第13話 乃亜の幸せ

「でね、その映画が凄かったの!」

「へー、どんなの?」

「おじさんがね、肉弾戦でゾンビをボコボコにしていくんだけど、最後に腐った牛乳を飲んで死んじゃうの!」

「す、凄い映画だね……」

「うん!ちょーつまんなかった!」

「えっ」


 スマホから聞こえてくる乃亜のおしゃべりに反応しながら、梶野はディスプレイを見つめ、デザインを修正していく。

 会話というより、ラジオを聴いているような感覚だ。


「てか、カジさんまだ仕事終わらないの?あ、もしかしてアタシ邪魔?」

「今日はたまたま修正箇所が多くてね。全然邪魔じゃないよ。むしろ乃亜ちゃんの話を聞いてると頭がスッキリする」

「えへへー……ん?それってアタシの話がすっからかんってこと??」


 先日乃亜からの電話を受けた日から、毎晩通話している。


 乃亜が怒って出て行った日以来、2人は顔を合わせていない。ただ乃亜の口調からして機嫌は直っているようだ。


 会わないなら会わないで、こうして楽しい時間を送れている。

 ただその必要も、もうなくなりそうだ。


「やっと謹慎とける〜。明日楽しみ〜」


 乃亜に課した1週間梶野家禁止令。その期限は本日までだった。


「なんか、反省を感じないな……」

「いやいや!ガチ反省マインドだから!」

「言っておくけど、カジさんはまだ不信感マインドだからね」

「うー!もう絶対やらないってー!」


 仕事を終えたところで通話も終了する。

 乃亜の声を聞きに来たのか、デスクの下で寝転んでいたタクトは「お仕事終わりましたね??なら僕と遊ぶ時間ですね??」と期待いっぱいの顔をしていた。


「…………」


 梶野は、どこか浮かない表情だ。

 頭の中で巡る言葉はひとつ。


「(このままで、いいのかな……)」


 ◇◆◇◆


 翌日、土曜日。

 乃亜の来訪を告げるチャイムが鳴ったのは昼過ぎだ。


「チャイム鳴らしたことなかったから、ちょっと緊張したし」

「そういやそうか。合鍵で入ってたしね」


 1週間ぶりに登場した乃亜に、タクトは飛びかからん勢いで突っ込んでいく。


「おおおおタクトォ!アタシのこと覚えてるかー!?よしよしっ、はーーーそうそうこの香ばしい匂い……クセになるぜ」


 何やら危ない発言をしながら、乃亜はタクトを抱きしめた。

 ふと、乃亜がじっと梶野を見つめる。


「カジさんも、する?」


 両手を広げ、にっこりと微笑む乃亜。

 梶野は思わず後ずさる。


「い、いやいやいいから!」

「えー何その反応、なんかショックの民」

「それより、だいぶ早く来たね」


 これまでは休日でも、夕方以降にやって来ることばかりだった。

 乃亜はその理由を、さらりと告げる。


「今日はあの人、家にいるんすよ。中学校が試験期間で部活動ないんで。だからさっさと来ちゃった」


 ゾクッと、梶野の背中に怖気が走る。


「お母さん、隣にいるのか……大丈夫かな」

「大丈夫っすよ。声が聞こえることもないでしょうし」

「でも一応、そんな大き声は出さないようにね……」

「心配性だなぁカジさんはー」


 乃亜はソファに座り、「ふい〜」と安堵するような声を漏らす。

 タクトも追いかけ、乃亜の膝の上に頭を乗せてご満悦の表情。

 芸術的に穏やかな光景が広がっていた。


「ほらほら、カジさんも座って?」

「え、なんで……」

「いいから」


 仰せの通り、梶野は乃亜と拳2つ分ほどの距離を空けて座る。

 すると乃亜は拳2つ分、ひとっ飛びで詰めて来た。


「え、ちょっ……」


 気圧される梶野が逃げないように、乃亜は腕をがっちり捕まえる。

 柔らかな身体、鼻をくすぐるシャンプーの香り。密着してくる女子高生に、脳がとろけそうになる。


「はぁ……幸せ」

 犬とアラサー男に囲まれ、乃亜は至福の表情だ。


「生きてるって、感じがする」

「……そんな大げさな」

「大げさじゃ無いもん」


 そう言って乃亜は、捕まえている梶野の腕に鼻を近づけようとする。

「嗅がないの」と制されると、いたずらに笑っていた。


 1週間はよほど長かったのだろう。

 乃亜は心底安心しきった顔で、しばらく1人と1匹に挟まれていた。


 しかし、まるでそんな彼らを咎めるように、ガラステーブルの上にある乃亜のスマホが振動。やけに大きく響く。


 乃亜は手に取ると、途端に顔をしかめる。

「……母親だ」


 梶野はつい、肩を震わせる。


「出ないとうるさそうなんで、出ときますね。あっちの部屋借りてもいいすか?」


 了承すると、乃亜は不機嫌そうに寝室へ入っていく。


 梶野は気が気でなかった。

 まさか、隣から乃亜の声が聞こえ、不審に思って電話してきたのでは。

 流石に考えすぎか?


 このままでいいのか?

 乃亜がこの部屋にいる日常を、当たり前のままにしていいのか?


 乃亜はものの3分足らずで帰って来た。


「……なんだったの?」

「別に。宿題は、とか。夕飯どうするの、とか。そんなこと」


 肉親との会話を終えた後とは思えない、殺伐とした様子だ。

 乃亜は口直しとばかりにタクトに抱きつきハムハムする。


「電話ってキラーイ。顔見えないからキツイ口調がより際立ってる感じがしてさ」

「うーん、そうかもね」

「あ、でもカジさんとの電話は楽しかったよ〜。またしたいね〜」


 そんな軽口を前にして、梶野はつい食い気味に応える。


「そうだよね!電話も良かったよね!」

「どしたのカジさん、急に興奮して……」

「電話で会話してるだけで十分にコミュニケーション取れるというか、なんならそんな頻繁に会わなくても……」


 不意に、乃亜の表情を見た梶野は、思わず言葉を止める。


 それは、感情を押し殺すような顔。

 それでもわずかに滲み出ているのは、悲しみだ。


「……カジさん、アタシがここに来るの、迷惑なんすね……」

 それは、どしゃ降りを予期する曇天のような声だった。



 つづく

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