第26話 誘ってみたはいいものの

 雪も積もらないうちに終業式になった。


 ホームルームでは休み中はめを外しすぎないよう注意喚起がなされたが、話の傍らそわそわと体を動かす姿にそれはあくまで注意の範囲を得ないのだなと頬に杖をついて眺めた。


 案の定、チャイムよりやや遅れて先生が教室を出るといつもよりも騒がしくなる。普段口数も少ないような人が軽い冗談を叩く景色をきっと浮ついているというのだろう。別に咎めるつもりもないし、そうした気分の高揚は集団生活においてきっと必要なのだろう。


 団結力だとか、達成感だとか、苦痛を紛らわす手段があることが人間にとっての強みなのだ。それは私が一番よく知っている。というか、見てきたから、痛いほどにわかる。


 友達に別れを告げて教室を出て行く人は、いったい何を思うのだろう。あんな風に楽しそうに休みを迎えたことのない私だから、自然と目が向いてしまう。


 じゃあね、とみんな手を振ることはするけれど、また今度と言う人はいなかった。恥ずかしいからだろうか。それとも、そんなの当たり前のことだから、言う必要などないと感じるのだろうか。


 誰もが明日を信じて生きている。景色は変わらぬまま、昨日見た顔は次もまた見ることができると疑わない。


 もしかしたら次は会えないかもしれないから、今のうちに言葉を交わす。そんなふうに思っている人なんてきっといないのだ。


 目の前にわざわざ崖を見て、それに怯えて生きていくのは窮屈だし、なにより疲れる。だからゴールは見えたら見えたでそのとき身構える。不慮のゴールはもうしょうがないと諦めて生きるのは妥協が効いていて丁度いい。


 理にかなっているようで、だけどそれは、冷血だ。


 ふぅむ、と窓の外眺めると、ガラスが曇っていてよく見えなかった。掃除の人がサボったのだろう。気持ちはわかる。


 待ち焦がれた時間の前に、集中力なんて微々たるものなのだ。


「あ、ま、またね」


 前を通り過ぎたクラスメイトに、気付くと私は声をかけていた。散漫な意識がそうしたのか。もともと言おうなんて気はなかった。


 けど、その背中が次も見られるとは限らないから。遠のく姿に、唇がむず痒くなったのだ。


「え? あ、うん。またね、不思議ちゃん」


 相変わらず私の呼び名は不思議ちゃんで浸透しているようだった。私の本当の名前がうろ覚えだから、あだ名で呼ぶのかもしれない。


「ば、ばいばい。また、来年」


 私の前を誰かが通り過ぎるたびに、口に出してみた。ある種のセンサーのようだった。反応して、音を出す。けど、この声に機械的なものはないと信じたい。


「あれ~? 田中さん、わたしには挨拶してくれないの~?」


 頭に柔らかい感触が乗って、わぎゃあと悲鳴をあげる。


 振り向くと、咲良と、その隣に見覚えのある女の子がいた。あ、いや。クラスメイトなのだから見覚えはあるのだけど、会話を一度した記憶があった。会話をして、ようやく見覚えのある称号を得るのが私の世界なのだった。ハードルが高い。


「えっと」


 はてさてしかし名前が思い出せなかった。


 気品ある振る舞いに高い鼻。少し巻いた髪が優雅に揺れて、筒を叩いたかのように伸びのある緩い声。


 スコッチだかフォカッチャだか、そんなような感じだったと思うんだけど・・・・・・。


「あちゃ、ごめんもかっち。奈々香たぶん忘れてる」

「あ、そうもかっちだ!」


 咲良のおかげで思い出した。前に一度話しかけられた、下川しもかわもかだ。咲良はもかっちと呼んでいるようで、私もついもかっちと口走ってしまう。けど、それほどに親しみやすい空気が彼女にはあった。


「ご、ごめんね! 後ろだと、私のセンサーに反応しないから!」

「センサー? あはは~、田中さん相変わらずいみわから~ん。浅倉さん説明して~」

「え、あたし? えっと、つまり見えないと声をかけれないから、挨拶して欲しければ前に現れろってことかな、たぶん」

「そっか~田中さんコミュ障だから」

「ずぼぉしぇ」


 変な声が出て机に突っ伏した。そのまま頭が膨らんで弾けそうな勢いだ。縁起のいいものじゃないなぁ、と心の中で呆れた。


「でも~、頑張ってるから田中さんはカッコイイと思う~」

「え!? そうかな、えへえへ」

「その顔は~、ヤバいと思う~」

「ヤバ!?」


 尖った言葉に背中を伸ばす。咲良までけらけら笑って、だよね~と謎の共感を得ている。なんだかヤバイらしい顔をむにむに揉みほぐして表情を崩す。また笑われた。


 けど、悪い気はしなかった。小突き合うという関係は、体の力が抜けて心地良い。


「来年までにはもっとカッコよくなっててねぇ~」


 頭をよしよしされて、わぁと椅子から転げ落ちそうになる。咲良以外に頭を触られるのは初めてで、目を細めて俯いた。


「って、もかっちこれから家の手伝いがあるんっしょ? 行かなくていいん?」

「あ~、そうだった~。う~ん、でも、もうちょっと~」


 髪が指にさらわれるたび、風が頭皮を凪いでいく。漣の音が聞こえてきそうだった。うにうにと口を波打たせている私を、咲良が微笑ましく見守っている。なんだろうなぁ、この感じ。くすぐったくて、けど、温かい。


「あ、あの。もかっちさん」

「もかっちでいいよ~」

「あ、うん。もかっちって、妹とかいる?」

「なんで~?」


 なんで、の意味がわからなくて。少し置いてからなんでそんな質問をするのかということだと理解した。


「なんか、手慣れてるなぁって思って」

「う~ん? う~ん」


 もかっちは撫でるのをやめて、自分の手を見つめる。


「いないよ~?」

「そ、そうなんだ! そっか!」

「奈々香の言うことわかるかも、もかっちってなんか姉みあるよね~。包容力っていうかさ」

「だよね! なんかお姉ちゃんオーラ出てるもん!」

「わ~、満場一致だ~」

「まんじょ~」

 

 変なところで盛り上がって、盛り上がりすぎて、喉がイガイガした。人の多い教室は空気が薄くて、張り切って喋ると渇いたものが喉をひっかいていく。それでも必死に少ない空気をかき集める。


 会話とは、そういうものなのかもしれなかった。


「そうだね~、でも」


 私から離れたもかっちが、可愛らしいピンクのリュックを担ぎ直す。


「妹は、欲しかったかも~」


 そう笑うもかっちは、気品の奥に寂しいなにかを宿しているように見えた気がした。


 

 もかっちと別れた私たちは、放課後。生徒たちの活気で溢れた道を歩いていた。


 わちゃわちゃと固まって歩く人たちは、いったいどこを目指しているんだろう。楽しそうにしているから、きっと楽しいところなんだと思う。


「ねぇ咲良」


 声をかけると、隣を歩く咲良が「ん~?」と口を閉じたまま返事をする。相変わらずノー防寒着の構えのようで、短いスカートから伸びた足は少し赤みを帯びていた。


「リア充って、終業式のあとなにしてたの?」

「駅前いってロフト行ってたかなぁ」

「へぇー!」


 ロフトってなんだろう。そもそもの問題だった。


「奈々香も行きたい?」

「うーん」


 腕を組んで、考えてみる。お父さんのお下がりのベンチコートを羽織って悩む私は、まるでサッカーの監督のようだった。オフサイドの意味も分からないので、私が指揮をとることはないだろうけど。


「って、奈々香は遠いとこ行きたくないか」

「あ、うん・・・・・・」


 私が言う前に、咲良が察してやっぱいいかとまた歩く。


 理解とは時間の経過と比例するものなのだろうか。一緒に過ごせばその分、理解も深まる。もしくは、想う強さ、とか。そんなロマンティックなことを想像してみる。


 咲良は私のことを常に考えてくれて、だから半年にも満たない付き合いでも私を理解してくれている。


 じゃあ私は? 


 咲良と過ごした時間は、そう変わりはしないけど。想う強さ、というよりは想っていた長さは私のほうが長い。


「あ、あのあの咲良」

「なになに奈々香」


 合いの手みたいだ。


「咲良って、もしかして。私の部屋、来たかったりする?」


 聞くと、咲良は口を開けて私を見た。レア顔だった。


「え、あ、あれ? あたし、え? 顔に出てた?」

「えっと、うん」

「ま、まじかぁ」


 私のような慌て方で、咲良の顔が赤くなる。まぁ、顔に出ていたというのは違う気もするけれど、受け答えに正確さを求めるほど私は几帳面ではないのだ。


 主語がなくても、拙い言葉でも、それでも続くような会話に淀みない関係を見る。けど、それは消去法のような気がして、足踏みをする。


「く、来る? 私の部屋」


 咲良が私の家に来るときは決まって玄関か屋上だったので、私の部屋に招き入れたことはない。これだけ何度も会っているのにそういう機会がなかったのはきっと私の消極的な部分もある、気がした。


 過去を振りかえるには足を止めればいいだけだけど、未来を見るにはそこへ向かって足を踏み進めなければならない。前と後ろの違いだけなのに、難易度はこうにも違う。


「いいの?」


 おっかなびっくり聞くような咲良に、私も答える。


「や、やっぱりなし」


 寸前で腰が引ける。


「えー! ちょっと奈々香、いま来る? って言ったじゃん!」

「だ、だって部屋片付けてないし! ゲームばっかだし、多分ドン引きされるし! そんな、部屋に二人っきりなんて、間違いが起きるかもしれないし!」

「あ、ちょっと奈々香!」


 間違いってなんなのだろうと想像してわぁっと顔が熱くなる。風で冷ますように走った。


 気付くと家の前まで来ていて、ぜぇぜぇと肩で息をする私に咲良が追いつく。ピンピンしていた。


「10分、10分待って!」


 ドタドタと階段を昇って、途中で足を引っかけてそのまま転げ落ちた。外から「大丈夫!?」と声が聞こえて、目を回したまま立ち上がる。


 部屋に飛び込んで四隅まで見渡す。


 ゲーム、漫画。ゲームゲームテレビカブトムシゲームゲーム。


 年頃の女子として適当かどうかは、参考資料がなくとも頷くことはできなかった。ガシャポンで当たったカブトムシのおもちゃをごろごろ転がして、唸る。


「咲良なら」


 咲良なら、こんな私の部屋でも受け入れてくれる気がした。笑われはするだろうけど、不安はたいしてなかった。物の整頓だけして、布団のにおいを嗅ぐ。他意はなく、なんとなく。


 もしかしたら咲良がここに腰掛けるかもしれないし、もしかしたらもしかしたらと想像を働かせて鼻を押しつける。


「くせぇ」


 先日部屋で食べたカレーと今朝食べたキムチ納豆の香りが混ざって、なめこ汁のような鈍い臭いとなっていた。どういう化学反応なんだろう。


 せめてこの臭いだけはなんとかしようと階段を駆け下りてお母さんの下へ走る。


「お母さん! 私の部屋臭すぎるからファブリーズ貸してどわぁあ!?」


 そして、転ぶ。


 私の足に神経は通っているのだろうか。断言はできなかった。


 お母さんの足下にヘッドスライディングする私。


 前に進むって、難しい。

 

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