第28話 守りたいって思えるから
家を出て3時間ほど経った頃、咲良が再び私の部屋を訪れた。
着替えてくると言ってはいたけど、なるほどギャルというのは着替えに3時間かけるらしい。違うか。そんなの紅白に出る大物歌手くらいだ。
血色のいい肌に潤いのある髪を見てお風呂に入ってきたのだということはわかる。ピンクのもこもこを羽織った咲良を見るのは久しぶりだ。手首にゴムが巻かれていて、髪が乾ききったら縛るつもりなのかもしれない。
定位置に座る咲良の足には例のクッションが置かれていて、どうも気に入った様子だった。
「ご飯たべた?」
「食ったよ、お好み焼き。おべんとだけどね。え、てかもしかして青のりついてる?」
「ううん、大丈夫」
まじまじ見ていたせいか咲良が慌てて白い歯を見せる。並びが綺麗だ。だからこそ咲良の笑顔は明るく見えるのかもしれない。
「じゃん、お菓子もってきた」
「おー」
咲良が持っていたコンビニ袋の中身は個包装されたチョコと、酢昆布と、ペンギンの形をしたグミだった。なんか変なの混じってるなぁと思いながらもいただくことにする。
私は私であらかじめお母さんから買ってきて貰ったジュースを出す。ちなみに咲良が泊まりにくることをお母さんに伝えたらその場でひっくり返っていた。その後お父さんも帰ってきて、バンザイをした。受験に合格したときですらそこまで喜んでいなかった気がする。
「ふ、太らないかな?」
酢昆布を歯に挟めながら聞くと、咲良は快活に笑った。
「こういうときのために痩せてんじゃん?」
「なるほど!」
はたして私は痩せているのだろうかという疑問は酢昆布と一緒に噛み砕く。夜に摂る酸味はなかなか新鮮味があった。
咲良はりんごジュースをちびちび飲みながらペンギンのグミを美味しそうに食べていた。チョコもまさか自分が最後まで残るとは思わなかっただろう。
「それ美味しいの?」
「んまいよ、食べてみ?」
咲良から受け取って食べてみると、ソーダ味のようで、まぁ美味しかった。けど、どことなく添加物のような味が舌の奥をつく。値段を聞くと一袋34円らしい。納得。
ファミコンとか、こういう駄菓子とか。咲良にはどこか一昔前のにおいを感じる。それは、家族構成がそうしているのかもしれない。
「弟さんと、妹さんがいるんだっけ」
「うん、小生意気な弟が一人と、大人ぶってる妹が二人」
そう言う咲良は、どこか楽しそうで、誇らしげだった。みんなでペンギンのグミを分け合っている様子を想像すると、私の頬まで柔らかくなるようだった。
「見て見て、このゲームはじめたんだ~。奈々香知ってる?」
「あ、知ってる。一時期ハマってた。もうやってないけど」
「そっかぁ」
スマホの画面を見せて、そのゲームアプリのアイコンをタッチしようと指を滑らせたけど、結局咲良はその指を引っ込めた。
「でも咲良がはじめたなら復帰しようかな」
「お! いいね! あたしもこういうゲームはじめてだからさ~! 教えてくれるとマジたすかる!」
咲良はなんだかガシャで欲しいキャラがいるらしく、けど石が足りないとのことだった。課金するしかないと伝えると「えー!」と体をくねらせた。抗議のつもりらしい。私に言われても困る。
咲良は青髪魔法使いの子の限定水着コスチュームが欲しいようだった。咲良がこういう美少女ゲームをやっているのは見ていて面白かった。最近はじめたみたいだけど、その要因に私がいるのだとしたらちょっと嬉しい。
「この10連で当てるし!」
「来るかなあ。結構渋いよ?」
咲良が意気込んでいるのでその勇姿を見届けるべく私は咲良の隣に行き、一緒にスマホの画面に首を伸ばした。
くるくる回る魔方陣が光る度に「おおお」と声をあげて「あああ」と落ち込む。母音だけで成り立っていた。
私は咲良と一喜一憂を共にしながらも、微かに香る自分ではない匂いに鼻を鳴らしていた。なんで人のシャンプーってこんないい匂いするんだろうと考えていると、いつのまにか10連ガシャは終わっていた。
結果画面は、なかなかに悲惨だ。
「と、とりあえず、友達になる?」
「うーん。うーん!」
ガシャ結果をまだ引きずっているようで、IDを交換しながらもうんうん唸っていた。そしてそのあと私のレベルの高さに驚いていた。
ボスの倒し方とかパーティ編成の仕方を教えて、それから咲良のオススメの動画を見せてもらった。寝ているハムスターが寝相をうっているものだ。平和で、咲良らしかった。
この動画好き、これもいいよと一つのスマホに身を寄せ合って鑑賞した。充電が少なくなったのを合図に、視聴の会は終わり、二人でベッドに寄りかかってお菓子を食べる。
咲良の足の爪がやけに光ってるなぁと触ってみると、今度手入れとネイルの塗り方を教えてくれると言われた。夏にやると冷たくて気持ちいいらしい。
なにかをするわけじゃないけど、なにもしないわけじゃない。
そんなような空間が私と咲良の夜を彩っていく。心も昼のものから夜に切り替わり、些細なことで大笑いもしたりした。体温がいつもより高い気がして、部屋の電気に映える咲良にドキドキしてしまう。
泊まりの独特な雰囲気に、私はすでに呑まれているようだった。
声のトーンもどこか低くまどろむようで、自分の声でないようにも感じる。
12時を回ると体の重心も行方をなくし、咲良の肩に触れる機会が多くなった。頭を預けるようにしていると、咲良の呼吸を揺れで感じる。
「奈々香、眠い?」
「ねむくなぃ」
「ちょー眠そう」」
「ううーん」
眠いわけじゃないけど、瞼が重かった。眠いわけじゃない。
「まだ咲良とやってないゲームある」
「今度にしよって、また来るからさ」
「ううーん」
「あはは、おわぁ!」
けど体は重くて、私はそのまま咲良にのしかかった。
「ちょっ、奈々香! あはっ、なになに!」
「うわあああ眠くないいい」
「わかった、わかったから! あはははっ!」
ごろごろ、転がる度にカーペットのくずが顔に付いた。テーブルに足が当たりコップが鳴る。上と下を交代しながら、最終的に私が下となって、あれぇ? 納得がいかない。
「ほら、眠くないでしょ?」
「意味わからんから」
指でおでこをはじかれて星が散った。咲良が離れると、私もごろんと起き上がる。
「咲良がどうしてもっていうなら寝てあげてもいいけどね」
「奈々香がどうしてもっていうからまだ起きてよ」
「あ、そう」
対抗されて、私も負けじと目を見開いた。洗濯ばさみでも持ってこようかな。代わりに指で押さえるけど、瞼の力は強い。一貫した意志を感じる。
ぺたんと床に座っていると、咲良がなにやらシートのようなものを取り出して顔を拭き始めた。なんだろうって見ていると目が合って、咲良はばつが悪そうに笑った。
「化粧落としてるの? 最近のってそんな紙みたいなのでもいいんだ」
「まぁね、一応クレジング不要のファンデだけつけてきたんだけど、枕に付いちゃっても申し訳ないしとっとく」
「そうなんだ。なんかもったいない」
お風呂に入ったときに日中の化粧は落として、そのあとにもう一回つけたわけだから、4時間ほどで落としたということになる。
私だったらそんな短時間のためにいちいち化粧しないと思う。そういうところの美意識の違いなのだろうか、コンビニ袋に使用したシートを捨てて咲良が頬を触る。
「ささ、電気消しますわよ」
「咲良口調おかしくない?」
「おかしくないですわよ」
はいはいと手を叩いて促される。えぇ? と首を傾げる。私は眠くないって言ってるのに。・・・・・・言ってるあいだに本当に眠くなくなっていた。
おかしな様子の咲良を見ていると、右頬のあたりに赤いものを見つけた。
「あれ? 咲良。ここ、ほら。赤くなってる」
私が指摘すると、咲良はむすっとしたように目を細めた。そんな表情のまま体をくるりと回転させたので、私も付いていく。するとまた回転。
咲良は左半身だけを私に見せびらかして右側を見せようとはしなかった。
「・・・・・・やっぱ家帰ってもっかいファンデつけてくる」
「えぇっ!? あ、あれれ?」
荷物をまとめてそそくさ立ち去ろうとする咲良だったけど、ドアノブに手をかけたところで動きを止める。
「と思ったけど今ばたばたすると家の人たちに迷惑だからやめとく」
ちゃっちゃか足を動かして戻ってきた。ベッドに腰掛けて、相変わらず左を私に向けていた。
「そんなに気にならないけどね」
「・・・・・ほんとに?」
「うん、よく見ないとわからないし。それになんか虫刺されみたいでかわいい」
そんなフォローでよかったのかはわからないけど、小さなものであることは本当だった。咲良は俯き、内に曲げた股の間に手を入れて擦るように揺れていた。なんだその動き。体の部位が中心に吸い込まれているようだ。
「えーっと、じゃあ電気消す?」
自信なさげに咲良が頷いたので毛布を正してから電気の紐を引っ張る。ストーブの電源はとりあえず付けておくことにした。タイマー機能はもう壊れているので、どこかで消さなければならない。
けど、ストーブによるにおいと空気の渇き。それから表面だけを加熱するような雑な熱風が心地良い。冬の醍醐味でもある気がする。
枕を二つ並べ、横になる。一人用のベッドなので距離は近く、腕を曲げると咲良の肘にごちんと当たった。
天井はもうすでに見飽きているので、おでこまで毛布を被る。息苦しかった。それに暑い。冬も真っ只中だし、寒いといけないので多めに毛布をかけたのだけど、それがまずかったらしい。
がばっと顔にかかった毛布を払うと咲良がびくっと震える。そうか、これ二人で使ってるんだった。
「さ、咲良って彼氏とかいたことあるの?」
「んー? ないよ」
「ほぉん」
なんだ今の質問。
部屋が暗くなると、不思議と普段じゃ聞けないようなことも聞けたりする。
光が全てを曝け出しているように人を照らすものだから、日中だと一線を置いてしまう。けど顔が見えず、声だけ聞こえる状況だと境界線を越えられる。暗闇というのは、もしかしたら光よりも人を映すのかもしれない。
「奈々香はさ」
それは私だけじゃない、咲良も同じなのだ。きっと。
「怖くない?」
「怖い? え? なんのこと?」
「奈々香の言う地球の滅亡ってもうすぐじゃん? それを阻止するためにあたしら準備してるわけだけど、もしかしたら失敗するかもしれないんじゃん? 失敗したらさ、全部無くなるんかなって」
毛布の中をふらふら彷徨う私の指と咲良の指が当たって、横を向くとあちらも私を見ていた。思ったよりも近い距離にあった咲良の顔にびっくりして、後ずさることも寝たままだとできずに私は毛布に埋もれていった。
たしかに、言われてみると怖かった。絶対に失敗できない、緊張が汗となり背中を伝う。けど、突発的な恐怖など誰にでもあることだ。より深刻なのは、慢性的な恐怖。
「ひとつの星がなくなるなんてスケールが大きすぎてさ、よくわからんけど要は大切な人がみんな死んじゃうってことっしょ? それは、なんてーか。うん・・・・・・怖い」
もしかしたら咲良は、ずっと恐れていたのかもしれない。
「家族も、友達も、奈々香も・・・・・・」
暗闇の中でも潤んでいるのがわかる瞳に、私も言葉を探すけど、そこで見つからないのが私だった。
だから、手を握った。
「えっと、うーん。がんばろっ」
できるだけ前向きに。私は落ちていくように時間の渦を辿ったわけじゃない。
いろんなことを体験して、いろんなことを思って、いろんなものを失って今、ここにいるのだ。
震える手が、私を求めた。瞑った目から涙が零れる。
「私、めっちゃ強いから大丈夫だよ、これでも結構倒したんだよ? 倒し方も知ってるし、大丈夫、大丈夫だよ」
握る力は強い。握られる力は弱い。けど、たしかな熱がここにはあって、それが胸から零れたものであることも連動する言葉が教えてくれる。
「私が守るから」
地球も、友達も、家族も。
「咲良のことも、守るから」
私にそれだけの力と勇気があるかはわからないけど、気持ちだけは前に進めないとダメなのだ。
咲良は首まで毛布を被り、さっきの私みたいに顔だけを亀みたいに出して私を見つめた。
「もっと言って」
「え?」
「あたしのこと守るって、もっかい言って」
「え、えっと・・・・・・守るよ、絶対」
「うん」
「誰も死なせないから」
「うん」
「みんなでずっと、笑えるように」
「うん」
「あ、あーっと、えっと。美味しいパン、作れるように・・・・・・? あれこれは違うか。あ、またマッグにいけるように? あ、ポテト食べたいね! ロフト? ってとこも行ってみたい! 私もリア充の仲間入り、ガハハ! なんて」
格好つかないなぁ。
咲良を勇気づけられるだけの言葉を選べたのだろうか。最後のほうは、もうやけくそだった。
けど。
「うん」
咲良は小さく頷いて、瞼を落とした。
「奈々香」
いくつもの星々を見て、死の淵で何度も救いの光に手を伸ばして、地平を巡った。宇宙の果てまで辿るように、私は数え切れないほどの景色を見た。
人の何倍も大きな星の輝きよりも、何倍も強靱な異形の一振りよりも。
同じベッドに横たわる、私の腕で抱きしめられるほどの咲良がそれらを凌駕していた。
大きさなんて関係ないのだ。宇宙がいくら広くても、私の心が震える居場所はここしかない。
「大好きだよ」
守るよ、今度こそ。
そう返して、私も目を瞑る。
すると差し込む風に窓が少し開いているのに気付いて。
「いいねェ」
そこから覗き見するように触手を眼球付きの触手を伸ばすしらちゃんに、二人して悲鳴をあげるのだった。
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