第9話 来ちゃった♡

「カジさんの会社って、女の人どれくらいいるの?」


 乃亜が尋ねてきたのは、いつものように夕食を共にしている時だ。


「男女比は半々くらいだよ。でも僕以外のグラフィックデザイナーは全員女性だね。営業の同期も女性だから、僕の周りはけっこう異性が多いね」


「ふーん」

 乃亜は何やら難しい顔。


「みんなキレイ?」

「うーん、キレイかどうかでいうと……まぁそうかもね」

「ふーーーん」


 なにか更に複雑な表情になる。

 乃亜は見定めるように目を細め、梶野を見つめていた。


 思えばこの時から、不穏な予感は漂っていた。


 ◇◆◇◆


 翌日の通勤中のこと。

 乃亜からメッセージが届いた。


『カジさんちの前に社員証?落ちてるよー』


 同時に送られてきた写真。

 確かに梶野の社員証が、玄関先にポツンと落ちていた。


 カバンの中を覗いても、もちろん無い。

 面倒なことになったと嘆息する梶野。


「(なんで玄関なんかで……いやむしろ、落としたのが玄関で良かったのか?乃亜ちゃんに拾われたんだし……)」

 

 何はともあれ、返信せねば。


『ありがとう。それ預かっててもらえる?』

『無くても大丈夫なんすか?』

『うん、何とかなる』


 会社の最寄駅に着いたところで、やりとり終了の合図となるスタンプを送った。


 ビルのエントランスにて、梶野は幸運にも同僚を見つけた。


「花野さん、おはよう。良かったー」

「おはようございます、梶野さん。どうしたんですか?」

「いやー社員証を忘れちゃって」


 ビル内のエレベーターや扉は社員証が無ければ開かない。忘れた場合は持っている誰かと連れ立って入る必要があるのだ。


「やっちゃいましたね梶野さん。仮社員証を借りるの面倒ですよー」

「そうなんだよねぇ」


 自身のデスクに着くと早速、仮社員証を借りるための書類を作成する。

 そこへ、また別の女性がやってきた。


「梶野、中目黒の店からコンセプトシート届いたよ……なに、社員証忘れたの?」

「あぁエマ。そうなんだよ」


 梶野の同期で営業の京田エマ。

 その切れ長の目から、イタズラっぽい眼差しが向けられる。


「抜けてるねぇ。同棲してる彼女に持ってきてもらえば?」

「えっ、梶野さん同棲してるんですかっ?」


 隣の席から激しく反応する花野。

 ただ梶野はウンザリした表情で対応する。


「してないよ。1年以上前に別れたって、おまえ知ってて言ってるだろ」

「なはは、そうだっけか。にしても日菜子の反応は可愛いなぁ」

「あっ、エマさん騙したんですね!」

「梶野に彼女がいると知って、ショックだったかな?」

「ななな何を!セクハラですよエマさん!女同士でもセクハラ案件です!」


 女性同士のじゃれ合いを尻目に、梶野は記入を続ける。

 すると、今度は総務の人が梶野の元へやって来た。


「あの、下から連絡があって……」

「下?」

「梶野さんの社員証を届けに来たという人がいるみたいで……高校の制服を着た女の子らしいんですけど……」


 ピシッと、空気の凍る音が聞こえた。

 花野もエマも口を止め、ギギギとゆっくり梶野に顔を向けていく。


「…………」

 梶野は強烈な視線をよけながら、そそくさとエレベーターホールへ走った。


「あっ、カジさーん!」


 受付にいたのは、やはり乃亜だ。

 オフィスビルのエントランスで仁王立ちする制服姿のギャル。

 この状況がもう異様すぎて、サラリーマンらはみな頭にハテナを浮かべながら通り過ぎていく。


「の、乃亜ちゃんっ!学校はっ?」


「この後行くよー。はい、社員証」

 平然と、そして堂々と遅刻宣言だ。


 よく考えれば、そもそも異常だった。

 高校の登校時間はだいたい8時過ぎ。

 10時出社の梶野が電車に乗っている時に乃亜から玄関の写真が送られてくるということは、そもそも……ということだ。


「ダメだよ……こんなことで遅刻しちゃ」

「でも、カジさん困ってると思って」

「うーん……」

 いかんともしがたい。


 乃亜は子どものように輝く瞳で、オフィスビルの内部を見渡す。

 

「これ全部カジさんの会社?」

「いや、ウチが入ってるのは1フロアだけ……いやそんなのどうでも良いから、早く学校行きなって!」

「でも、カジさんの職場見たいなー」

「ダ、ダメだよそんなの!」

「むー、分かったよぅ」


 口を尖らせながら、乃亜は出口へトボトボと歩いていく。

 その小さな背中にチクッと胸が痛む。


「……でも、ありがとうね」


 梶野がそう告げると、振り返った乃亜はニヒッと歯を見せて笑うのだった。


 乃亜を見送る中で、梶野の頭の中では様々な感情が去来する。


「(これは流石に、ちゃんと注意しなきゃな……今夜にでも)」


 そうして踵を返し、エレベーターへ。

 その瞬間、目が合った。


「…………」

「…………」


 覗くようにしてこちらを見ていたのは、花野とエマ。

 同僚2人は形容できない珍妙な表情を浮かべていた。


「梶野、今日ランチ付き合え、な?」

「行きましょうね、梶野さん」

「……はい」


 痛々しい沈黙に包まれた、3人だけのエレベーター内。

 ふと、エマが呟いた。


「あ、通報はしなくて大丈夫?」

「大丈夫ですっ」

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