エピローグ

第38話 友達以上ほにゃらら

 セミが鳴き始めると、逃げるように雲は消え空を彩る。


 窓を開ければ入ってきた冷たい風も今は懐かしい。寂しさを消し飛ばすような暑さが今年もやってきた。


 我が家ではようやく冷房の使用許可がおりたので、虫取り網を片手に走る近所の子供に汗を滲ませつつ部屋を密閉する。


 反応の悪いリモコンを何度か押して、ようやく出てきたのは生ぬるい風と埃っぽい臭い。自分で付けたくせに、心地の悪い風を避けるように寝そべった。


 今頃空気が循環している頃だろうか。目では見えないけど、肌では感じる。実際そういうことがこの世界では多いのだと、あれから少し経って気付いたのだった。


 未来というのは時間を差すものだと聞いたことがある。ならここでは将来という言い方が正しいということになる。そんな将来は、形を成さない。どんな風に私を取り巻き、どこへ連れて行ってくれるのか、皆目見当もつかないのだ。


 それでものらりくらりとやっていてはダメなのだろうなと肌に触れる空気で判断する。そういえば生ぬるい風が消えたな、と体を起こす。


 高校二年目の夏にもなると、すでに進路を決める人が多く、先生や親からも指摘されることが増えた。


 基本的に、自分のやりたいことをやればいいらしい。じゃあゲームしてたいと言うと、毎回呆れられる。そんなにゲームが好きならゲームの専門学校にでも行けばいいと言われたけど、そういうのじゃないのだ。


 結局、行きたい道を進めというのは建前で、実際には現実的に妥協が可能な安定した道を探せということだった。


 それは、歩く方も、見送る方も楽だなぁと思う。楽な方へ楽な方へ流されていく。人はみなストレスを嫌い、何の変化もない平穏を望む。それは痛いくらいにわかるから、私も肩の力を抜いて流されることにした。


「咲良、起きて」


 部屋がだいぶ涼しくなってきたところで、布団にくるまって寝ている咲良を揺らす。


 夏休みに入ってから、毎晩のように咲良とお泊まりをしている。たまに私が咲良の家へ出向くこともあるけど、基本的には私の家だ。勉強の為と言うと、お母さんも許してくれる。というか歓迎していた。


 テーブルの上で開きっぱなしなノートには数式が羅列されており、それが途中で三角やら四角になって最終的にはただの落書きになっている。


「おーい、聞こえてますかー」

「んー・・・・・・」


 私が耳元で呼びかけると、体を反対に向けられてしまった。


 咲良は結構、朝に弱い。こんな感じで寝起きもよくないし、体を起こしたかと思うと目を擦って再び突っ伏してしまうこともある。低血圧なのだろうか。今も私に背を向けてうにゅうにゅ言っている。


 パジャマがめくれて白い背中が丸見えだ。もう少しで見えそう。・・・・・・なにがだ。


「もうお昼になっちゃうけど」


 昨日寝たのが二時過ぎだったから、生活リズムがめちゃめちゃだ。なんだか体が怠くて頭がぽわぽわする。


「私も寝よ」


 ここで寝たら起きるのは夕方だろうけど、睡眠欲には逆らえない。それに、咲良の寝顔を見ていたら私ももう一度夢の中を体験してみたくなった。シャーペンは当分握りたくない。


 夢の中では、一体何を握らされるのだろう。ハンドルか、はたまたナイフか。睡眠が浅くなりそうな、バイオレンスな夢は避けたい。


「あぁぉよななかぁ」


 なんか波のような声が通り過ぎていったような気がした。ウネウネしてて、粘っこいリズムと抑揚である。


 瞑りかけていた瞼を上げると、咲良の眠そうな目が私を捉えた。


「おはよう咲良。さぁ、勉強しようか」

「ぷーん」


 蚊でも飛んだような声だった。


「咲良、まだ眠い?」

「バリバリ」

「もうちょっとだけ寝ちゃう? 勉強は夕方でもいいし」

「むぅ」


 お尻が最初に上がって、そのあとのっそりと体が付いてくる。目尻に涙を浮かべた咲良があくびを終えると、前髪を手櫛で整える。


「夕方に勉強はする気起きない。ゼッタイ。自信ありけり」

「では速やかに布団を畳むで候」

「御意」


 ぎょいぎょいと、起きかけの体を動かす咲良。ワンピース系のパジャマだから、もう少しで見えそう。・・・・・・だからなにが。


 そういえば昨晩何度か中身を見てしまったけど、夢との区別はついていない。確認しなきゃと咲良に合わせて私も屈む。


「白だよ」


 そんな私を見かねてか、咲良が笑いながら手で裾をめくってくれる。わお。


「夢じゃなかった!」

「いやいや、なんの話?」


 こっちの話、と誤魔化すと、咲良が枕を投げてきて顔面に直撃する。


「んし、大分目覚めてきた。おはよ、奈々香」

「おはさく」

「省エネだねぇ」

 

 一度背伸びをして、咲良がぺたりと座り込む。開きっぱなしのノートを恨めしげに見ていた。


「大学受験ってさぁ、もっとがんばらないといけないんかな」

「どうして?」

「勝手なイメージだけどさ。寝る間も惜しんで勉強して、参考書読みまくって、それでも受かるかどうかはわからないみたいな。過酷なカンジだと思ってたから」

「あー」


 私も座って、目の前のノートを睨む。


 たしかに、大学受験に向けて奮闘する人間は落書きなんてしない。そもそも友達と一緒にお泊まりするような気楽さは最初に捨てるのだろう。


 というか、夢を追いかける人間なんて等しくそういうものだ。


「別に東大目指してるわけでもないし、近場の田舎大学に入れさえそれでいいんだから。いいんじゃないかなぁ」

「あははっ、気楽極まってんね」


 クラスにはファッションデザイナーを目指す人や、医者を目指す人が数人いた。昔から目指していたらしく、進路調査表には迷わず書いたと言っていた。


 そんな風に自分の目指すべき場所が明確にあって、人生を彩るものを決めている人は思ったよりも多い。そういう人たちと比べると、明確なビジョンも見えずに大学を目指す私たちのような人は少々軽薄に感じてしまう。


 どっちが正しいとか、人生的に価値あるものなのかとか、そういう疑問がないわけじゃないけれど。普通の会社員で溢れているような世界でそれは愚問である気がした。


 世間的な観点で見ればまぁ、どっちがすごいとか尊敬できるとかはある。あるんだけど、身の程を知った割り切った行動というのはそれなりに自分の人生を彩ってくれることも知っているので負い目や後悔は特に感じない。


 それに、当人が幸せならそれでいいのだ。


「でも、東大目指せって言われても私行ける気がする。だって地球のためにあれだけがんばれたんだもん。ちょっと勉強するくらい楽勝だって」

「たーしかに。じゃあ休み明けにでも先生に話してみる?」

「やめとこう」

「えぇ?」

「や、私にはたしかにそういう才能が眠っているんだけどね? 別にやっぱ無理っていうんじゃないんだけどね? ただね、いいかなぁって。私はどっちでもいいから、東大なんて行こうと思えばいけるんだけどね」


 まくしたてるように喋ると、マフィンを口に咥えた咲良が「ほっかぁ」と適当に相槌を打つ。だんだんと咲良の態度が軽くなってきたような気がする。


 それが仲良くなったからなのか、それとも私に飽きてしまったのか。え? そんなことないよね?


「咲良、私に飽きちゃった?」

「うえっ!?」

  

 落としそうになったマフィンを慌ててキャッチして、咲良が目を丸くする。


「愛を感じないよぉ。えーんえーん」

「わ、わ! ちょっと泣かないで奈々香。ごめんねあたしそういうつもりじゃなくて、えっと・・・・・・」

「わーん咲良のばかばか」


 ひぃんひぃんと瞼を擦る。泣き喚くというよりは、ロバのようだった。ヒヒン。


 バレバレの嘘泣きだけど、咲良は顔を真っ青にしてオロオロしていた。目をぐるぐる回している咲良はなかなかレアだ。写真に収めて後で見せてあげたい。


「あぇ、お」

「いぁ」


 なんだかわちゃわちゃしている間に、母音だけで会話をしてしまった。咲良は照れて、私は突然握られた手に照れて、呂律が回らない。


 手を握ることは今までにも何度かあった。咲良の手は温かいし柔らかいし、触れているだけで心が落ち着く。まるで温泉のような効能があった。


 けれど最近になってから感じる熱の種類が変わったような気がする。前とは真逆に、心が落ち着かない。じっとりと手に汗が滲み、舌の奥を甘酸っぱい何かが通過する。まばたきも忘れて、握っている間は互いに無言になる。


「な、奈々香のことは。これまでもこれからも、ずっと、大好きだから」

「う、うん」

「大好き、だから」


 目を合わせることもできない。大好き大好きと連呼されて、私の視線は羽虫のように部屋を漂う。


 一緒にお泊まりして、勉強。昼頃に起きてだらだらお喋り。やってることは友達同士ならごく自然なこと。


「わ、私も。だよ」

「ん、なにが?」

「だから、私も」

「うん、ちゃんと教えて」


 あわあわと口が波打って。声に出す。いや、出てない。じゃあもう一回。


 好き。


 今度はきちんと外に出てくれただろうか。咲良を見ると、いまだに私を見ていた。距離が近い。


 恥ずかしくて、咲良の肩に頭を預けて脱力するとそのままズルズル。太ももの上に落ちる。


「ぶも、ぶもぶも」

「なんて言ってるかわかんないって」


 けらけら笑って、頭をわしゃわしゃされる。


 はたして、これも友達同士では当たり前のことなのだろうか。手を繋いで、膝枕をしてもらって。


「奈々香、こっち向いて」

「うん。あ」

「んっ・・・・・・」


 こんな、こともして。幸せを感じて、胸がドキドキして。


「ノート、閉じちゃおっか」


 ぱたん、とノートを閉じる音。咲良のいじわるな笑みは背筋をなぞるように沿っていく。自然と口をキュッと締めてしまう。


 友達、ではないなぁ。


 心の中で自嘲気味に笑った。


「ね、このまましちゃおうよ。いいっしょ?」


 そんな聞き方はズルい。私だって頷くしかない。


「じゃあ・・・・・・」


 冷房の音が止むと、風鈴も鳴りを潜める。二つの息遣いだけが部屋を支配した。


「「ゲームしよっか!」」

 

ノートも筆箱も視界に入らないように奥へ追いやって、お菓子とお茶をドン! ゲーム機ピッ! コントローラーガシッ!


「今日こそ奈々香に勝つんだから!」

「ふっははは。返り討ちだよワトソン君」


 将来の事とか、勉強とか、ワトソン君が誰だとか今はどうだっていい。


 せっかくの夏休みなのだ。これを楽しまない手はない。


「って、あれ!? 咲良この前より強くなってない!?」

「インターネットでめっちゃ調べたかんね! ほら、この壁ハメとか!」

「うわっ、ちょっ! 咲良、あの! 咲良さん!? これ抜けだせな・・・・・・あれっ!?」

「あ、そうだ。この際だから負けたほうは罰ゲームってことにしない? ええっと、内容は・・・・・・」

「は、ハメながらそんなこと言うのズルくない!?」

「あっ、いいこと思いついちゃったぁ」

「あれれ? 咲良、なんかすごい悪い顔してるけど。ねぇ、事前に教えてくれない? ちょっ、あれ? 咲良?」


 抜け出せない。抜け出せないなぁ。


 これからもきっと、このままズブズブと深い所まで墜ちていくんだろうなぁ。


 でも、それがいい。


 気楽の極み。


 友達というにはやや距離の近すぎる、そんな関係にハメられて。


「やった~! ストレート勝ち~!」


 咲良の嬉しそうな顔に、私はノックダウンするのだ。

 

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