第25話 私たちにできること

「なニ? 地球がもうジき滅ぶ?」


 寒空の夜の下、私はおでんを食べていた。たまごと大根、そして白滝をはふはふ湯気を立てて啜るとギョロりと鋭い眼で睨まれた。


「あ、咲良もいる?」

「あんがとー」


 隣に座る咲良とはんぶんこ。からしが苦手らしいので、味噌を付けていただくことにする。わざわざ寒い外で身を縮めながらおでんを食べるのはやっぱり美味しい。何年経っても変わらない。


 百合星人がそんな私たちを見下ろす。なんだか食べたそうにしている気がした。


 最初見たときはうげぇと思ったその容姿も今となっては若干の愛嬌があった。なによりふにゃふにゃした触手だけで構成されているような体だから、危険性を感じない。


「たまごは割ってからお汁を染み込ませると美味しいよね――もがっ!?」

「おイ、聞いてイるのか」

「んぐ、んぐもが」

「うわ! 奈々香の口から触手が生えてる!」


 生えているのではなく、入れられているのだった。


 舌の上で触手が転がって、味的には、おじいちゃんの肌みたいなしょっぱさがあった。ううん、夏場なら美味しいかも。って、そろそろ苦しい。


 バンバン! と私がノックアウトの意思を示すとしゅるしゅる、口の異物感が消えていく。お母さんが前に胃カメラをしたなんて話をしていたけど、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。


「しょ、触手プレイはレベルが高くないかな!」

「貴様ガ話はじめタくせに、それをホっぽるからだ」

「ぽっぽるぅ~」


 隣で咲良が鳩の真似? をして、睨まれる。私はあははと笑って、あれれと顎が閉まらない。歯の隙間に挟まってる白滝がおでんのものなのか区別がつかなくなり落ちつかなかった。


「そもソも、我々ハこの星ノ存続ニ興味などなイのだ。百合さえ堪能でキれば別ニここじゃなクてもいいんのだかラな」

「え、ほかの星でも百合ってあるの?」

「当然ダ。たとエば、イソギンチャク星とかナ」

「そそらないなぁ」


 そもそも性別なんてあるのだろうか。イソギンチャクに。


「でも、地球が滅んだらあたしたちから百合成分を補充できなくなるわけじゃん? それってしらちゃんにとってもデメリットになるんじゃん?」

「・・・・・・しらちゃん」


 うにょうにょ触手がクエスチョンのマークを作る。咲良が「ん」とその触手を指さした。


「名前あったほうがいいじゃん。しらちゃん、ちょーかわいくね?」

「い、いいね! よろしくしらちゃん」

「・・・・・・ともかク。我々の調査ではこの星ノ寿命はずっと先デあることがわかってイる。貴様らの世迷い言ニ付き合っていル暇はないのダ」

「あ、えっと、私が言ってるのは寿命とかじゃなくって、ノンケ星人っていうのがいきなり襲来してみんな焼き尽くされちゃうってことなの」

「なニ?」


 ノンケ星人という単語に、百合星人もといしらちゃんがピクリと反応する。


「あ、ノンケっていうのは異性を愛す人を現す言葉らしくて、ええと、スペルはNonke。あ! だからエクノンって名前になったのかな。わ、私めちゃくちゃすごい発見しちゃった! ねぇねぇ、エクノンの語源は――」

「ええイ、うるサい」


 キャッキャとはしゃぐとしらちゃんの触手が私の口元にあてがわれる。次喋ったらねじ込むぞという意図なのかもしれない。けど、情けをくれるあたりやはりこの宇宙人は話が通じそうだった。


「そのノンケ星人トいう存在ハ耳にしたコとがある」

「耳あるの?」

「この銀河ヲ統べる強力ナ生命体で、生物ノ愛を喰っテ生きていル奴らダ。しかシ、どうしテ奴らガこの星に来るというノだ?」

「なんか百合の波動を感知したみたいなこと言ってた気がする」

「ストーカーじゃん」


 だよねぇ、と咲良と顔を合わせて笑う。


 けどそのあと、咲良が表情を曇らせてしらちゃんに頭を下げる。


「てかね、ごめん。奈々香の話聞く限り、あたしのせいっぽいんだよね。なんか、あたしが話を合わせなかったせいでそのノンケ星人っていうのに奈々香を好きなことがバレちゃったみたいで、それで・・・・・・」


 私が事の顛末を話したときから、咲良はこのことを気にしていた。あたしが気持ちを抑えていられたら地球は滅ばなかったんじゃないかと、帰り道の途中何回も謝られた。空気の読めない私はまた「そう考えたらたしかに咲良のせいかも!」と言ったら泣きそうになったのですぐにうそうそと宥めた。


「いヤ、そレは違うな。奴らは侵略するトきでなけレば他の星に降り立つことハない」

「えっと、それってつまり」

「貴様らに投げかけられタ問いは、侵略前ノ他愛もなイ談笑に過ぎなイ。どう答えようト運命は変わらなかっタだろう」

「そ、そうなんだ・・・・・・よかったぁ」


 その足をしらちゃんみたくふにゃふにゃにして崩れ落ちる咲良。けど、すぐに立ち上がっていやよくないっしょと立ち上がる。


「で、貴様らは我々にそんなコとを教えテどうすルつもりダ?」

「あ、そのことなんですけど。地球滅亡を阻止したいのでそのお手伝いをしてもらえないかな~と」

「それはムリダ。奴らノ戦闘能力はあまりニも高すギる。我々百合星人の力でハ手も足もでナいだろウ」

「そ、そんなに強いんだ」

「強靱な爪ト、強固な鎧。そシて全テを焼き尽くス業火は殺戮のためニ生まれたようナ力ダ。そんな野蛮ナものに狙われたラ、諦めるしカあるまい」


 あなたも最初だいぶ物騒なこと言ってた気がしますが。


「そこをなんとかお願いしたいんです!」

「おねがいしらちゃん!」

「ふん、自分ノ星がそんナに大事か」

「そりゃそうだよ! みんなが死ぬのなんて悲しすぎるし、離ればなれになるのもすごく辛い。それに・・・・・・しらちゃんだって殺されちゃんだよ!?」


 巨大な腕の中で血のような、涙のような液体を流しながら握りつぶされたしらちゃんを私は見た。それにあのとき、確かにしらちゃんは私たちに逃げろと言ってくれた。


 私は知っている。誰かに逃げろと言える人。自分より誰かを優先できる人に、悪い人なんていない。・・・・・・白滝も例外じゃない。


 私の言葉に驚いたように、しらちゃんの眼が大きくなる。見開くとかではなく、本当に大きくなった。


「我々の命ヲ気にする必要なドない。我々ハ所詮集合生命体だ。ひとつが命尽きても、まタ他の個体が活動ヲはじメる」

「でも、しらちゃんはもう友達みたいなものだし。やっぱり死んで欲しくないよ」


 また一回り、眼が大きくなった。触手が私に伸びてきて、また口に突っ込まれるのかと思ったら頬に触れる。冷たかった。血が通っていないのかもしれない。けど、心はたしかにある気がした。


 隣を見ると咲良の頬にも触手が何本か伸びていた。くすぐったそうに眼を細めている。


「ふン」


 そのままなでなでしてくれるのかと思ったら、ぺちんと頬を叩かれた。けっこう痛い。


「逃げル、防グ。これは諦めロ。できルことは一つ、奴らノンケ星人ヲ殺スことだ」

「え?」

「まズはその殺し方ヲ模索するのが最善だロう」

「ということは! 手伝ってくれるってこと!?」

「・・・・・・あくまで百合のたメだ。貴様らノためでハ――」

「きゃー! しらちゃん!」

「うワ!」


 咲良が触手を数本抱えて、抱きしめる。というよりは締めあげるようになっていた。驚いた眼が私に助けを求めていて、うははと私も締め上げる。二人して蠢く触手を掴んで、わちゃわちゃ集まっている様子はなかなかにシュールだった。


 嫌がるように腕から逃げていく触手は、けれど私たちをはねのけようとはしない。


「死が迫っていルというのニ、よくモそんな元気でいらレるものだ」

「だーかーら、そうならないために一緒に頑張るんでしょ?」

「フん、わからンな」


 同じ言葉を喋っても、同じ心と体を持っていても、価値観や思想はまるで違う。人間という種族の間だけでもそれだけの相違があるのだ。地球人と宇宙人なら尚更だろう。


 けど、そんな私たちが今、同じ目的を持って同じ場所を目指す。それはとても尊いことのような気がする。漠然としているけど、尊いっていうのはきっとそういうものなのだ。表面化できる感情の外にあるものに、鼓動を鳴らす。だから、元気でいられる。


 死の淵や絶望を拭い去ってくれるような、もしくは誤魔化してくれるような理屈を探し歩くことがきっと、生きるということなのだ。


「やっぱり、守りたい」


 そう思えてよかったと、欠如のない心に安堵すると、しらちゃんと咲良が私を見ていることに気付く。


 私も自分がこぼした言葉に驚いて、すぐに笑う。


「あたしも」


 手を握られ、咲良の体温が伝わってくる。柔らかい。間近で目が合うと、きゅっと握る力が強くなる。指と指の間隔をなくすように、空洞を探し、埋めていく。摩耗した心の溝に温かいものを流し込むような行為に、唇が乾いていく。


 いつもならぺろりと上唇を舐めることも簡単だったけど、今ばかりは意識が混雑して思い通り舌が動かない。


 麻痺するようなその感覚は、たしかに心地よいと言えるものだった。


 繋がれた手を見て、しらちゃんも「ふム」とご満悦のようだった。見せつけているようで、なんだか変な感じだけど、宇宙人ならいいかと犬や猫と似たような視点で見てしまう。


「これカら話すことをよく聞ケ」


 低い声色に、私と咲良も緊張した面持ちで頷く。


「そノ手を離したくナいのならナ」

「離したくない。私、もう絶対間違えない!」

「そうカ」


 屋上で転がる、薄汚れた木の板。そこに書かれた『地球外知的生命体防衛本部』という文字に、自分の意思を繋ぐ。


 誰が書いたかは知らないけど、私はそれに従わなくちゃならない。廃棄のパンをかじりながら、望遠鏡を覗く日々はもう終わったのだ。


 日々というのは必ず進み続ける。それは人の心と同じで、進んだ先が正しいかどうかは自分で判断するしかない。


「あれ?」

「うん? どしたん? 奈々香」

「あ、あー、んー。なんか今・・・・・・」

「呆けテいたゾ。アホ面デ」

「アホ面!」


 そんな言葉、どこで覚えてきたのだろう。そもそも普通に日本語を話しているあたり、そういう言語ソフトでもインストールしたのかもしれないし、そのときに覚えたのかもしれない。


 気を取り直して、アホ面を解除する。解除できたかどうかは分からないけど、声なく笑う咲良がその答えを知っている気がした。


「・・・・・・これかラ話すのは唯一地球を救えルかもシれない方法ダ」


 低い声色に、背筋を伸ばす。


 宇宙人の話に集中して耳を傾ける日が来るとは思わなかった。人生って、いろいろと突然なのだ。前兆も準備もない出来事に、ひたむきに向き合っていくしかない。


 そんなコツコツ精神がひとつの星を救う場面でも必要なのかは定かではないけれど、私はもう、誰かを想う気持ちを知っているから。きっと、大丈夫だろう。


 今の私の手のひらは、息絶えるまでに浴びたどんな血潮よりも、温かいのだ。


「いイか、ノンケ星人を倒すニは――」

    

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