第27話 前向きにいこう
グリーンハーブの香りで上書きされた部屋に、咲良を招き入れる。入り口のそばに立って、ドアノブを握ったまま咲良の反応を伺うと、部屋よりも先に私を見て「ドアマンみたい」と言われた。ホテルの玄関先に立っている人のことらしい。
座る場所を探しているようで、私は急いで茶色いぐるぐるのクッションを投げる。昔UFOキャッチャーで取ったもので、チョコレート味のソフトクリームを扮したものらしい。決して別の物ではない。
受け取った咲良はそれをお尻に敷いて座る。そして腰を浮かす。どうも上の突起が邪魔らしく、結局そのソフトクリームは腕の中に収められた。
家族以外が部屋に入るのは初めてで、一人増えるだけでこんなにも景色が変わって見えるのかと不思議に思った。ぬいぐるみが一つ増えたのとはまるで違う感覚に、自分の部屋であるはずなのに落ち着かない。
あれほど撒いたグリーンハーブの香りも、いつのまにか甘い香りに変わっていた。香りは記憶を呼び覚ますとはよくいうけど、私の脳裏に焼き付いているのは咲良の胸の中だった。温かいようなもどかしいようなその香りに鼻を鳴らしていると「座ったら?」と咲良に促される。どっちが部屋主なのかわからない。
ごまだれだんごのクッションを握りしめて咲良の正面に座ると「センスウケるね」と笑われた。UFOキャッチャーで当たっただけだから、と言い訳するけど。狙って取ったことには変わりないのでもしかするとウケるセンスなのかもしれない。
人と関わってこなかった私だから、自分と人を比べたことがなかった。一応、カブトムシのおもちゃはベッドの下に放り投げておく。
「いいと思うけどね、奈々香らしくて」
言われて、ベッドの下に身を投げる。
「なにしてんの?」
「う、うぐぐ。届かない」
カブトムシは諦めた。まぁ、でも、いっか。
一つの会話が終わると、咲良と目が合う。ほんとにゲームばっかじゃん、とか。あ、この漫画読んだことある。とか、そんなように沈黙を回避しながら合間合間にクッションを握る。
いつもと違って、指先の行方に迷う。顔をかいたり、髪を弄ったり。何をしようと立ち上がって、ふらふら彷徨ってまた座る。
私だけかなと思っていたら、咲良もソフトクリームの先っちょをいじくっていた。指で押し込んで、どこまでいけるか試しているようだった。
人を部屋に呼ぶのってこういう感じなのか。
なるほど、落ち着かない。
おもてなしをするべきかという私の遠慮と気を使わないでという咲良の優しさが交差してこの雰囲気を作っているのだとしたら、まぁ悪くはないのかもしれないけど。
いつもは率先して会話を投げてくれる咲良も、どこか緊張したかのように目線を泳がせていた。本棚や床、そしてベッドに向いたあと私に戻る。
誰かの部屋に行きたいと私は思ったことがない。交友関係がなかったせいもあるけど、そのことに意味を見いだせないからだ。けど今は、誰かに目を向けられるようになった今なら、わかる気がした。
部屋にはその人の心が投影される。本棚を見ればその人がおとぎ話が好きなのか哲学に目を向けるような人なのかもわかるし、アイドルのポスターやスポーツ選手のポスターなんかでも熱のあるものを見ることが出来る。
潤った肌はどうやって毎日手入れしているんだろうと咲良の顔をまじまじ眺めてみる。咲良の部屋にいけば、わかる気がした。きっとそういうものなのだ。
化粧机もない私の部屋にはお母さんから譲り受けた化粧水がひとつ。乳液は肌に合わなくて捨ててしまった。油分とアルコールは刺激が強すぎるみたいで、むしろ何もつけないほうが肌荒れが少ない気がした。
そういうのを会話の種に出来ればいいんだけど、本当の円滑な会話って、意図して咲かせるようなものではないと思う。優しさから生まれたものではない気配りは自分の保身でしかなくてどうにも隔たりを感じてしまうのだ。
「げ、ゲームしよう! ゾンビを殺すやつ! 協力プレイだからはじめてでも大丈夫だし」
「お、いいね~。奈々香があたしを守ってくれるってこと?」
「えっ? あ、うん! 任せて!」
「おぉ~、カッコイイじゃん」
パチパチと拍手で讃えられる。そういえば拍手をされる経験って年々少なくなっていくなぁと小学校の頃、図工の授業で書いた絵が佳作を取って表彰されたことを思い出す。
小さい頃は些細なことで褒められるけど、大人になればなるほど周りはできて当たり前のことで溢れている。すごいね、偉いねと褒められたことは、いつしか常識となり日常のなかに組み込まれていく。
洗濯物を畳むのを手伝ったときは頭を撫でてもらったのに、今じゃ尻を叩かれてやらされる始末だ。ゲームのディスクを取り替えながらそんなことを思う。
憂いのようなものが顔に出ていたのか、咲良が覗き込むように私を見ていた。
ゲームを起動するとわざとらしいほどにしゃがれた声でタイトルが読み上げられる。ばぁんと銃弾が穴を開ける演出と共にステージ選択画面に移る。
「一番難しいやつにする?」
「いやいや! 簡単なのにして! あたしこういうのやったことないから、ゼッタイ死ぬ!」
「あ、うん。わかった」
両手でがっちりコントローラーを握る姿があまりにも必死だったので笑ってしまう。冗談だったんだけど。
そんなこんなでチュートリアルの次のステージを選ぶ。雑魚敵しか出てこないようなステージだけど、咲良は隣で何度も跳ねていた。
「あ、咲良そこの物陰から出てくるから気を付けて」
「おっけひゃあああ!?」
「あ、そいつ頭打っちゃダメ」
「りょうかいやああああ!」
あんなに必死に握っていたコントローラーを投げ出して、咲良は私の足にしがみついていた。
「あ、あれ? 咲良、もしかして怖いの苦手?」
「そういうんじゃないんだけど」
そういうんじゃないのか。
「これ、めっちゃリアルじゃない!? 血とかヤバイし、ビビるんだけど!」
「まぁ、最新のだから映像は綺麗だよね。というかそれが売りってとこもあるし」
「き、綺麗・・・・・・なん? あたしゲームなんてファミコンしか持ってないから、あーひよった」
「ファミコンなんてまだ持ってるんだ」
「うん、弟たちとよくやってる」
そこまで聞いて、自分の発言を悔いた。『なんて』って言い方はきっとよくなかった。私はたぶん、そういう言葉選びが甘いのかもしれない。
「怖いならやめておく?」
「や! もっかいやらせて! とりあえずこのステージだけはクリアしたい!」
「わかった! がんばろう!」
咲良が意気込むので、私も乗ることにした。がんばろうという発言は、なかなか良かったかも。前向きな言葉を意識して、姿勢も前のめりになる。
「とりあえず、咲良は私の後ろに隠れてて!」
「お、おっけ!」
なるべく取りこぼしのないように、ゾンビの大群を撃ち殺していく。大型の敵は出てこないし、殲滅はそれほど難しくはない。
出現する場所も全て把握済みなので、こちらに向く前に頭を飛ばす。現れては死に、死んでは現れる。まるで、まるで。なんだろう。わからないけど、似たようなものを私は知っていた。
「ゾンビにも大切な人とかいるのかな」
「もともと人間なんだし、いるんじゃん?」
それもそうか。
「あ、咲良! 後ろ!」
目を離した隙にゾンビが咲良の背後に迫っていた。
「しゃがんで!」
エイムしてたら間に合わないから、手打ちでその頭を撃ち抜く。血しぶきが画面にかかって、そのゾンビも他と変わらぬ肉塊となる。なんだか久しい光景だった。やっぱリアルにできてるなぁと感心の声を漏らす。
ゾンビにも大切な人や大好きなものがあったのかもしれない。けど、撃たなきゃ咲良がやられてたから、撃たなければならなかった。
優しさはいつか必ず枷になる。わぁわぁ喚いて逃げていただけの私だったけど、周りを見ればそれはわかった。虫も殺せないような心の持ち主から、いなくなっていく。自分が生きる際に、誰かを気にしてなどいられないのだ。
「うわー! 奈々香すごくね!? 今のどうやったん!?」
けど、咲良は。
「え? あぁ、えと。振り向きながら、バン、と」
「え~!? そんなんできんの!? 狙ってやったん?」
「半分狙った、かな」
「すげ~!」
手を握られて、すごいすごいと何度も褒め称えられた。
「しかもさ、ゾンビが出てくるとこもあらかじめわかってた系っしょ?」
「まぁね。このステージもう何千回もやったし」
「なんぜん・・・・・・! 奈々香、それすごいよ! マジで!」
「えぇ?」
たかがゲームでこんなに褒められるとは思わなかった。
だって、私は他の人と比べて暇だっただけだ。やることがなかったから、ゲームをひたすらやっていた。高み目指していたわけじゃない、時間を浪費する手段としていた、それだけなのだ。
「めっちゃやりこんだってことっしょ? 普通そんなにがんばれないし、マジ尊敬!」
「でもほんと、たかがゲームだし」
ピコピコボタンを押してるだけの私が尊敬されたら、汗水流して毎日頑張っている人たちはどうなるのだろう。神様? 私から見たら、似たようなものだった。遠く、縁のない存在という意味で。
眠くなったら片付けて寝る私と、寝る間も惜しんでがんばる人はきっと同列に扱っていいものじゃない。それに。
「人に理解される努力と、そうじゃない努力ってあるから」
ゲームをどれだけがんばっても、普通の人から評価を得るのは難しい。遊んでる暇があるなら勉強しろと、そう言われるだろう。けど、勉強やスポーツはがんばって結果を出せば親や先生、近所の人からも褒められる。
ゲームだけじゃない、きっとそういう、理解されない努力というのはこの世にいくつも転がっている。
それに私は私自身、努力なんてしたことのない人間だってわかってるから、尚更だった。
放課後に汗を流している人や、負けて悔し涙を流す人を見ると、自分がどれだけ渇いた存在かがわかる。
「うーん?」
私の言葉に、咲良は首を傾げて考えているようだった。
いつのまにかソフトクリームのクッションは先っちょを取り戻している。私のごまだれだんごは、強く握られ形を変えていた。
「あたしが理解してるってだけじゃダメなん?」
「え?」
「あたしが奈々香をすごいって思ってるんだから、奈々香の努力を認めてるんだから、それじゃダメなん?」
「うーん?」
今度は私が首を傾げる番だった。
努力の向かう先は、きっと高い。上達のために練習すると、遙か高い存在が背中を重くする。顔を上げるのすら億劫で、そこへ追いつくための努力は途方もない。そこから諦めずに追い続ける者と、自己満足に走る者に別れて、けどそのどちらも正解で。
目指す場所は明確にあるはずなのに無数にある道が、なおさら努力というものをわからなくする。
「いいかも」
けど、自分にとって大切な人が私を認めてくれているというのなら、それでいいのかもしれない。
「すごいぞーえらいぞー」
「えへえへ」
頭を撫でられて、体が揺れる。
そうだった、私が気づけなかったその感情は、そういうものだった。誰かに依存して、いない世界なんて考えられなくて。
前向き、前向きに、言葉を選ぶ。
「ありがとう」
「うん」
「むきむき」
「えっ、なにそれ」
前向きになりすぎて、むきむきしてしまった。
誤魔化すようにまっするのポーズを取る。咲良が二の腕を触って「ぷにぷにじゃん」と苦笑する。
ゲームがコンテニュー画面で止まったまま音だけを流して、私たちの会話を彩る。
誰かを部屋に呼ぶのってきっとそういうものなのだ。誰かと一緒に過ごすのって、そういうことなのだ。
「ね、ねぇ咲良」
だから私は、きっと甘えたのだと思う。
寄り添うことのできる温もりに、クッションにはない柔らかさに。
「き、今日さ! と、泊まってかない?」
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