第23話 うんめーに抗う、カンジで?

「じゃあね~不思議ちゃん」


 ホームルームが終わってそれぞれの行き先に向かう途中、私の席に立ち寄った人は決まってそう言って手を振った。


 体育の時間でわんわん大泣きして咲良に抱きついた私は気付けばクラスメイトからあだ名というものをつけられていた。


 不思議というほど尖った生き方をしているわけではないんだけど、かといって平凡よりはやや地面を這いずっているような私なので、不思議ちゃんというのは当たらずとも遠からずだった。


 けど特殊な空気を纏ってるタイプの清涼な不思議ちゃんではなく、なにを考えているのか分からないという意味での不思議ちゃん、な気がした。振り返す手が机の角に当たって「うぐぉ」と唸るとクラスメイトは笑って教室を去る。赤くなった手を見て、不思議ちゃんかぁ、と項垂れる。


「奈々香人気ものじゃ~ん」

 

 唯一私を名前で呼ぶ咲良が鞄の角で私の背中を叩く。


「人気者というか、珍動物扱いな気がする」

「間違ってはないね」

「やっぱり!」


 包み隠そうともしない咲良がけたけた笑って、私は膨れた頬をバチンと叩く。空気の抜けた風船のようにしなびて、机に突っ伏した。


「帰ろ、奈々香」

「・・・・・・うぅん」


 肯定と呻吟の間を行き来するような声が出て、咲良も一瞬首を傾げる。傾げるけど、そのまま私の襟をつまんでクイクイ引っ張った。ぐえ、とアヒルになる。


 のそのそと立ち上がって、鞄を肩にかけるとズルズル。落ちていくので手首にぶら下げたまま咲良の後に付いていく。教室を出て、少しすると咲良がこちらを振り返った。なんだろうとそのまま咲良の横へ付くと、再び歩き始める。


 咲良は隣を歩くと私に影をつくる。見上げると端正な顔があって、綺麗な角度の首が襟元から伸びている。その横に染められた薄桃色の毛先が揺れて、私がそれを眺めていると咲良がこちらを見て笑う。


 懐かしくて、落ち着く。息が乱れることのない距離はいまだに現実感がない。


 私は夢を見ていたのだろうか。


 咲良の隣に夢を見たのか、今までのことが夢だったのか。微妙にニュアンスの違う夢という単語を授業中ずっと考えていた。


 結果だけ言えば、多分。夢じゃないんだろうなぁ。


 地球が焼き払われる瞬間と、人が空気に溶ける惨状。生き延びた人が肉体的に滅んでいくのを最初はわぁぎゃあと悲鳴をあげて逃げ続け、気付けば血が飛び散っても驚かなくなっていた。そんな体験は、今でも私の脳裏に焼き付いている。


 悪夢から覚めたときのようなぼんやりとした感覚ではない。脳を探って思い出さずとも、後ろを振り返ればいまだに砂が星を覆っている。


 私はエクノンと呼ばれる化け物から逃げて、生きて。仲間が減っていくのを見ながら居場所を探して、水をぐびぐび飲みながら肉をハフハフ頬張っていたような記憶。今思えば、あの味はジンギスカンに似ていたような気がする。私のお父さんは嫌いと言っていたので、生き残っていたとしても飢え死んでいそうだった。


 食卓を囲んで団欒をしていたわけじゃない気がする。私は一人で生き伸びれるほど強靱な心を持っていないし、じゃあ誰と一緒に壊れかけの星を歩んでいたのか。


 思い出せない。なんだかお風呂も入ったような気もするし隠れ家のようなものも作った、気がする。気がするだけで、定かではない。


 鮮明な記憶と靄のかかった記憶が明確に区別されて、区別する要因はなんなのだろうと考えるけどやっぱり分からない。


 けど、そこまで事細かに疑問を抱けるということはやっぱり、形のない夢とは違うものなんだと思う。


「ねぇ奈々香。このあと暇っしょ?」

「え? うーん、どうだろう」


 思案に耽りながらも返答すると、咲良が歩くのをやめて驚いたように私を見る。釣られて私も固まってしまい、下駄箱の前で対峙する形になる。なんだこれ。


 目を合わせながら、カニのように横歩き。手探りで自分の靴を掴んで床にぼてんと落とす。


「いつもなら暇に決まってるけど!? って言うのに、用事でもあるん?」

「あ、いや。ううん。そういうわけじゃないんだけど」

「そっか。あの謎に自信満々な奈々香、ケッコーおもしろくて好きだからさ。ごめんごめん、決めつけちゃったね」

「う、うううううん! 気にしないで! 私なんて暇に決まってるんだから!」

「う多くない?」


 靴につま先をゲシゲシと入れる。前はぴったり入ったのに、今日は何故か入りづらかった。靴が縮んだのか、それとも私の足が大きくなったのか。そもそも前って、いつだろう。


 つま先の入らないその様に、シンデレラだか白雪姫を連想するけど、結局行方のない散歩のような考えは気付けば霧散し靴を履き終える。


 玄関を出ると、勢いを失った太陽が弱い日差しで地上を照らしていた。ひぃ、ふぅ、みぃ。快晴ではないけど、ギリギリ数え切れそうな数の雲が空を支配する。


 冷たい風が雪を予感させて、けれどまだ地面は茶色い。


「雪、降らないな-」


 ぼけっと入り口で空を仰いでいると咲良も私の真似をして上を向く。


「あたし、雪って好きなんだよねー」

「歩くとぎゅっぎゅっって音が鳴るから?」

「あははっ、当たり。あれ? あたし奈々香に言ったっけ?」

「う、ううん! なんとなく、咲良ならそうかなぁって」

「おやおや~? あたしのことそんなに理解してくれてんの~? 嬉しいかも」


 悪戯っぽく笑う咲良が私の肩をつつく。たいした反動ではなかったのだけど、私はおっとっと。バランスを崩して一本足のまま前に進む。「どこ行くね~ん」と咲良が後を付いてくる。


 片足で地面を踏むたびに体が硬いものに弾かれる。


 その感覚が未来であったのか過去であったのか。懐かしむという表現が正解なのか分からない。


 けど私は、咲良が雪を好きな理由を知っていた。それは私の記憶にあるはずなのに咲良は知らない。


 もしもこれが夢の世界なんかじゃなくて、平行した一本の線の上で齟齬が生じているのだとしたら、きっとなにかが変わったというわけではないのだろう。


 校門へ向かう私たちと、まだ教室にいる人に違いを見いだすとしたらきっと感じる外の温度だろうか。だからきっと、分かりやすく咀嚼すれば。


 私は過去に戻ってきたんだと思う。


 咲良はまだ教室にいて分からないだけで、一度外に出た私は温度を知っている。そういうことなんだと思う。あれ? でも咲良は私の隣にいる。ううん。よく分からなくなってきた。


「あ、奈々香に枝毛はっけ~ん。ね、ね。引っ張ってもいい?」

「え、えっと。ビリビリってするだけなら」

「ホント? じゃあおかまいなく、びりびり~」


 毛先の神経が咲良の指を掴んで、ふにゃふにゃとほつれていくのが分かる。耳の近くで咲良の吐息が当たり、びりびり~と楽しそうに枝毛をいじる声が鼓膜を撫でる。


 引っ張られる髪に付随して、前髪がズレて視界が明瞭になる。


 刺した光に網膜が悲鳴をあげる。光を見ると、空気に溶ける咲良を思い出して、心が痛い。


「とれた~! ほら見て奈々香。えだげ~」

「どんだけ~、みたい」

「えだげ~」


 半分ほどの細さになった髪を指で揺らしておどける咲良を見るたびに、心臓が不快な跳ね方をする。焦燥を駆り立てるように、血液を巡らせる。


 私が過去に戻ってきたのだとしたら、いつか目の前の咲良が世界と共に朽ちる日がやってくるのだろうか。


 人はいずれ死ぬとはいえ、人並みの終わり方をできなければきっとそれを不幸と言うんだと思う。


 楽しいこの時間がいつか失われるものだとして、私にできることはあるのだろうか。過去に戻るなんて非現実的な現象を信じられるくらいに非現実を歩んできた私がわざわざ記憶を引き継いでやり直しを許されたのだから、おそらく使命みたいなものがあるのだと思う。


 うんめー? を変えるとか。人生経験がすでに豊富となった私だけど、そのうんめーとやらにはまだ関わりがない。


 もし咲良に全てを告げたら、どうなるのだろう。


 私を不思議ちゃんと呼ぶ? まだ夢心地なのかと心配さえさせてしまう気がした。


 夕焼けもまだ遠く、廃棄ガスと種類も分からない鳥の羽ばたきが彩る風情のない空を見て、開きかけた口は閉じてしまう。


「奈々香さ」


 代わりというわけではないだろうけど、咲良が視線を前に向けたまま口を開く。


「なんか悩んでる?」

「・・・・・・なー、やんでる」

「え、病んでんの?」


 区切り方が悪かった。


「言いづらいことなん? なんか今日ずっと変だったし、急に泣くし。それにあたしを見るたびに辛そうな顔するし。ね、あたし、なんかしちゃった?」

「あ、ううん。咲良はなにもしてないよ。してないけど、された、というか。あ、いや。私変だよね、急に泣き出すって今思えばヤバイ奴だよね。なんか今日は変なの、変記念日なんだ、いぇーい」


 そりゃあ不思議ちゃんだよねと笑うために表情を崩そうとするけど、口元は硬く結ばれたままだ。


 冗談に、咲良も笑うことはなかった。


「別に泣くのは変じゃないっしょ。つらければ人間、涙が出るようになってんだからさ」


 温かい手のひらが私の頭に乗せられて、自然と俯きがちになる。


 私の足の横には、オシャレな靴が並んでいる。隣を誰かが歩くと、足跡がもう一つ増えるのか。当たり前のことに、今更気付く。


「人間ってすぐ一人で塞ぎ込むような生き物だからさ、涙ってきっと、隠した感情を他の誰かに伝えるために流れるんじゃないかなって。あたしはそう思うよ」


 くしゃくしゃと撫でられて、鼻がスンと鳴る。


「あたし、頼りないかな」


 毛布にぐるぐる巻きにされたようにくぐもった声が、地面に落ち込んでいく。跳ねることなく、水のように滴るそれは、私の足を小突いて渇いて消える。


「これでもさ、一応変わったつもりなんだよね。髪を染めたあの日から」


 撫でる髪が、降りて。私の頬に触れて止まる。


「あたしもう、ハリボテじゃないんだよ」

「あ・・・・・・」


 自分を変えたい。だから咲良はギャルになった。そんな話をしていたと過去を見て思い出す。過去はきっと人を変えるためにあるのだけど、未来だって同じようなものだ。


「ハリボテじゃないって、奈々香が言ってくれたんだよ」

「さ、咲良・・・・・・」

「悩んで、苦しいなら。あたしが力になるからさ」


 肺に詰まった無数の砂が抜けていくようだった。


「そんなさ、なんかの主人公みたいにならなくていいんだよ。奈々香は奈々香なんだから」


 重くのしかかる使命は四肢を縛り付けて動かない。一人で戦うことこそが至高だと、規則のようなものを作って抗う者は臆病者だと非難する。誰かを助けるために誰かを巻き込むなど愚者のすることだ。


 それはきっと間違ってはいない。私は産まれてからこれまで大人たちからそういう思想をすり込まれてきた。私だけじゃない、多くの人がそうだと思う。


 一人で戦い続ける者は強い。すぐに助けを呼ぶのは弱者の証だ。けれど。


 つらい。


 考えて考えて、ストレッチの最中に大泣きするほどに、私は辛い。


 なるほど、咲良の言ったことはたしかに正しい。


 私は私が辛いなどと思ってることに気付かなかった。大事なものを背負わないと生まれようのない高尚な感情など持ち合わせていないと思っていたのに、心よりも先に、涙が誰かに助けを求めていたのだ。


「咲良」


 ぎゅ、と服を掴んで。寄ったしわがこれから向かう無数の道を暗示しているようだった。それが全部私の胸に繋がっていることに気付いて、咲良を見る。


 神様にすら頼らなかった私が、初めて誰かに縋った。


「びっくりするかもしれないけど、聞いてくれる?」 

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