第11話 カジさんのお叱りマインド

 梶野は自宅の扉の前で、ひとつ深呼吸。

 緊張が体の中で巡り、鼓動が速くなっているのが分かる。


 今朝の乃亜の仰天行動。

 遅刻前提の、突然の会社訪問。

 ただ驚いた、で終わってはいけないレベルだろう。


「(ちゃんと注意してあげないと、乃亜ちゃんのためにならない……!)」


 なんだこの子育てパパみたいな悩みは。

 子供どころか結婚すらしていないのに。結婚どころか彼女もいないのに。いるのはワンコだけ。はぁー幸せ。

 

 ひとしきり自虐を終え、扉を開く。


「おかえんなさーい♪」


 やけに上機嫌な乃亜は、制服にエプロン姿で出迎える。


「ただいま。乃亜ちゃんあのさ……」

「ねぇ見て見て!いまアプリでアタシとタクトの顔を交換したんだけどね、これマジヤバくね??」

「え、どれどれ。うはっ、なんだこれ!」

「ウケるっしょー!マジ人面犬!」


 盛り上がりながらリビングへ。

 そこで梶野はハッとすべきことを思い出す。何を一瞬で忘れているのか。


「それより、乃亜ちゃん……」

「また唐揚げ作ったんだよ!食べるっしょ??」

「あ、うん」

「温め直すからタクトと遊んで待っててねー」


 キッチンへ消えていく乃亜。タクトは「ですって。さあ遊びましょうか」といった顔で梶野のもとに駆け寄るのだった。


「はー、満腹の民!」

「衣が美味しかったなぁ。乃亜ちゃん唐揚げの才能あるね」

「いひひー」


 結局そのまま晩ごはんまで終える始末。

 梶野は自身の情けなさに震えた。


 たった一言の注意が、何故言えない。告白じゃないんだから。


「そういえばさー」

「ん、なに?」

「カジさんの会社の受付さん、ちょー美人だったね」

「ダァーーッシ!」

「!?」


 突発的に絶好の話題を振られ、変な声が出た梶野。それには静かに佇んでいたタクトも「何事ですかっ?」といった顔で振り返る。


「だぁーし?」

「その話がしたかったって意味です!」

「受付さんの話?」

「それでなく!」


 ひとつ深呼吸。

 梶野は落ち着いた口調で尋ねた。


「乃亜ちゃん、あのあと学校行った?」

「んーん、行ってない。メンドくさマインドになっちゃって、映画観に行ってた」

「乃亜ちゃん……ダメだよ、ちゃんと行かないと」

「だいじょぶだって。丸一日サボるのは、たまーにだから、ほんと」


 パパ活をしている時点で……というのは偏見だが、予想通り乃亜の学校に対する意識は低いようだ。

 勉強にも興味がなく、友達がいないのだから当然といえば当然だ。


「乃亜ちゃんはさ、将来どうしたいとかあるの?」

「そんなの考えてないよーまだ高1だし」

「でも学校行って勉強することで、選択肢も増えて……」

「もーいーよー、先生みたいなこと言わないでよー」

 

 不満げに話を断ち切る乃亜。

 どうしたもんかと、梶野は頭を掻く。


「(所詮は隣の家のオッサンだし、そこまで踏み込む必要はないのかな……)」


 親でも先生でもないくせに。

 人にあーだこーだ言う資格は無いだろう。梶野は無理やり頭を冷やす。


「まあそうだね、ごめん。でももう会社に来たらダメだよ。社員証だって、無くても1日くらい支障はないんだから」

「はーい。カジさんも、もう社員証落とさないよーに!」

「そうだね。それにしても……なんで玄関で落としたんだろう」


 ふと、梶野はわずかな異変に気付く。

 乃亜は「ねー」と相槌を打ちつつ、その視線は梶野から逃れるように泳いでいる。


「…………」


 そもそも社員証を落とすこと自体、ありえない。

 勤務中以外、カバンから出すことはまずない。またそのカバンは家を出てから会社に着くまで、開けることはほとんどない。


 なのに何故、よりによって乃亜が見つけやすい玄関に……?


「……乃亜ちゃん、もしかしてだけどさ」

「なーに?」

「昨日、カバンから社員証、とった?」


 昨晩、梶野がリビングを離れる瞬間は何度かあった。食器を片付ける際やトイレに立った時など。

 加えて梶野の職場の女性比率などに興味を示していたのも昨晩だ。


「え、そ、そんなわけ……」

「正直に言ってよ。もう終わったことだし、怒んないからさ」


 梶野は愛嬌のある笑顔を見せる。

 それにつられ、ついには乃亜も白状した。


「うーー、ごめんなさい!こっそり抜き取っちゃいました!」

「やっぱりね。理由は?」

「カジさんの職場見てみたくて……」


 理由もほぼ予想通り。

 落とすはずのない社員証紛失事件。犯人の手口も動機も明らかになってスッキリ。


 梶野はやけに晴れ晴れしい表情だ。


「そっかそっかー。そうだ、ちょっと合鍵見せてくれない?」

「え、うん。いいよー」


 乃亜がポケットから取り出したこの家の合鍵。受け取ると、梶野は告げた。


「罰として、1週間ウチに来るの禁止です」

「えーーー!!!」


 突然の宣告に、乃亜は両手を上げて仰天。


「なんでーーー!!?」

「当たり前だよ!乃亜ちゃんがやったのは窃盗です!犯罪です!」

「怒らないって言ったのにーー!!!」


 流石に堪忍袋の緒が切れた梶野。

 乃亜の反発の言葉には耳も傾けない。


「散歩はどうするの!?」

「なんとかします」

「タクトだって寂しいよね!?」


 抱き寄せられたタクトは「え、オヤツですか?」といった顔をしていた。


「うーーじゃあまたパパ活やるから!」

「えっ……」

「いいんだね!?やるからね!?」


 その脅しには、若干心が揺れる。

 だが、ここは心を鬼にしなければ。


「べ、別に。僕の知ったことじゃないから……」


 いや、この言い方は突き放しすぎだ。

 瞬時にそう思ったが、遅かった。

 

 乃亜は、ショックで言葉も出ないようだった。目を見張ったまま、化石のように動かない。

 そうして、ポロポロと涙を落とし始めた。


「うーー、バカバカ!カジさんのバカー!」

「……ごめん」

「もう知らないから!もう散歩もしないしっ、一緒にごはんも食べてないしっ、唐揚げも作ってあげないからねっ……!」


 乃亜は立ち上がると、足音を立てて玄関へ向かっていく。


「カジさんのバカ!ガリガリ!天パー!変な靴下!もう行くからね!」

「…………」

「行くよ、ほんとに!アタシ行くからね!止めなくていいのね!?」

「…………」

「うーーー!!!カジさんなんてハゲちゃえーーー!!!」


 恐ろしい捨て台詞を残し、乃亜は出て行った。

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