第32話 ミッション開始!

 ――ドクン、ドクン。


 けたたましく鳴り響く鼓動は誰でもない、私のものだった。


 ようやく喋り始めた先生の言葉も、耳鳴りのような轟く風にかき消される。そのくせ、そいつの一挙手一投足に布擦れのような音を聞く。


 どうして今? わざわざ学校へ来る意味は? 


 ただ一つの影が頭の中を混濁させていく。


 窓ガラスの向こう側で、ノンケ星人はただこちらを睨み続ける。一体、何を欲しているのか。選択は間違えられない。ここは学校で、みんなもいる。


 フラッシュバックするのは肉塊の山。宿すのは寂寥にも似た暗い感情。私は再び、ここに戻ってきた。


 グラウンドを占める白い雪がキャンパスに思えた。当然、絵の具は私たちだ。幼児の描く落書きのように、ぐちゃぐちゃに、飛び散ってしまうのだろうか。


 怖い。


 前までこんなこと思わなかった。失いたくないものが、増えたからだろうか。私にとってこの学校はすでにかけがえないものとなっていたのかもしれない。変化と成長の違いはわからないけど、そのどちらも良いことづくしではないようだった。


 足が竦んで、視界が振れる。


 どうすればいい? どうすれば誰も死なずにこの場を乗り切れる? 


 今もそいつは私を睨んでいる。刺激したくはないけど、自然消滅を待てるほどの猶予もない気がした。


 じゃあ、犠牲は仕方ない? みんなを助けるためなら少しの犠牲もいとわない? そんなの、私は――。


「奈々香」


 後ろから手を握られた。耳のすぐ後ろに咲良の顔がある。


「大丈夫だから」


 あの二人距離近くない? そんな声がどこかから聞こえた気がした。


「落ち着いてこ、作戦通り」

「・・・・・・うん」


 心臓は、うるさくなかった。


 握られた手のひらは、あの日の夜の柔らかさ。優しさ。温もりを思い出させる。ふかふかの布団に包まれているかのようだった。


 目の奥が痛くなるような惨状は、もう脳裏にない。


 頷くと安堵したように咲良も笑い、私は前を向く。

 

 咲良が大丈夫って言ってくれるのなら、大丈夫でしょ。依存のようなものが垣間見えたけど、きっとその正体は私の背中を押してくれるものだ。


「せ、先生」


 小さく呟いて、遠慮がちに手をあげる。


 すると、担任の先生が頭をかいてこちらに来た。


「お、お腹が痛くて・・・・・・いたた」

「すっごく辛そうなんで、あたしが連れていきます」


 二人して先生を見上げる。据わった目は光りを宿して鋭い。開いた口は、どう返答しようか迷っているようだった。大人でも、迷いはあるのか。なら私は迷い放題だ。そういうことではないか。


「はよいってこい」


 そうは言われたけど、先生は最後まで「こいつらサボりだな」みたいな顔をしていた。けれど、真実か偽りかはおそらくどうでもよかったのだと思う。周りの視線をこれ以上集めたくなくて、厄介者はとりあえず追い払おうという意図が力なく振られる手に見て取れた。


 私と咲良は頭を下げて早足で校舎の中に入る。緊張した面持ちのまま階段を駆け上がって、目が合うと二人で笑った。


「奈々香演技うまいじゃん! ホントに痛そうだった!」

「ま、まぁね。半分演技で、半分本当」


 細切れの息づかいで咲良と話すと、自然と口角が緩む。なんだか、悪いことをしているみたいで楽しい。


 三階を目指してえっさほいさと走る。前に一緒に走ったときは私のほうが先に力尽きちゃったけど、今は肩を並べて走れている。体力、結構付いたのかも? 咲良が外に連れ出してくれたからかもしれない。


 もしくは、途方もない距離を誰かと歩いたから、なのかもしれない。


 理由は不明瞭で構わない。今欲しいのは形ある結果だ。


「あっ!」


 踊り場から廊下へ抜けると、突き当たりのところにノンケ星人が立ち止まっていた。私たちの気配に気付いたのか、それとも待っていたのか。眼球はこちらへ向いていた。


「・・・・・・人間か」

「どうも、人間です」

「ちょっと奈々香」


 なんだか普通に会話をしてしまった。禍々しい異形に咲良は怯えているようだった。私は、うん。大丈夫。何度も見てもう慣れた。


「・・・・・・感じる。感じるぞ。生産性のない非効率的な生物の在り方を」

「説明するとね、なんか子供作る気ないなら付き合うなってことみたい」


 ノンケ星人の目が鋭くなった気がした。怒らせてしまったかも。せっかく分かりやすく噛み砕いたのに。


「で、こいつを倒すことが私たちの目的!」

「なるほどね!」


 挑発するように煽ると、ノンケ星人は静かに目を瞑った。


 咲良は一歩下がって、私は前で身構える。手のひらにはまだ温もりが残っている。大丈夫。


「・・・・・・そうか、あくまで対立するか。どうやら、あの群衆のなかに歪んだ愛は見当たらない。にも関わらずこの強力な反応。俺も、お前たち二人を滅ぼさなければならないらしい」

「で、できるもんならやってみろー!」

「そうだそうだー! このつみれ!」


 つ、つみれ・・・・・・。


 たしかに似ているかもしれなかった。白滝と、つみれ。宇宙っておでんなの? わお哲学的。突き詰めたら長くなりそうなので頭を振って忘れることにした。


 今考えることは、このノンケ星人を倒すこと。そもそも、こいつらさえいなければ私と咲良は今頃ウハウハランデブーのイチャイチャパラダイスだったのだ。そう考えると腹が立ってきた!


「おうおうあんたのせいでよー私の毎日が台無しなんだよおうおう-!」


 ――ジャキン!


 鋭い爪が音を鳴らして光る。


「すません」


 へっぴり腰で後ずさった。怖いものは怖い。それはダサい、と咲良から低評価をいただく。カッコよくありたい。


「どうしよう咲良、挑発の塩梅がわからないよ!」

「別に挑発する必要はないんじゃね? ほら、めっちゃやる気みたいだし」


殺意って、科学的に証明できるのだろうか。怪しいところだ。そんな不透明なものだけど、今はそれを肌に感じる。


 そんなに、怒ることなのだろうか。私たちはただ生きているだけだ。好きになったものを好きになって、嫌いなものを嫌いになって、その繰り返し。


 けどそう言ってしまえば、目の前の宇宙人も同じなのかもしれなかった。こうして私たちを憎むのも、台所で黒光りするものを見たような感覚に近くて、彼らにだけ非があるわけではないのかもしれない。


「・・・・・・お前達は、生きてはならぬ」


 そうして相手を慮る情を持ちながら、自分を曲げるほど優しくはないから人間は多種多様な生き物なのだ。


 廊下を生臭い風が通り抜ける。


 それは未来の私かと想像し、いや違うと首を振る。咲良の言うとおり作戦通りやって、日常を取り戻す。


 巨体が床を蹴り、校舎全体が揺らぐ。窓枠が音を立ててその強靱さを物語った。


 何度も、何度も見た。人が裂ける光景。きっとあの命は無駄じゃない。私の脳裏にはしっかりと形付いているし、この先へ行くのに必要なものだったと心の中で復唱する。


 人間の体を覆うほどの大きな爪、翻して避けるのは困難だ。そのリーチに人の可動範囲が追いついていないから、そもそも物理的に無理がある。


 だから、こちらから踏み込む。そうすればあちらの攻撃タイミングが早まって、避けるスペースができる。通用するのは一度限りかもしれないけど、それでも一瞬の隙を作れる、唯一の方法だ。


 身体能力はいらない。


 必要なのは、踏み込むことのできる勇気。

  

 前までの私なら無理だったかもしれないけど、今なら大丈夫。


 背中を押してくれるものがあるから。


 そう、背中を。


「ぎゃ!」


 びたん! と打ち付ける音がして。


「奈々香!?」

「わ、あ!」

「大丈夫!?」


 こ、転んじゃった!?


 気付くと私は床と睨めっこしていた。ピカピカに磨かれた床に自分の顔が映る。鼻先が赤い。


「あ、まってまって!」


 慌てて体を起こすけど、よく考えたら待ってくれるはずがない。むしろノンケ星人と対面する形となってしまった。


 でも、諦めたくない。走馬灯を見るのはもっと先でいい。楽しい思い出をたくさん積み重ねたその時でいいのだ。


 すぐに体勢を整えて、なおかつ咲良を守れる位置に戻る。


 けど、命を断つ切っ先はいまだ訪れなかった。


「・・・・・・もう、やめにしないか」

「え?」


 ノンケ星人の発した言葉に私と咲良は顔を見合わせる。


「・・・・・・何度も何度も繰り返して、結局同じ結果に辿り着く。虚しいだけだ」

「えっと、え? 私?」


 私が過去に戻ったことをノンケ星人は知ってるの? 同じ結果に辿り着くって、どういうこと?


「・・・・・・私も同じ生物だ。何も思うところのないわけではない。殺しはするが、それは生きるためだ。殺生を趣味としているのではないのだ」

「それって」

「・・・・・・今ならまだ間に合う。その歪な愛は捨てて生物の理に戻れ。そうすれば俺もこの星に用はなくなる」


 交渉だった。それも、超良心的な。


「・・・・・・その愛に未来はない。あったとしても、それはドス黒く染みたものだ。人は常識の外を生きられない、何故ならルールというものがあるからだ。窮屈な世界を作ったのも人間で、逆らう者を弾圧するのも人間だ。人間である以上、この先、歳を重ねていく以上、その愛は枷となる」


 低い、低い声だった。本当に、もしかしたらこいつは私たちを心配してくれているのかもしれない。


「・・・・・・今のお前達が宿す感情は子供が抱く夢に過ぎん。時間が経てばいずれ己の過ちに気付くだろう。そうした時、果たしてお前達は変わらぬ関係を築き続けられるか?」


 聞きたくないのに、その言葉はスッと体に入ってくる。それを許容できるほどの隙間があったのだろうか。未来と過去、そして今を生きた私にそれは、とても身近な話題であった気がした。


「・・・・・・一時の感情に左右されるな。後悔するのはお前達だ。その愛は偽物だと気付くのだ。絶縁しろなどと言っているのではない。修正するのだ、その感情を」


 咲良を見る。不安そうに、唇を噛んでいた。


「・・・・・・死にたくないだろう? 生きていたいだろう? ならば捨てるのだ。賢くなれ、人間の子供よ。その感情は、間違っている」


 正しいし、理にかなっている。


「・・・・・・どうしてもと言うのなら、そうだ。お前達だけを生かそう。地球を一度滅ぼし、新たな楽園を築く。そこでお前達だけで生きるのだ。その行く先を見届けるのも一興だ。どうだ、選択肢は二つあるぞ。まぁ、子孫を残せぬ生物に未来などないがな」


 私と、咲良だけの世界? ちょっと想像してみるけど、なるほど。それはなかなか魅力的だ。毎日泊まり放題だし大声を出しても近所迷惑にならない。


 そんな世界か、誰もが生きる代わりに自分を否定するか。選択肢があるなんて随分な大盤振る舞いだ。あれ? ノンケ星人って実はめちゃくちゃ優しいのでは?


「奈々香」


 咲良の声が聞こえる。


 瞳に淀みはない。


 咲良はずっと、変わらない。最初はなんで? どうして? って思ってた。咲良が私を好きだと言ってくれたときはなにかの冗談かと思ったし自分の耳を疑った。


 正直その好意を私は理解できていなくて、咲良がノンケ星人に向かって思いの丈を吐き出したときは、なにやってんの!? とも思った。


 感情を制御できないのは子供と同じだ。泣いて泣いて、場所も関係なく泣き喚く。そのたびに怒られていた記憶がある。


 ノンケ星人の言うとおり、私たちはまだ子供なのだ。


 だから。


「や~だね」


 舌を出して、交渉を拒絶する。


 ノンケ星人だかエクノンだか、宇宙を統べる最強の生命体だか知らないけど。私はやっぱりこいつが嫌いだ。優しいのかもしれないけど、その言葉に温もりはない。心を感じられない。


「私、咲良と一緒にこの世界で生きたいんだもんね」


 転んでも起き上がれるのは誰のおかげ? 明日を楽しみに今日を生きられるのは誰のおかげ?


 人はいずれ死する。そんなのわかってる。わかってるし、怖いことだけど。だからこそそんな後ろ向きな事柄を忘れさせてくれるような存在を探すんじゃないの? だから誰もが、人を好きになるんじゃないの?


「咲良だって、お母さんやお父さん。それに友達だって、あ、いや友達だと思ってるのは私だけかもしれないけど・・・・・・。けど! そんなみんなが私は好き!」


 一緒にいたい。そばにいてほしい。いてくれると落ち着く。その人のためなら、なんだってできる。命すらも厭わない。


 自分の人生が自分だけのものじゃなくなるその瞬間こそ、誰かを好きになるということなんじゃないだろうか。


「みんなが幸せになれるハッピーエンド。そう、約束したの。だから、その交渉には乗れない」


 途切れ途切れの記憶の中にある、確かな声。いったい、誰と話したんだっけ? 思い出せないけど、忘れはしない。ってことはたぶん、大事なことなのだ。


「な、なんて・・・・・・」


 大きな眼球に血が集まっていくのを見て、後ずさる。一貫した姿勢って難しい。


 やっぱり私は、肝心なところで怖じ気づいてしまう。これじゃあ、世界を救う主人公になんてなれそうにない。


「・・・・・・そうか、ならば死ね」


 その声に情はなかった。ほらね、こいつらに心なんてなかった。


 目は覆わない。


 どれだけ凶悪な一振りだとしても、私はそれを背後に通すわけにはいかないから。だから――。


「よく言っタ」


 その爪に無数の触手が絡まるのを見逃さなかった。


「い、いまだよ咲良!」

   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る