第36話 ひとつの星の上で、私は愛を知る

「んっ・・・・・・」


 迫り来る炎が熱い。けど、口元はさらに熱い。


 目を閉じた暗闇はうるさく、けれど息遣いをたしかに感じる。


 キスってなんだろう。したこともないのに、やり方を知っている。蜘蛛の赤ちゃんは誰に教えられるわけでもなく巣を張るらしい。生き物ってみんなそうだ。心の奥底に、本能的な何かが眠っている。


 じゃあ、キスも本能的なものなのだろうか。


 遺伝子に刻まれた、機械的な行為なのだろうか。


「ん、んん」


 だんだんと息が苦しくなってきた。けど、離したくない。なんだろう。触れているだけで、気持ちいい? っていうと変態っぽいから、心地良いと言っておきたい。


 手を握っている感覚と近いけど、それよりも胸がキュッとする。締め付けるようではなく、跳ねるようなものだった。


 立てたつま先が震え始める。咲良のほうが背が高いから、背伸びしないとキスできない。それも照準を誤ったのか下唇をついばむような形になってしまっている。評価をするなら、下手なのかもしれない。


 顔って、ちょっと傾けたほうがよかった? 正面からだとごっつんこしたみたいだ。もっと大人っぽく、官能的なものがキスだった気がする。


 私のは少し、小鳥のようだ。


 そう、私は小鳥だ。小さい、自分で飛ぶこともできない弱い存在。だからこうするしかない。


 届け、届けと。


 唇を通して想いを流し込む。


 初めてにしては長いキスだったような気がする。


 唇を離すと、目をぐるぐる巻きにした咲良がそこにいた。


「みや、みゃ」


 なんだか、ええ? 猫のようになっていた。こんな咲良は珍しい。


 バックで燃えさかる炎よりも、その頬は赤かった。


「にゃ、にゃにゃか!?」


 ふにゃふにゃと輪郭の溶けきった口が波打って、やっぱり猫のようだった。猫耳とか、似合いそうだ。


「にゃ、きゅうに、へぇっ!?」

「ごめんね咲良」


 謝る。謝るけど、ここで深刻な顔をしたらきっと咲良にもそれが移る。咲良は優しいから、人の感情をすぐに読み取ってしまうところがある。だから私は、笑いながら言う。


「好きって言うの忘れてた」

「え?」


 聞き返された。まぁ、周りがうるさいから。


 じゃあ、こうすれば聞こえる?


 咲良の腕をギュっと抱く。いつかのように、正面は恥ずかしい。横から、顔を埋めて、もう一度。


「好きって言うの、忘れてたわ。はっはっは」

「奈々香・・・・・・」


 デコピンでもされるだろうか。もしくはゲンコツ? それは、星が飛びそうだ。縁起でもない。


「ん、いいよ。許す」


 抱きしめる腕から振動を感じる。


「伝わってるよ。だから、安心しなって」


 髪をすくわれて、視界が明瞭になる。咲良は歯を見せて笑っていた。


「・・・・・・ふざけるな! たったそれだけで、それだけの行為で信じるのか!」


 ノンケ星人の声にもう威厳はない。焦った様子でまくしたてるようだった。


「・・・・・・そいつは、好きと口にすることすらなかった癖に、それを指摘されるや否や誤魔化すように口づけを交わしたのだ! そんなことが許されるか!? 丸め込まれているだけだ、騙されているだけだ!」

「ちょっと! そんなんじゃないんだけど!」

「・・・・・・嘘だな。なら何故もっと早く行動に移さなかった。それはお前の意思が歪んでばかりで形を成さなかったからだ。何もかも先延ばしにするのは人間の愚かな生態の一つだ。お前も、お前達も! その愚行の一部となっているにすぎん! 禁忌を犯して尚、生物を愚弄する気か!」


 もっと言い返したかったけど、ノンケ星人の言うことは間違っていなかった。私は愚かだ。どこへ言っても後悔ばかり。まるで首輪を付けて連れ歩いているように付き纏って離れない。


 私がもっと早く咲良に想いを伝えていれば。もっと早くこの気持ちに気付いていれば。そもそも世界が滅ぶこともなかったのだ。


「・・・・・・くはははは! 剥がれていく、剥がれていくぞ。そうだ、所詮は歪んだ愛。いずれはこの世界の法則に正されていく運命なのだ! お前達が選んだ道は過ちだ、泥を被ったように臭く、穢らわしい。万物に反した罪だ、受け入れる他ない! 大人しく交わりを断ち切って――」

「いいけどね」

「・・・・・・なに?」


 咲良が、鋭い眼でノンケ星人を睨みつける。


「あたし、知ってるし。奈々香が不器用なことも、ちょっと口下手で、会話が苦手なところも」

「えっ!? バレてた!?」


 私が飛び上がると、その頭を撫でてくれる。


「うん。だから、ぜんぜんいいし。そうやって悩んで、転んで。でもぜったい立ち上がるのが奈々香だって、あたし知ってるから」

「咲良・・・・・・」

「そんな奈々香が、あたしは好きなんだ」

「うわーん! 咲良!」

「よしよし」


 じんわりとしたものが瞳に溜まって、外に出る。汗は炎に消えるのに、涙は咲良に落ちていく。受け止めてくれているようで、それが嬉しくて咲良の腕にもっと顔を埋める。鼻水が伸びた。


「・・・・・・に、偽物だ! 間違いだ! お前達は何も分かっていない! 正しさを見失い、異常を正常だと勘違いしている! そんな間違った愛、俺は認めない!」

「間違いかドうかは、我々ガ証明しよう」

「・・・・・・なんだと――ガハッ!」


 しらちゃんの声が遠くから聞こえたかと思うと、辺りの騒音は消えていた。炎も、崩れる瓦礫も。黒ずんでいた空も晴れ、地獄のようだった廊下には太陽の光が射していた。


 そして、決して破ることのできなかった強固な鎧を、しらちゃんの触手が貫いている。先端には緑色の液体が伝い、同じものがノンケ星人の口からも吐き出された。


「・・・・・・所詮下等生物のお前が、何故俺の体を・・・・・・」

「これガ証明だ」


 そして何本も、連なって串刺しにする。鉄と鉄を擦り合わせたような不協和音が轟くと、その巨体がついに床に倒れた。


「分かるカ。このみなぎル力が。辺りに舞ウ、無限にも近イ粒子を」

「・・・・・・まさか」

「これがキマシニウム。尊い百合かラ発せられル、どんなもノよりも強いエネルギー物質ダ。綺麗だろウ。彼女達の愛を、この星が肯定しテいるのだ」

「・・・・・・そんなもの――ウグッ!」

「貴様の負けダ。ノンケ星人」


 勝負、あった。


 でも、ノンケ星人はまだ諦めていない。咲良を睨んで、ぐちゃぐちゃの口を動かした。


「・・・・・・はぁ、はぁ! ふざけるな。お前! お前はまだ子供だ! 形成途中の心は不安定で、正常でない感情を抱いてしまうことも多々ある! だがそれは幼さ故だ。成長すれば、いずれ自分の過ちに気付く。早まるな! お前はまだやり直せる!」


 それがきっと、最後の抵抗である気がした。でも、最後であるからこそ気をつけなければいけない。窮鼠ですら猫を噛むのだから、宇宙人は何をしでかすかわかったものじゃない。


「んー、まぁ大丈夫っしょ」

「・・・・・・何故だ! 白い目で見られるぞ! 歪んだ愛を見過ごせるほどこの世界は柔軟にできていない。いずれ道は先細り、別の道を歩むことを余儀なくされる! これは脅しではない、同じ生物として忠告をしてやっているのだ!」

「あー、たしかに。ウケるね」

「・・・・・・軽率だ、醜い。無知で、哀れ。お前は・・・・・・ハリボテだ。中身の何も無い、今だけよければ全て良しと都合の悪いことを諦めた見かけだけのハリボテだ!」


 それは、禁句かなぁ? と思ったけど、変わったのは私だけじゃない。咲良もきっと、何かを経て、ここにいるのだ。


「ノンちゃんから見ればそうなのかもね。けど、あたしは奈々香を信じるよ。奈々香がハリボテなんかじゃないって言ってくれた、あたしを信じるよ」

「・・・・・・宇宙を統べる俺よりも、そんな頭の悪そうな人間の言うことを信じるのか!」

「大好きだからね」


 おおう。


 ビックリした。突然の告白。けど告白ってそんなようなものなのかもしれない。見習おう。ところでノンちゃん誰。


 私の肩に回された手に力がこもる。それがすごく頼もしくて、安心する。自分に向けられた想いを再確認すると、再び体が熱くなる。心臓が喜び踊るようだった。


「終わりダ。ノンケ星人。貴様の正しさハ、この地球じゃ通用シない。無限の愛に敗れたノだ。いいジャないか。ロマンチックな死に様で」

「・・・・・・どうして、これが男女じゃない。種を残せる交配を前提とした愛なら、俺だって祝福した。これほどの強い愛だというのに、なんと勿体ないことか」

「それハ違うな。彼女達だって自分ガ普通でないことを自覚してイる。同性を好きニなるなドおかしいト。それでモ、好きニなってしまうのだ。それが百合であリ、真の愛なのダ」

「・・・・・・クソ、クソ! お前達が普通なら、正常なら。こんなことにはならなかったのだ! 無駄な抵抗もせず、この星と共に朽ちていけたというのに・・・・・・!」

「それモ違う。運命にすら抗えた彼女達が、自分の感情には抗えナかったのだ。過去や未来がどうなっていヨうが、結末は変わらなイ」


 明けた空を、鳥が飛ぶ。いつも通りの光景に、私と、咲良。そして死にかけの宇宙人とウネウネ触手。うわあ、カオスだ。


「・・・・・・待て」


 こんなところ、誰かに見られたら大変だ。説明のしようがない。うまく説明できたとしても、今度はあちらが納得しようがない。


「・・・・・・ちょっと待て」


 とにかく、早めにケリをつけてここから脱出したほうが良さそうだった。


「・・・・・・お前、なんだそれは」


 咲良も同じような考えらしく、窓から見える外の景色を気にしているようだった。けど、宇宙人同士のよく分からない会話は割り込むタイミングが見当たらない。なんだか難しい話をしているようだ。


「・・・・・・キマシニウム? 確かに、それはそこの二人からも発せられている。だが、これはなんだ。お前から感じるその膨大なエネルギーはなんだ。あり得ない。そもそもおかしいのだ。未来と過去を行き来し、運命を変える? そんな簡単に世界のルールに抗えるものか。なんだ、なんなんだ。その、宇宙レベルの力は」

「なにを言っていルんだ貴様ハ」

「・・・・・・そんな膨大な力、どこで手に入れた。いや、生まれたのか? まさかお前にんげ――」


 グシャ!


 ハンバーグを打ち付けたような音がして、私の足下にコロコロとちっちゃい玉が転がってくる。そこには眼が付いていて、これがノンケ星人の本体なのかもしれない。


 巨体は溶けるように灰となる。地に着くと、それは黄色く変色し砂となる。懐かしい粒子が、風に運ばれるのを見送った。


「・・・・・・それで、いいのか。お前は、憧憬を夢に見ないのか」

「先程から貴様ノ言っていることハ理解でキない。死の淵で幻ヲ見たか」

「・・・・・・記憶を奪われているのか。いや、無かったことにされているのか。くははっ、なんと、悲しき存在よ。お前は一生、宇宙が消えてからこの世がなくなるまで、報われることも救われることもない。お前の望みは塵となり宇宙の果てに封印されているのだからな」


 眼しかないのに、どうして喋れるんだろう。不思議だなぁと覗き込む。


「・・・・・・誠に、悲しき存在よ」


 その眼ですら、今から朽ち果てようとしているのが見てわかった。光を失い、形が崩れていく。


 ノンケ星人のせいで、いろんなことがあった。世界も滅んだし、大切な人も殺された。


 愛だとかなんだとか説き伏せられてカチンと来たけど、ノンケ星人のほうも、決して間違っているとは思えない。


 私たちは正義をぶつけ合っていたわけじゃない。ただ自分が信じるものを信じたかっただけなのだ。


 私は屈んで、その消え行く眼に言った。


「また生まれ変わって、もしどこかで会うことができたら、今度はこんなじゃなくて、ゆっくり話そ? 私もみんなも、相談に乗るよ」

「・・・・・・」

「次は、誰かを好きになれるといいね」

「・・・・・・ああ」


 その眼は眠るように、閉じる。瞼はないけれど、体もないけれど。ただ砂になるだけだけど、そんなように感じた。


「ノンちゃん・・・・・・」


 私と同じく屈んだ咲良が呟く。しらちゃんに続いて、今度はノンケ星人にまであだ名を付けたらしい。


 好きって、難しい。いろんな形があって、いろんな道があるからこそ迷ってしまうし反発もしてしまう。


 けど、行き着く先はみんな一緒なのだ。たとえ理解できないものだとしても。


「奈々香」

「うん?」

「もっかい、好きって言ってほしい」

「いいよ」


 私たちは、結局誰かを好きになる。


「好きだよ、さ、さゃく。さくれ。しゃくら、しゃくれ」

「しゃくれてるんだけど」

「元気があればなんでもできる」

「たしかに」

「咲良がいればなんでもできる」

「お? それって告白?」

「・・・・・・・・・・・・」

「あ! こら逃げるな!」


 戦いの爪痕だけを残した廊下を、私は走る。ジャリジャリ。ガラスの砕ける音がした。硬い何かを破る、小気味良い音だ。


「キスしたんだから、それくらい恥ずかしがるなー!」

「わぁっ!? それ言わないで!」


 そうか、私はキスをしたのだ。これじゃあ、友達の範疇を超えている。うーん? でも仲が良い友達同士はキスくらいするのかな? 手は繋ぐかもしれないけど・・・・・・んー、わからん!


 ともかく、終わったのだ。


 出会いから始まって、未来と過去を行き来して、宇宙人と戦って、誰かを好きになって。


 いろんなことがありすぎた日々が、ようやく終わって。また新しく始まろうとしている。


 相変わらず足の遅い私はすぐに咲良に掴まってしまう。後ろから抱きつかれて、わぁっとよろめく。


 咲良の息遣いを耳の裏で感じて、目を合わせていない今なら、言える気がして。私は俯きながらも伝えてみる。


「ずっと前から・・・・・・ううん。ずっと後から好きでした」


 口にしてしまえば、それは自分自身を熱くする。けど、充実する。幸せが広がって、ここを離れたくなくなる。咲良のいない世界なんて考えられない。依存と好きの境界線ってどこなんだろう。


 いつしか私が好き好き言って離れなくなる日が来るのだろうか、もしくは咲良のほうか。・・・・・・両方だな。両方だと、いいな。


「なにそれ」

「ええっ! せっかくちょっと考えてエモい感じに言ってみたのに」

「えー? いいよそんなの。奈々香は奈々香らしくいてくれたらいいからさ」

「そう? じゃあ」


 厭世的な視界はもう姿を消して、光の射した景色は煌煌と輝いていた。


 嫌なことも辛いこともあったけど、その全部が全部私のもので忘れちゃいけない大事なことで。背負っていかなくちゃいけないものなんだ。摩耗して、困憊して、だからこそ光を放って世界を照らしてくれる。


 なーんて、難しいことはわからない。


 生まれてきた意味なんてわからないし生き物として何をすべきなのかもわからない。わからないことばかりだ。そんな真っ暗で不明瞭な世界をこうして歩き続けられるのは、きっと私の大好きな人のおかげなんだろう。


 だから私は、私らしく。


「しゅき」

「あははっ、うん」


 噛みっ噛みに、生きていこう。

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