第三章

第22話 ここから私のどんでん返し

 苦痛と悲惨な血しぶきの中、遙か彼方の記憶を見た。


 生まれてから今日まで、私は愛を知らず、受けず、宿すこともなかった。それは俯瞰して見れば平坦な野原のように起伏のないまっさらな景色だ。果てすらも見えない広い場所で、私は独り、佇んでいる。


 寂しいなって思った。ということは、わたしは誰かの温もりを欲しているということだ。


 居て欲しい人はなんだか選べるようだったので、私は選んだ。選んだその人が、私の好きな人なのだろうか。


 いつまでもそんなことを考えていたわけだから、野原は焼けてしまったのだ。


 人の心は口と直結しているわけではない。思ったことがぐるぐる、全身を回って生き残った感情だけが外に出る。私の抱いていた感情はきっと、途中で先細り朽ちてしまうほどに弱いものだったのだろう。


 けど、悔しくはなかった。探して探して、自分を納得させるために探し歩いてようやく見つけた気持ちは言ってしまえば人工的なもので自然に生まれたものじゃない。養殖よりも天然のほうが美味しいと昔から相場は決まっているのだ。ああ、お寿司食べたい。


 ――逃げてッ!


 はて、と首を傾げた。私ってこんなにカッコイイ台詞を言えるような人間だっただろうか。うーん。だったかもしれない。


 自己評価うんぬんはさておいて、ブツリと神経が遮断されて視界に靄がかかりビックリする。普段から不明瞭であったからそこまで不自由はしなかったけど、彼女の安否を確認できないのはちょっと不安だった。


 幸せになって欲しいと願うのは、これが初めてじゃないけど。なんだか久しい気がした。いつだっただろう。確か、ぽこぽことオーブンの中でパンが焼けていた頃だった。


 誰かのために自分の時間を使う。誰かのために自分の人生を捧げる。似通ったその行動原理に、明かりが灯ったように胸が熱くなる。心が焼け、焚き木となって炎を宿す。熱とは生きる証だ。空に向かって上がる煙を道標に、人は歩く。


 四肢もちょん切られてどこかへいってしまったというのに、私の心はどうしてこんなにも熱を持つのだろう。追うように紫色の空を見ると、そういえばと言葉を思い出す。


 ――好きな人には幸せでいて欲しいじゃん。


 めらめら。燃える。


 ぽこぽこ、マフィンが回る。


 焼き上がって、ふっくら。食べてもらうと頬もふっくら。美味しいと言って貰えて、幸せそうに笑って貰えて、それが嬉しくて、また明日も生きる。


 今の私の体と、今まで受けた優しさと行動が重なって、ああ、と小さく声をこぼす。


 そっか、そっかそっか。あーなるほど、ポン。と手を叩きたいけど、肝心の腕はどこへやら。


 私は愛を知らない。そんなのはウソだ。


 知っていた。ただ信じられなかっただけで、見えたはずの景色を黒いカーテンで覆ってしまっただけで、本当は知っていたのだ。


 切り裂かれた前髪が血だまりに浮かんで、鮮烈な光が網膜を焼く。


 針に刺されるような痛みに顔を歪める。体をズタズタに切り裂かれようとも動くことのなかった表情が初めて悲痛を映す。


 眩しいそれは、私の大切な人を奪った光だ。

   

 憎い。許せない。心に直接血管が浮かぶようで、なによりも痛かった。


 なんだ。私の厭世的な心には、しっかりと血が通っている。誰かを愛せる、人の形を保っている。


 ぽろ、と涙が落ちた。


 もう少し気付くのが早ければ、もしかしたらこんなことにはなってなかったのかもしれない。


 私はきっと、主人公なんかじゃないし世界を救うヒーローでもない。ないけど、そんな高望みはしないから、一人の普通の人間として私の物語を描きたい。


 ・・・・・・けどやっぱり、世界は救ってみたかった。チートやらなんやらでみんなを助けてちやほやされたい。えへえへ。


 あとは、大好きな人を守りたかった。


 あれ? 今のはなかなか主人公っぽのでは!?


 なんて考えているからダメなんだと思う。


 ええ加減にせえ、とツッコミのように体が切り刻まれていく。


 心残りはいろいろあるけれど、肉体が滅ぶまで吹っ飛んだ自分の足を眺めることにした。


 私の足って、意外と長い? だとしたら咲良の言うとおり、スカートは似合うのかもしれない。死ぬまでに着ておいてよかった。けど、咲良にも見て欲しかった。


 心にいつも誰かがいて、その人が気がかりで、その人のためならなんだってできるししてあげたい。式と解を得た私に、けれど答え合わせをする時間はない。


 一回一回振り返って、見直しをする。人生も学校のテストも似たようなものなんだなと遠のく意識のなか思う。


 ザク、ザク。


 四肢をなくした私の体に飽きたのか、それとも遊び足りないのか。異形の化け物はその大きな爪で私の背中をツンツン、突き始める。


 そして、ジュクジュク。食い込んでいく。


 って、い。


 ザクザク、ジュクジュク。


 い。


 い!


「いったあああああああああああああああああああああい!!!」

「おわ! びっくりした!」

 

 激痛の末ついぞ叫んだ私の声は快晴の空に吸い込まれていく。


 空。・・・・・・空? 太陽は白く煌めいている。妖しい紫色ではない。


「あたしそんな強く押したつもりないんだけど・・・・・・奈々香ななか、大丈夫?」


 砂も、化け物も、血も。淡い無機物じみた色はどこにも見えなかった。渇いた風が凪いで、視界で揺れたのは鮮やかな、薄桃色。


「あ」


 深色の瞳が私を見据える。多くの色に翻弄され、出迎えられた景色に目を細めた。


「さ、咲良さくら・・・・・・?」

「え? うん、咲良だけど。どしたん? その顔、すっごい眠たそうなんだけど。体育の授業中によくねれんね」


 目を擦る。


 口元を拭く。


 そんな私を見て、咲良が快活に笑う。


「え、エクノンは!?」

「えく、なに? エクレア?」

「化け物! 化け物はどこ行ったの!?」

「あははっ、ちょっと奈々香。落ち着きなって」


 慌てふためく私の肩に咲良が手を乗せる。羽毛のようで、温かい。


「まさか、夢でも見てたん? なかなか器用なことすんねー」

「夢? え、夢?」


 腕も、足もある。それに、咲良もいる。咲良がいる。


 長い長い、夢だったのだろうか。吊り下げられたように浮遊する意識がぷらぷらと揺れる。据わりが悪くなかなか定位置が決まらない。


「奈々香?」


 あれが夢かどうかは、今は重要じゃない。私が居るこの世界が現実なのかどうかが最も大事なことだった。


 咲良の頬に手を添えて、血の付着していない久々に見る肌色を通して熱を受け取る。


 熱い。


「えー? なになに? 奈々香ほんとにどうしちゃったん?」


 後悔の先にずっと佇んでいた咲良が、私の手に触れている。


 広く、果ての見えない高原で、私と咲良が繋がった。一人じゃない。伝達された情報を咀嚼すると、口の中がしょっぱい水で満たされていく。


「って、ちょっ、奈々香!? なんで泣いてんの!?」

「さ、咲良」


 安堵で人は泣けるのか。嬉しいと笑うよりも先に水分が出てくるのか。悲しくても涙は出るし、そういえば先生に怒られて泣いてしまう子もいたなと思い出す。あれはなんでだろう、自分が情けないから? なのだろうか。


 とにもかくにも、人が涙を流す理由はそれぞれらしい。 


 空はこんなにも晴れているのに、大粒の雨が、グラウンドの砂を濡らしていく。


 両手を力なくだらりと下げて、顎はやや上げる。仁王立ちの状態で私は雨雲となった。


「あーん!!」


 バカな子供のような泣き声だった。人の視線も自分の立場も、全部かなぐり捨てて、もしかしたら長い年月で忘れてしまっただけなのかもしれないけど。


「うあーーん!! 咲良がああーん!! いる、いるうああーうん!」


 なんだなんだとクラスの子たちも集まってきた。目を丸くした先生もファイルを落としてたじろいでいる。


田中たなかさん大丈夫? どこか痛いの?」

「え、ええ? これどういう状況? なんで田中さんマジ泣きしてるの? 咲良なんか知ってる?」

「や、あたしもよくわかんなくて」


 ハンカチとかティッシュとかが鼻と目にあてがわれて、鼻水がびよーんと糸引いて、クラスの子の顔も引き攣っていた。


 わああ、ごめんなさい。そう思うと尚更涙が溢れ出てくる。


 私の涙はもしかしたら、そういう意思で支配されているのかもしれなかった。


「奈々香、ほら。大丈夫だから。あたしはここにいるから。だから泣かないで」

「んびんび」

「なにその泣き方」

「んぶぇーん! ええ~ん、うわあああん」

 

 気付けば私は咲良に抱きついていた。


 これまで付着した幾億もの血肉と穢れた過ちを涙で流すように、錆び付いた時間を熱で溶かすように。


 咲良の胸に顔を埋めて、わんわんと泣き喚いた。


 肩を落として困ったように笑う咲良が周りの子たちに目配せして、私の髪を優しく撫でてくる。


 止まらない私の泣き声に「ええ」とドン引く先生の声が聞こえたけど、今だけは許して欲しかった。


 ほら見てよ。


 誰に言ったのか。みんなに、先生に? 神様か宇宙の化け物か。それとも別の誰かだろうか。


 私はこんなにも涙を流せる。こんなにも誰かの存在を愛おしく思えることができる。あなたの居ない世界でなんて生きれない。演技でしか聞いたことのないような台詞を今なら理解できる。


 ねえ、見てよ。


「あああん、うあああああああああん!」


 私はこんな無様にブサイクに、泣けるんだよ。


 結局、体育の授業は当初予定していたランニングを中止して、私のおもりをする時間となった。


 ランニングをよく思わない子たちが私の肩を叩いて「ナイス!」と冗談交じりに言ってきて。


 私は鼻水を咲良の胸に引っかけたまま、くしゃくしゃの顔でサムズアップするのだった。  

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