第19話 勉強はホロ苦い恋バナのあとで

 土曜日、乃亜が梶野家を訪れると、先客がタクトと戯れていた。


「えみり先生おはよー、タクトおはよー」

「おはよーって乃亜ちゃん、もう1時だよ」

「いやー昨日、夜更かししちゃって。1時間くらい前に起きたから、まだおはよーマインドっす」


「うへへ」と笑う乃亜に、えみりは「もー」と頰をふくらます。

 

「カジさんは?」

「大学時代の友達とランチだって」

「あぁそういや昨日そんなこと言ってたわ」


 話をしつつ、2人はガラステーブルにつく。

 そうしてそれぞれ教科書やら参考書やら問題集を並べ始めた。


 タクトはその様子を珍しそうに眺める。


「じゃあ乃亜ちゃん、がんばろ」

「うっすうっす」


 期末試験を控えた乃亜と、中学受験に向けコツコツ励んでいるえみり。

 2人はこの梶野家に集まると、並んで勉強するようになっていた。


 非常に好ましい光景である。

 だが、ずっと真面目にやってるかと問われれば、まるでそんなことはなかった。


「……乃亜ちゃん、なにスマホ見てるの?まだ10分しか経ってないけど」

「いやちょっち待ち。今日まだログインボーナスもらってなかった」

「あとでも良いでしょ」

「いやえみり先生。思い出した時にログインしないと忘れちゃうんだよ」

「ログイン忘れるようなゲームならやめれば良いじゃん」


 正論である。

 そう分かっていながらも、アンインストールは拒む乃亜であった。


 再び教科書に目を向ける乃亜。

 真剣な表情で問題を解き始めた。

 

 が、えみりが目を離した隙に、またもスマホを眺めていた。


「うなぎ食べたいズのゴキゲン三郎が離婚だって。誰だろうね」

「知らないよ。なんでそんなどうでも良いネットニュース見てるの」

「いやトップニュースチェックしないと、1日が始まった気がしないじゃん」

「全然そんなことないけど」


「(もうスマホを持つ前に止めよう)」

 えみりは一旦勉強する手を止め、ジッと乃亜を見つめる。


 だが、えみりがまばたきをしたその一瞬の間に、乃亜はシャーペンからスマホに持ち替えていた。

 

「手品か!」

「なんか急にアルバムを整理したいマインドになっちゃって。なんでだろうね」


 勉強の習慣がない人あるあるの数々。

 それらを目の当たりにして、えみりは唖然とする。


 だが、ここで諦めるえみりではない。


「(……この手は使いたくなかったけど)」


 カシャッ。

 シャッター音に乃亜は顔を上げる。


「えみり先生、写真撮るなら言ってよ〜。顔作るからさぁ」

「いや、今のがベストショット」

「え?」


 えみりが撮った写真には、乃亜が教科書に肘をついてスマホに夢中の姿が写っていた。


「これ、了くんに送るから」

「え、ちょ、ちょっと待って!」

「乃亜ちゃんが全然勉強しません……と」

「ぎゃーやめて!パワハラだ!」

「あと、また了くんのベッドで変なことしてるよ……と」

「それはウソじゃん!まだやってないし!」

「まだ……?」


 あとボタンひとつで写真が発射される、そんな状態の画面を掲げて見せながら、えみりは告げる。


「またスマホ触ったら、これ送るよ?」

「ひどい!えみり先生、カジさんとの仲を取り持ってくれるって言ったじゃん!」

「赤点を取るような人は、了くんの彼女にはふさわしくありません」

「うへぇぇぇん!」


 涙目で情けない表情を見せる乃亜。

 しかしふと、一変して顔に陰りができる。


『了くんの彼女』

 この言葉から、ある名前が頭をよぎった。


「……えみり先生、聞いてもいい?」

「なに?」

「前にさ、キョーコさんって人の話したよね。それって……カジさんの元カノ?」


 えみりは「あぁ……」とほんのり後悔するようなため息を漏らす。

 そうしてどこか申し訳なさそうに語った。


「うん。了くんとここで同棲してた彼女さん。1年くらい前に別れたけど」

「同棲……ここで……」


 ふと、乃亜は部屋を見渡す。

 梶野の服の趣味とは異なる色合いの家具。

 寝室には、男1人にしては大きなベッド。


 キョーコさんと、使っていたのかな。


「……どんな人だった?」

「どんな人って、うーん……」

「キレイだった?」

「……うん。カッコ良い感じ」

「何回か会ったことあるの?」

「おととし、1回だけ。勉強教えてもらった」

「分かりやすかった?」

「……うん。話してるだけで、頭良い人だろうなって思った」

「……そっか」


 乃亜はスマホを背後のソファにポイッと放ると、シャーペンを握る。


「がんばるマインド」

「うん、がんばろ」


 それからしばらく、会話は無かった。

 タクトもつい眠ってしまうほどの静寂。

 リビングにはペンとノートが当たる音だけが聞こえていた。

 



「ただいまー」


 3時ごろ、梶野が帰宅する。

 それまで勉強に集中していた乃亜だが、玄関の鍵が開く音がした瞬間、タクトと共に駆け出した。


「カジさん!おかえんなさーい♪」

「ただいま。ケーキ買ってきたよ」

「うっひょ〜!ちょうど甘いもの食べたかったの民〜!」


 興奮する乃亜に梶野はイジワルな顔をする。


「ちゃんと勉強してた子にしかあげませんよ」

「したよ!アタシがんばったし!」

「本当かなー?」

「本当だよ」


 えみりがリビングから顔を出し、まっすぐ告げる。


「乃亜ちゃん途中から頑張ってたよ」

「おお、えみりが言うなら本当だな」

「えみり先生、ナイスフォロー!」


 乃亜は梶野からケーキの箱を受け取ると、ご機嫌で小躍り。


「アタシお茶淹れてくる!カジさんはコーヒーね。えみりちゃんは?」

「ミルクティーよろしく」


「うけたまわり〜」と応えると、乃亜はキッチンへスキップで向かっていった。

 

「えみりも、乃亜ちゃんのお守りお疲れ」

「お守りって、ひどいね了くん」

「だって乃亜ちゃん、えみりより集中できてなかったでしょ、たぶん」


 ご名答。

 それでもえみりは「さぁねぇ」と笑顔でごまかした。


「僕がいない間、乃亜ちゃん変なことしてなかった?」

「大丈夫。まだベッドには行ってないよ」

「まだ……?」

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