第14話「アタシが救われてることも知らないくせに」

「……カジさん、アタシがここに来るの、迷惑なんですね……」


 乃亜は顔を歪め、必死に涙をこらえていた。


「いや、迷惑だなんて……」

「じゃあなんでそんなに電話を勧めるの?アタシがここに来ないように誘導してるんじゃないの?」


 一変した雰囲気に、タクトも心なしかオロオロしている。


 梶野は、心を決める。


「乃亜ちゃんが来てくれるのは、本当に嬉しいんだ。一緒にごはん食べたり、話すのも楽しくて……でも本当は、あまり良くないことでしょ。乃亜ちゃんのためにも」

「……なんで?」

「女子高生が他人の男の家に通うってことは、そういうことなんだ」


 乃亜もそれが分からないほど世間知らずではない。

 顔を背け、無言を貫いている。


「別にさ、ウチに来なくても良いと思うんだ。タクトの散歩も、ちゃんと乃亜ちゃんのお母さんに許可を取れば良いし。電話だってあるから……」

「……じゃあなんで……」

「え?」


 乃亜は俯きながら、ポツポツとこぼす。


「じゃあなんで……タクトの散歩なんてやらせたの……」

「……どういうこと?」

「なんであの日、アタシなんかに構ったの……?」


 2人にとっての一番最初。

 乃亜のパパ活を目撃し、交わされた『脅迫』関係。


「パパ活のこと、親にでも学校にでも言えばよかったじゃん」

「それは……」

「中途半端に優しくして、途中で捨てるくらいならっ……最初から拾わないでよ……」


 その声は徐々に、涙で濡れ始める。

 タクトはそんな彼女に寄り添おうとする。

 

「アタシのためにって言うならっ……もっとちゃんとアタシのこと見てよ」

「……え?」

「アタシは、ここにいるアタシが一番好きなの。家とか学校は息苦しいし。パパ活は楽しかったけど……結局そこにいるアタシは、おじさんたちに気に入られようとするアタシで……でも、ここにいるアタシは唯一、自然体でいられるアタシなの」


 それは梶野も気づかなかった乃亜のリアル。


 乃亜にとってこの場所は、ここにいる時間は、梶野の想像以上にかけがえのないものとなっていた。


「アタシのためって言うならっ……アタシがここで、生きていて良いんだって感じていることを、分かってよ」

「…………」

「アタシが救われてることも知らないくせにっ……勝手なこと、言わないで……!」


 そこまで言って、乃亜は立ち上がる。

 小さな背中を梶野に見せながら、この家から去っていった。


 タクトは玄関まで乃亜についていったが、扉が閉まると梶野の元へ戻ってくる。

 そうして梶野の顔と玄関の方向を交互に見比べている。


 ソファに座り、静かな部屋を見渡す梶野。


「……3週間くらいか。楽しかったな、タクト」


 乃亜が家に来てから謹慎前まで。

 色とりどりの思い出が蘇る。


 毎日一緒に夕食を食べ、なんでもない話で笑い転げて。

 いろいろ嗅がれたり、乃亜が勝手にお酒を飲んで大変なことになったりもした。


 一緒に散歩へ行ったのは、あの1回だけだ。


「アタシとタクトはチーム『拾われ』っす!」


 タクトを拾った話をして、乃亜はこんなことを言っていた。


「中途半端に優しくして、途中で捨てるくらいならっ……最初から拾わないでよ……」


 先ほどもこう言っていた。

 乃亜はずっと、自分は拾われたと思っていたのだろう。


「拾ったつもりはないって、言ったのにな」


 クーンと、拾われたもう1匹が梶野の足元で鳴く。


「……おまえはここに来て、幸せか?」


 タクトは答えない代わりに、梶野の膝の上に覆い被さり、体温を共有する。


 タクトを拾ったのは、そこに死の危険があったから。

 放っておけばこの子は死ぬだろうと容易に想像できた。


 乃亜に構ったのは、もっとソフトな感情によるものだ。

 このお節介によって、彼女が少しでも正しい方向へ行けばと、そんな願い。


「(中途半端な優しさと言われれば、そうかもな……)」

 

 でも乃亜はハッキリと、救われていたと言った。


 救うとか拾うとか、そんな大それたことした覚えはない。


 それでも、乃亜の孤独な心を救える場所がここしかないのなら。

 それをできるのが世界中で僕しかいないのなら――。


 リスクがあるから。倫理に反するから。

 そんなことで、助けを求めている人を選ぶな。


「……迎えに行こうか、タクト」


 呼びかけると、チーム『拾われ』の一員は元気に吠えた。




 母親が在宅なら自宅に帰ることはない。

 だが乃亜の行き先など分からない。


 そこでタクトを頼ることにした。

 警察犬の見よう見まねで乃亜の持ち物を嗅がせ、彼に先導してもらう、が……。


「タクト先生、これいつもの散歩コースじゃないですかね?」


 土手を歩くタクトは、久々の日中の散歩に大はしゃぎ。

 そういうことじゃないんだ。


 しかしふと、乃亜の声がかすかに聞こえた気がした。


 見れば河川敷の方で、フットサルか何かのユニフォームを着た男性2人と相対している。ただその表情はけしてポジティブではない。


「乃亜ちゃーん」


 呼びかけると、乃亜は驚き目を見開く。

 そして瞬時に応対した。


「あ、カジさーん!遅いですよーもー!」


 そう言って駆け寄ってくる乃亜。

 男性2人はつまらなそうな顔で去った。


「……すみません、助かりました」

 乃亜は小声でそう告げる。

 こんなところでもナンパはあるらしい。


「……それじゃ」

 冷たい口調で告げ、タクトがじゃれつく中、去ろうとする乃亜。

 梶野がその腕を掴む。


「乃亜ちゃん、ごめん。僕が間違ってた」

「…………」

「いつでも、ウチに来なよ」


 顔を上げる乃亜は、グッと口を閉じ、感情を押し殺すような表情。

 ひどく大人びた声色で答える。


「……いや、カジさんが正しいです。アタシに構ったせいで、カジさんが良くない目に遭ったら……」

「大丈夫だよ」

「…………」

「1人の夕ご飯は嫌なんでしょ?ならウチに来な。大丈夫だから」

「っ……」


 何の解決にもなっていない言葉。

 だがそのシンプルな台詞が、乃亜の心に強く響く。


「もっと迷惑かけるかもしれませんよっ……?」

「大人だから大丈夫」

「アタシにはっ……カジさんが喜ぶこと何もできないし……」

「唐揚げ作れるじゃん」

「またっ……社員証盗むかも……」

「それは勘弁して……」


 涙を流しながらも吹き出す乃亜。

 不意に「どうしよう……」と呟く。


「カジさんに思いっきり抱きつきたいけど……ここじゃダメですよね」

「どこでもダメだよ」

「でもどうしてもっ、ぎゅーってしたい!」

「……じゃあ、腕だけならいいよ」


 梶野はタクトのリードを持つのとは反対の、左腕を差し出す。

 乃亜は目を輝かせた。


「ぎゅーーーーー!!!」

「……満足?」

「うん!ちょー満足の民!カジさん、タクト、またよろしくね!」

「うん。こちらこそ」


 河川敷に、2人と1匹。

 アラサー男の腕にしがみつくギャルJK。

 犬はその2人を、おすわりしながら見つめている。


 その少し不釣り合いな男女は、しばらくの間そうしていた。


「くんかくんか」

「嗅がない!」

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