第5話 チーム『拾われ』
アラームでなく、タクトの前足てしてし攻撃で目を覚ます土曜日。
「あぁ、ちょっと寝すぎたか」
タクトは「何が言いたいか分かってますよね??」といった顔で梶野の顔を覗き込んでいる。
仰せのままに、梶野は餌入れへ補充した。
「(今日は丸一日フリー。幸せだ)」
それを幸せと呼んでしまうアラサーとは、いかがなものか。
溜まった洗濯物を片付け、家中に散らばるタクトの毛を掃除機で吸い取る。一人暮らしも11年目。慣れたものだ。
さて次は買い物。
と、そんな心を読んだか、タクトが猛烈にまとわりついてきた。
「最近はJKに任せきりですよね?いいんですかそれで?僕の飼い主は誰ですか?」と瞳からそんな情念が送られる。
「分かった分かった、散歩な。買い物ついでに行きますよ」
リードをつけ、散歩セットを持ち、いざ……とその前に。
「(乃亜ちゃんがウチに来ちゃうかもしれない。一応一報入れておこう)」
乃亜へメッセージも送ったところで、改めて梶野とタクトは玄関を出た。
しかし次の瞬間。
「わー待って待って!」
お隣さんちの扉、その数センチ開いた隙間からこんな声が響く。
「乃亜ちゃん?どうしたの」
覗き込もうとすると「あーやめてー!寝起きなんじゃースッピンなんじゃー!」と悲鳴を上げる。
「アタシも行きたい!顔作ってくるんで、下でちょい待っててください!」
数秒前に送ったメッセージで飛び起きたらしい。
そんなこんなで本日は、2人と1匹での散歩となった。
いつも乃亜が使っているというコースを進む。人通りが少ない路地を抜け、河川敷で川風を感じながら歩く。
「いやーカジさんがいると変な感じー。タクトも何かソワソワしてるし」
乃亜が初めて梶野に見せる私服姿は、黒のワイドパンツに白Tシャツと、寝起きなだけにシンプル。
ただタックインすることで足の長さが強調されており、制服姿と比べてスタイルの良さがより際立っている。
「久々になっちゃったからねぇ。ここ歩くのも何ヶ月ぶりだろう」
「そんなこと言ってると、鬼速で太っちゃいますよー」
そう言って梶野の脇腹を突く乃亜。
その途端、不満げな顔をする。
「……カジさん、ぜい肉を家に忘れてきてませんか?」
「いや着脱できるもんじゃないよね、ぜい肉って」
「そうか、アレだ。母親の腹の中に脂肪細胞を置いてきた人種だ」
とにかく痩せっぽちな梶野が気にくわないらしい。
「昔から太りにくい体質なんだよ」
「やだっ、憎たらしい!憎しみマインド!」
マインドが口癖だと気づいたのは、最近のことである。
「アタシなんて最近お腹がポヨッからポニッになって喜んでたのに!」
「擬音の違い独特すぎて分からんし」
「ほらっ、触ってくださいよ、ほら!」」
「いやいいから!」
乃亜は梶野の手を掴み、お腹を強引に触らせようとする。
公衆の面前での謎すぎるハレンチ行動に、梶野はうろたえる。
「あら乃亜ちゃん、おはよう」
不意に、チワワを連れたおばあさんが声をかけてきた。乃亜は即座に反応。
「あ、かわもっさん。おはようです」
「教えた唐揚げレシピ、試してみた?」
「いやーまだっす。でもしっかり頭に入ってるんで、近々作る予定っすよー!」
どうやら顔見知りらしく、2人は自然に会話している。
「(顔広いなぁ)」
仲睦まじげな様子のJKと老婦人。なかなかエモい光景だと、梶野は感心する。
「それで、あなたがタクトくんの飼い主で、乃亜ちゃんの親戚の人かしら?」
「え?」
そこで乃亜がこっそり耳打ち。
「そういうことにしといたっす。隣人だと若干アレでしょ?」
「ああ、なるほど」
理解した梶野も話を合わせる。
他人同士であるアラサー男とJKが交流を持っているというのは、少々聞こえが悪い。それがたとえ隣人だとしてもだ。
乃亜が意外にも気を回していたらしい。
「タクトくん可愛いわね。キャバリアでしょ?」
「はい、たぶん」
「たぶん?」
「えっと、実は拾った子なので正確なことは分からないんですよ」
この回答にはおばあさんだけでなく、乃亜も驚いた表情をする。
「あらそうなの……いい人に拾ってもらえてよかったわねぇ」
撫でられると、タクトは気持ち良さそうに目を細めた。
おばあさんと別れると、乃亜は真っ先に質問する。
「タクトって捨てられてたんですか?」
「マンションの近くの、奥まった所にある公園でね。遊具にリードがくくりつけられた状態で何時間も放置されてたんだ」
「最低……」と乃亜は眉をひそめる。
梶野がタクトを発見したのは、図書館に行く途中のことだった。きっと飼い主がどこかにいるのだろう、と初めは予想していた。
しかし数時間が経ち、梶野が戻ってきた時もタクトはそこにいた。
「最初は警察に任せようと思ったんだけど、そういう犬の処遇って大抵悲しいものになるでしょ。こいつのキレイな瞳とか人懐っこい態度を見ていたら、かわいそうになっちゃって。連れて帰ってきちゃった」
最後に梶野は情けなさそうに苦笑する。
「でもいざ飼っても、散歩とか人に任せてるんだから、僕も大した飼い主とは言えないんだけどね」
「……そんなことないっす」
乃亜は、ほんのり湿っぽい口調で告げる。
「タクトはカジさんに拾われて、ほんとに幸せだね」
少し派手めなメイクの乃亜が見せたのは、素朴で無邪気な笑顔だ。
「そうだといいけど」
「そうっすよ。アタシもカジさんに拾われて良かったー」
「いや拾ってないから。人聞きの悪いこと言わないでよ」
「えー似たようなもんでしょ。アタシとタクトはチーム『拾われ』っす!」
「なんだそれ」
笑い合う梶野と乃亜。
タクトは嬉しそうに、今日も河川敷を闊歩するのだった。
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