第29話 えみりちゃん(小6)はえみりちゃん

「そういえばえみり、えいとくんは元気?」


 梶野家にて。

 乃亜・えみりと夕食をとる中、梶野が尋ねると、答えるより先に乃亜が質問する。

 

「えいとくんって?」

「私の弟だよ。3歳の」

「えー弟いるんだ、羨まの民〜」


 ひとりっ子の乃亜は羨望の眼差しを向けるが、えみりは苦笑で返した。


「大変だよ、3歳くらいの子って。すぐ泣くし、何でもイヤって言うし」


 育児のお手伝いもしているのだろう。

 えみりはどこか疲れた表情でそう語った。


「えみり先生だって、3歳くらいの時はそんな感じだったんでしょー?」

「いや、えみりは小さい頃も良い子だったよ。大人しくて、素直で」

「えみり先生は3歳の時からえみり先生だったのか……」


 自分の話になり恥ずかしくなったのか、えみりは「麦茶もってくる」と言ってキッチンへ向かっていった。


 その背中を、梶野がじっと見つめる。


「えみりは……なんでまたウチに来るようになったのかなぁ」


 初めは乃亜の試験勉強を監視するために来ていたえみり。

 しかし試験が終わってからも、休日も含め週3の塾の日にはほぼ毎回梶野家に来ていた。

 主に勉強をしながら、宿題に悪戦苦闘する乃亜を励ましているようだ。


「え?そりゃタクトとアタシのお世話のためじゃないですか?」

「まぁそれもあるだろうけど」

「あれ、今のボケなんすけど?アタシのお世話は必要なくね、ってツッコミ待ちマインドなんすけど?」


 梶野は少し考え込むと、乃亜に告げる。


「乃亜ちゃん、お願いがあるんだけど……」


 乃亜はキョトンとしたのち、一言。


「嗅がせてくれるなら良いですよ」

「……くっ……」


 梶野は泣く泣くサマーカーディガンを脱ぎ、手渡した。


 ◇◆◇◆


 終業後の梶野が塾に着いたのは6時半ごろ。

 えみりはオープンスペースにて友達と勉強していた。


「えみりちゃん、最後の問題どうやって解いたの?」

「ここに線を引くと分かりやすいよ。図形の問題は手を動かして、自分でいろいろ描いてみた方が良いよ」

「なるほどー、流石えみりちゃん!」


 そこでえみりが梶野を見つける。

 友達たちに別れを告げると、すぐ姪っ子(元カノ)の顔になる。


「了くん、お腹すいたよ」

「ごめんごめん。何食べたい?」


 えみりの希望により、2人は回転寿司に。

 テーブル席につくと、えみりはすぐに注文パネルの操作を始めた。


「それで、なんで今日は外食なの?乃亜ちゃんは?」

「神楽坂ちゃんと用事あるんだって。だから久々に2人で美味しいもの食べたくて」

「ふーん。いいけど、タクトのごはんは?」

「乃亜ちゃんがあげてくれてるから大丈夫」

「用事があるんじゃないの?」

「あ、いや……この後にあるんだよ」


 ルーティンが決まっているのか、えみりは白身魚から光り物、貝類、海老、赤身と迷いなく食べ進めていく。


「えみり、さっき友達から頼られてたな。そういや今、学級委員長だもんな」

「委員長は毎年だよ。小学校6年間ずっと。そういうキャラになっちゃった感じ」

「すげえ……」


 血が繋がってるとは思えない才女ぶり。

 そんなえみりだからこそ、梶野にはひとつ気がかりがあった。


「そんなに頑張ってて、疲れるだろ」

「もう慣れたよ。6年もやってたら」

「委員長だけじゃなくてさ。今は受験生で、お姉ちゃんだろ?」

「……ん」

「あ、あと先生もか」

「それは乃亜ちゃんが勝手に言ってるだけ」


 美しい箸の使い方で、ネギトロ軍艦を口に入れるえみり。

 あおさの味噌汁で口を潤すと、なんでもないように話す。


「しょうがないじゃん。そういう巡り合わせなんだよ」

「……うむ」

「別に嫌ではないしね、委員長も受験生も。えいとだって可愛いよ」


 ひときわ小6とは思えない発言。

 その順応性の高さに見え隠れするのは、諦めに似た思考とも言える。


「昔から聞き分け良かったもんな、えみりは。怒られてるとこなんて見たこと……」


 ふと、梶野は思い出した。

 たった一度だけ見た、えみりが母親に叱られる光景。

 

 えみりが3歳くらいの頃。連れ立って地元のショッピングセンターに行った時だ。えみりはペットショップの前で大泣きしていた。


「犬を飼いたい」と叫び。

 後にも先にも、えみりがワガママを言っているのを見たのはその時だけだ。


「……えみり、あのさ。夏休みもちょくちょく来てくれよな?塾の日にでも」


 えみりの眉がピクッと動く。


「……別に良いけど、なんで?」

「えみりが来ると、タクトが喜ぶんだ。乃亜ちゃんといる時とはまた違う気がする」

「えっ、ほんとにっ?」


 えみりはそこで今日イチの笑顔を見せた。

 それは珍しく、年相応な小6女子の顔だ。


「まったく、前はもう来なくて良いって言ったのにー」

「ごめんごめん。やっぱウチにはえみりが必要だったよ」

「もう、うまいこと言って。そんな言葉で喜ぶほど私は安くないからねっ」


 食事を終え、席を立とうとする2人。

 そこで梶野が、最後に語りかける。


「えみり、実は来週、頼みがあるんだけど」




「アタシも回転寿司行きたかったなぁ……」


 電話の向こうから、乃亜の無念そうな声が聞こえた。


「アタシに頼み込んでまで、えみり先生と2人きりになりたかったんすよね」

「うん。嘘に付き合ってくれてありがとう」

「いえいえ。それで、話したいことは話せたんすか?」


 肯定する梶野。

 えみりの心情はおおよそ予想通りと言える。


「学校では委員長、家ではお姉ちゃん。その肩書きから解放されるウチは、えみりにとってけっこう大事だったんだ」

「……そっか」

「前は悪いことしたよ。受験生だからって理由でタクトのお世話を断っちゃって。それがストレス解消だったんだろうに」

「だから久々に来た時、ずばーんっとA判定の模試結果を突きつけた訳だ。もう何も言わせねえ!って」


 そこまで言うと、乃亜は少し考え込む。


「……アタシも、がんばるマインドだ」


 ◇◆◇◆ 


 数日後、えみりが梶野家を訪れると、すでに乃亜がいた。

 乃亜の顔色を見てえみりはギョッとする。


「どうしたの……なんか疲れてない?」


 何やら大仕事を終えた様子の乃亜。

 かすれた声で答えた。


「もうやったよ、今日の宿題……」

「え?」

 

 掲げて見せたノートには、びっしりと数式や英文が書かれている。

 慣れない1人での勉強を必死にこなし、乃亜は頭から湯気が出ていた。


「だから、今日は遊ぼ。

「乃亜ちゃん、了くんから何か言われた?」

「い、いや何も?カジさんなんて知らないけど??」


 ごまかす乃亜に、えみりはつい吹き出す。

 そして、満面の笑みで一言。


「いいよ。遊ぼ」


 それから1時間ほど経った頃、梶野が帰宅してきた。


 リビングから聞こえてきたのは、ゲームに興じている小6と高1の、華やかで甲高い、年相応な声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る