

 そうして足音が遠ざかっていく。


「(あぁやりすぎた……何を考えてるんだアタシは……)」


 正気に戻ったらしく、乃亜は目を閉じたまま自身の不純な行いを反省。

 あやうく日本を代表する変態女子高生になるところだった。悔い改めなければ。


 その時だ。


「風邪ひかないようにね」


 この声とともに、ふわっと乃亜の体を何かが包む。

 寝室にあった、梶野が普段から使っている毛布だ。


「(ふふ、カジさんの匂い、いっぱいだ)」


 梶野の優しさと匂いに包まれ、幸せそうな乃亜。

 寝たフリは、しばらく続いていた。

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