第31話 これだから午前の体育は

 クリスマスは一緒にイルミネーションを見に行った。白い光が道を彩り、淡く輝く信号機でさえ美しく見えた。


 積もった雪の上を走り回ってはしゃぐ咲良は二回りほど幼く見え、必然的に私が手を引く係となったけどそれもまた楽しかった。


 レストランに行くお金もないけれど、私の部屋で食べるそれなりの唐揚げはなによりも美味しく、しらちゃんも交えて食べたケーキは例年よりも甘く感じた。


 正月に咲良の家を尋ねると、弟が玄関を走り回っていた。そのあと咲良が出てきて妹も紹介されたけど、年頃ということもあってすぐに二階に引っ込まれてしまった。私も私で何を話せばいいかわからなかった。


 人見知りは多少治ったと思ったけど、仲がいい人と話しているだけで根本は変わっていないようだった。あれ? じゃあどうやって仲良くなったんだっけ? そんな疑問は大凶と書かれたおみくじに比べれば些細なことだった。


 弟とはゲーム好きということもありフィーリングが合い仲良くなった。咲良から年下の扱いがうまいと褒められたけど、そんな技術どこで拾ってきたのかわからない。


 そんな冬休みはおばあちゃんちへ行ったりこたつでみかんを食べていたら終わっていた。二週間って終わってみれば意外と短い。大人になったら時間は短く感じるとよく言うけど、だとすると大人にはあんまりなりたくない。  


 校長先生の話が垂れ流れる始業式ではみんな背筋が曲がっていて、切り替えはまだできていないようで安堵する。私だけじゃなかった。咲良は・・・・・・居眠りしていた。


 昼に帰されると尚更冬休みの感覚が続き夜まで遊んでしまう。悩みとか不安とか、そういう後ろ向きなものを全部吹き飛ばしてしまえるほど朗らかな日々だった。


 今日からようやく授業が始まるようで、かといって背筋が伸びるわけでもない。


 机にぐったりと突っ伏しながら、私は一限目の国語をどうにか耐え忍んでいた。


「ちょっと奈々香、授業中に笑わせるのやめて」


 休み時間になると咲良が私の席までやってくる。前の席の椅子を借りてこちらを向くと腕枕に頬を乗せた。


「めっちゃびくんっ! びくんっ! ってしてんの、ウケるから」

「えっ! 私そんなんしてた!?」

「うん、魚みたいだった」

「魚!」


 ともすれば仰け反る私は水面を跳ねるカツオだろうか。あれほど快活には泳げない。


「でも朝来てすぐの国語って結構キツくない? あの先生の声、なんか眠くなるんだよね・・・・・・絵本読まれてるみたいで」


 今はまったく眠気はない。先生が悪いのだ。


「あ、そうだ。絵本といえば今日帰りに本屋寄ってもいい? しらちゃんに新しい絵本買ってあげたいんだ。シンデレラばっかりじゃ飽きちゃいそうだし」

「おっけ~、付き合うよ。奈々香、なんかめっちゃお母さんじゃね?」

「お姉さんって呼んでよ・・・・・・」

「いーや! おかんだね!」


 私に子を養えるほどの包容力はない。これはそういう慈悲深い愛情ではなく、拾った猫に餌をあげるようなものに近いのかも。とはいってもしらちゃんには猫ほどの愛嬌はないから・・・・・・うーん、なんなんだろ? 


「けどわかる。しらちゃんってなんかさ。お世話してあげたくなるっていうか、幸せそうにしててほしいってカンジあるってーか、ね」

「咲良もおかんだねぇ」

「え~? それなんか複雑。この年でおかんはないっしょ」

「いーや! おかんだね!」


 お返しだった。羽虫でも見つけたかのように宙を見つめて「ま、いっか」と納得する咲良はどこか楽しそうだ。それは私も同じだ。


 学校なんて今まで授業を聞くフリをしてさっさと家に帰るのスタンスだったから、まさか休み時間がこんなにも充実するなんて思わなかった。授業中だって、横を向けば咲良がいて、ぼけ~っと眺めていると私に気付いた咲良が手を振ってくれる。一生懸命ノートをとっている咲良を見るのはおもしろいし、ウトウト舟を漕いでいる咲良も子供みたいでかわいい。


 そんな微笑ましい光景がすぐそこにあるものだから私もついニヤニヤしてしまい、近くの子に怪訝な目で見られるまでがいつもの流れだった。不思議ちゃんというあだ名が広がりつつあるのは、このせいかもしれなかった。


「って、次の授業体育じゃね?」

「え? あ、ほんとだ。えぇ、やだなぁお腹痛くなる」


 胃腸が強靱にできていないのは小学校の頃からもうわかっていた。登校中は距離が長いこともあって歩いている途中によくお腹をくだした。食べるものが悪いのかと思ったけどそうではないらしい。


 しかもいつもピーピーばかりなのが鬱屈だった。


 そんな私が起ききっていない体をひいこら動かしたら胃腸が救命信号を出すのは当然だった。そして、それが出た頃にはだいたい手遅れなのだ。


「休んだほうがいいんじゃね? お腹痛いのは辛いっしょ」

「うーん。でもそれだと毎週この日だけ休まなきゃならなくなるし、いいよ。やるっきゃない!」

「そっか。痛くなったらトイレ行ってきなよ。あたしがセンセーに言っとくからさ」

「あ、ありがとう」


 私が礼を言うと、咲良はなんでもないように「ん」とこぼしてスマホを取り出した。


「イベントやってる?」

「あ、うん。報酬は全部とったよ」

「え!? 早くね!? あたしまだハードいったばっかなんだけど! どんなスピードなん!?」

「周回パーティでぶん回したのだよ。はっはっは」

「うわー! 奈々香プロじゃん! ソシャゲのプロじゃん!」

「はっはっははぁ」


 喜んでいいのか微妙だった。だって、お金と時間をかけただけだ。時間なんて誰でも持ってるものだし、その誰でも持ってるものを消費すれば強くなれるのがソシャゲというものだ。


 けど、咲良がそう言ってくれるんだから、ふんぞり返っておくことにした。また魚みたいだと言われた。


「よし、オート周回中に着替えちゃお!」

「咲良もだいぶソシャゲに染まっちゃってるね」

「こういうのあんまやんなかったけどさ、奈々香が面白さ教えてくれたんじゃん?」

「そうだっけ?」

「うーん、たぶん?」

「なにそれ」


 自信なさげだった。私もそんなに自信はないので、会話の答えは煙のように消えていく。


 首を先に通して、畳まれた腕の出所を探していると半脱ぎ状態の咲良と目が合った。うん、なるほどね? 土下座すれば咲良ならもう少しサービスしてくれそうだった。いろいろ、オプションもつけて。・・・・・・なんの話だ。


「奈々香さ、髪短いほうが似合うかもね」


 咲良の指が伸びてきてどひゃあと仰け反り――そうになるけど耐えた。もう魚にはならない。


「え、ショートってこと? ボブみたいな?」

「うーん、ちょい違うかもだけど。去年の冬に髪切ったじゃん? そっからちょっと伸びたみたいだけど、今ぐらいが丁度いいなって話」

「そう?」


 肩にかかった髪をすくわれて、はらはらと流される。


「めっちゃ美少女だよ、今」

「まさかぁ」

「マジだって、ちょっと見るのハズいもん」

「え、ほんと?」


 どれどれと咲良の顔をじっと覗き込んでみる。まつ毛が長い。目が大きい。肌がきれい。鼻が高い。唇が艶やか。歯並びが良い。髪はふわふわ。耳の形がかわいい。ピアスがオシャレ。


「あ、あはは。奈々香、ちょっと近い」

「あ! ご、ごめんなさい!」


 敬語で平謝りしてしまう。ぺこぺこ。腕がまだ袖を通っていないことに気付く。妖怪のように見えたかもしれない。妖怪平謝り。現代社会では特段珍しくもないのかもしれなかった。


「ん、でも、いっか」


 なにがいいのかはわからないけど、咲良の頬はさくらんぼのように赤かった。熱を払うように手で仰ぐ咲良は、もしかしたら本当に照れているのかもしれない。まさかね?


 そんなことを話していると、黒板の上にあるスピーカーから埃が落ちた。あまり聞かない効果音のあとに教頭先生の声が校舎に響く。


『ただいま,3階において防犯非常警報が発報しました。教職員はただちにシャッターを閉め、生徒をグラウンドに誘導してください。繰り返します』


 みんなの視線が一点に注がれて、内容を咀嚼すると互いに顔を合わせて首を傾げた。


「なになに? いまの放送」

「防災訓練じゃない? 去年も確かこの時期にやってたでしょ。冬休み明けだからたるんでるって、消防士さんに怒られたじゃん」

「あー。で、火事なん? 地震なん?」


 そんな会話をしている子たちがいた。


 丁度着替えを終えた咲良も疑問符を頭に浮かべていた。


「はいみなさーん、廊下に出てくださーい。これから点呼をとるので、はいはい迅速に、迅速にー」


 隣の教室にいたらしい教師が私たちを誘導する。運悪く二つのクラスを誘導することになった教師はめんどくさそうな表情を浮かべていた。


「体育の授業ちょっとは潰れるかも!」

「あははっ、奈々香ラッキーじゃん」


 あまり大きな声を出すと怒られるので、整列をしながらこっそり笑った。


 点呼を終えてもなかなか進み始めずに、ほんとの火事だったら逃げ遅れそー、と暢気に想像を膨らませてみた。こういう時って、自分の身を考えるなら一目散に校舎の外に出た方がいいと思うんだけどどうなんだろう? 


 10分ほど経って、ようやく列が動き出した。さすがにおしゃべりしている人は見受けられなかったけど、緊張の面持ちはどこにもなかった。


 グラウンドは雪ですでに白くなっていた。寒い。体育館にしてほしかった。


 座るとお尻が濡れてしまうので膝を抱えてふんばる。でも途中で疲れて体育座りに切り替えるとやっぱり冷たかった。後ろの咲良は、私の肩に捕まっていた。ズルい。


 続々と校舎の中から生徒たちが出てきて、ようやく集まったころには先生たちも持ち場に戻っていた。互いに情報交換のようなものをしているのかこそこそと耳打ちをしている。さっきまでめんどくさそうにしていた先生の表情が曇るのが見え、空を見上げると似たような天気だった。


 辺りを見ると、いつもは停められている消防車もなく、隊員さんの姿も見えない。


 じゃあ、地震なのかな? 地震のときは誰か来るんだっけ? 警察の人だっけ? 思い出そうとしても記憶は不明瞭だった。避難訓練を真剣に受けたことなど一度もないからかもしれない。


 なかなか進展のないせいで生徒たちの集中も途切れたらしく、小石を投げてちょっかいをかける人や小さな雪だるまを作る人もいた。こそこそと話し声も聞こえるようになり、みんなが話してるならいいかとそれは次第に大きくなっていった。


「ねぇ、あそこあそこ。なんかいない?」

「視力低いから見えなーい。なに? なんかって」

「なんかは、なんかだよ。あ、ほらほら! え? なにあれ」


 そんな会話が近くで聞こえた。なんだろと思い私も顔をあげてそちらを見てみる。


 東校舎の三階。


 たしかに、なにかが廊下を歩いているのが見えた。


 んー? 


 もっと目をこらして窓に映る影を見る。


 それはしばらくして移動をやめたようだった。


 ふと、向きを変える。


 よく見る。


 よく見て。


 そいつと目が合った。  

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