第33話 切れることのない小さな糸

 私たちを狙った明確な殺意。


 その瞬間、そいつの首にオレンジ色の筋が浮かぶ。それこそノンケ星人の唯一の弱点だ。


 ノンケ星人の攻撃を間近で何度も見た私なら、限りはあるけど避けることはできる。やがて軌道を修正して確実に私を仕留めようとした一振りに、姿を隠していたしらちゃんが触手を絡ませる。


「ナイッス! しらちゃん!」


 咲良が前に転がって、ノンケ星人の背後に回る。


 怖いはずなのに、足が竦んでしまいそうな状況なのに、咲良は足を止めない。ギャルは宇宙人とも戦えるらしい。やっぱりギャルってすごいのか。うーん、そうではないか。


 咲良が、すごいのだ。


 それは初めて私の憧れた強さで、私が一生宿すことのないと思っていた情熱。真っ直ぐで、純粋で、自分に厳しい。停滞を嫌って変わろうと思えるその強固な心は、私にほんの少しお裾分けをしてくれた。


「おりゃ!」


 しらちゃんが爪を縛ってくれているので、私は大きな腕にしがみつく。岩のように見えたそれは、以外にも柔らかい。本当につみれなのかもしれない。田楽味噌が合いそうだ。


 咲良がポケットから取り出したのは黄色いシャーペン。けど、それで充分だ。少しの傷さえ付けることができれば、そこを起点に体が崩壊を始める。


「って、ありゃ!?」

「咲良?」


 突然、飛びかかろうとした咲良が動きを止めた。


「どうしたの!?」

「光ってないんだけど! あれ!? ここじゃないっけ!?」


 咲良の顔には明らかに焦りが見えた。光ってないって、どういうこと?


「ちィ!」


 ノンケ星人を拘束していた触手が解け、私と咲良を弾き飛ばした。


 その瞬間、ノンケ星人の体が赤く変色し、黒い炎が周囲を覆う。肌を焦がすような熱を感じながら、私たちは廊下を転がった。


「ど、どういうこと!? 弱点あるんじゃなかったっけ!?」

「親玉ダ」


 しらちゃんは短く答える。けどそれだけで、理解できてしまう。


 ゾンビのゲームでも、頭を打っても死なない奴が稀にいた。そういうのは大抵、ボスなのだ。


「・・・・・・愚かだな。人間も、お前も」


 しらちゃんが助けてくれなかったら私たちは今頃黒焦げのかりんとうみたいになってたかもしれない。焼け焦げたスカートの端がそう言っていた。


「・・・・・・結果は同じだぞ」

「だガ、前進はしタ」


 しらちゃんが前に出て、私と咲良は埃を払って立ち上がる。しらちゃんの背中がすごく頼もしく見える。それが背中なのかは・・・・・・わからないけど。


「しらちゃん、ここからどうするの?」

「作戦ハ失敗、交渉モ決裂。そうダな、できルことと言えバ、逃げルことだ」

「で、でも! ここ学校だし、みんながいるし!」


 私たちが逃げたところで、事態は進展しない。それどころか関係のない人たちまで巻き込んでしまう。


 窓からグラウンドを見下ろすと、まだ先生が台の上で話をしているところだった。生徒たちはそれを聞いたり、座ったまま寝ていたり、異常に気付いてこちらを見ている人もいた。


「全員避難すル時間くらいハ作れる。今回も、失敗ダ」

「今回も・・・・・・? それってどういうこと?」

「だガ、無駄ではナい。徐々に前ヘ進んでいル。今はソれでいい」

「ちょっ、奈々香もしらちゃんも、一旦離れた方がいいって!」


 咲良に手を引かれて後退する。自分の髪が焼け焦げた臭いを放っていることにそこで気付く。しらちゃんも、白い触手が黒ずんでいる。


「・・・・・・異端者にはそれ相応の結末しかおとずれない。それはお前が一番よく分かっているはずだ」

「抗う。それガ異端者ダ。貴様のほうモ、分かっているのだロう」

「・・・・・・納得はしよう。だが理解の外だ」


 二人が話している会話の内容にはいまいちピンと来るものがない。


「よく聞ケ、我々の勝利条件はただ一ツ。貴様らが生き残るこトだ」

「それは、そうかもしれないけど。じゃあしらちゃんは? しらちゃんはどうなるの?」


 質問に返答はない。


 しらちゃんは前に囮になるから、なにかあったら逃げることを優先しろと言っていた。今がその、なにかあったときなのだろう。


 でも、あの凶悪な力を見た今ならわかる。しらちゃんはきっと、ここで死ぬ気なのだ。


「やっぱりダメだよ! 私も戦う!」

「そうだよしらちゃん! あたしだって、なにができるかわかんないけど。しらちゃんを置いて逃げるなんてできない!」


 咲良も私と同じ気持ちだった。


「その決断ガ、誰かヲ想うその気持ちガ、世界を滅ぼスと言っているンだ!!」

「・・・・・・ッ!」


 しらちゃんの咆哮に、私と咲良は伸ばした手を止める。


「・・・・・・無駄だ。人間の意志は、形を変える。変えるが故に、運命は自己の決断に委ねられる他ない。その者がお前を助けたいと思い続ける限り、この星は終わり続ける」

「そうイうことダ。なにがアっても、我々を助けようとハするな」


 諦めるようなしらちゃんに、私はかける言葉がなかった。我が儘は、きっと言えた。いやだ、みんなで助かろうって。でも、それは事態の好転には繋がらない。だから咲良も黙っているんだろう。


「どうする? 奈々香」


 さすがの咲良も困惑の表情を浮かべている。膝は擦れて血が出ているし、綺麗な髪にも埃と瓦礫の破片が付着している。


 本当は咲良にこんなことしてほしくない。逃げてほしい。傷付いてほしくない。もしかしたらしらちゃんも、私と同じことを想っているのかもしれない。


 それに。


 助けようとするなという言葉は、なにかが引っかかる。胸騒ぎのような、不快とも違う焦燥感。舌が乾いていくのを感じた。


「・・・・・・そいつの言うとおりだ人間。俺は人間を殺すだけではなく、存在自体を喰うことができる。お前達を喰ってしまえば、この無限に続く連鎖も終着を迎える」

「存在自体を・・・・・・? それってどういうこと?」

「・・・・・・この世から消えるということだ」


 人は死んでも、誰かの心に残り続ける。そんなようなことを、どこかで聞いた。じゃあこの世から消えるというのは、誰の心にも残らないということだろうか。


「・・・・・・無条件ではないがな。喰うには対象の名前を知っている必要がある」


 どこかのノートのようだった。けど、死神と言っても差し支えのないものがノンケ星人にはある。


「・・・・・・無数の輪廻の中で、俺はお前の真名をようやく把握することができた」


 大きな爪が、私を向く。


 私の、名前を知っている。ということは、私を喰う気なのか。背筋が凍った。だってそれは、死ぬよりも恐ろしい。


 存在ごと消えるなんて、誰でも怯んでしまう。それを自分から選択できる人なんてきっとこの世にはいない。


「・・・・・・そう、お前の名前は」

「マズい!」


 しらちゃんが庇うように私の前へ出る。


「・・・・・・佐藤ゆか、だ」


 ――え?


 一瞬、なんのことかわからずに咲良と目配せをする。その様子を見てノンケ星人が嘲るように笑う。


「・・・・・・お前達が先程から偽名で呼び合っているのは知っている。おそらく度重なる時間遡行の中で得た知識だろうが、それも無駄だ」


 しらちゃんも、驚いた様子で私を見つめている。そんな目で見られても、私だってわからない。だって、佐藤ゆかって。


 咲良が最初に当てずっぽうで言った名前だ。パン屋で初めて会話をしたときと、学校で名前を呼び合おうと決めたとき。それが、私の名前だとノンケ星人は言う。


「・・・・・・終わりにしよう。この戦いも」


 完全に思考が置いていかれていた。理解に及ばないことばかりで、唯一わかることは。


「・・・・・・」


 チャンスの糸が、見えたこと。


 私と、咲良と、しらちゃんで、目を合わせた。


 い、いけるかも。


 なんで勘違いをしているのか謎だけど、理由はどうだっていい。私をいつでも喰えると思ってノンケ星人は慢心している。隙はある。問題は、どうやって倒すかだ。


 他のノンケ星人のように首の弱点を狙う方法はもう無駄なことがわかっている。じゃあ、他にあの強靱な体を破壊する方法は・・・・・・。


「口の中、とか」

   

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