第21話 この宇宙よりも大きな想いで

「・・・・・・え」

「できればカボチャがいいな。あ、牛肉でもいいですよ?」


 日本語、日本語だ。人間の声。中性的だから男の子か女の子かは分からないが、小さな背丈が膝を抱え込んでわたしを見下ろしている。


「だ、だれ・・・・・・ですか」

「あははっ、人間って謙虚な個体が多いんだなぁ。まぁそこがいいところなんだけど、お姉さん。敬語じゃなくていいですよ、ボクのほうがどう見ても年下でしょう?」


 下から上まで見て、確かに歳はわたしが上かもしれないがそんなものでは計れない迫力がその子にはあった。


 黒いフードが宇宙の果てのようで、覗く銀河のような瞳が止まることなく光を放っている。


「持って、ない」

「それは残念。でもいいか、永遠なんてないんだし。コロッケは諦めることにしますよ。それじゃあまたね、綺麗なお姉さん」


 皮肉だろうか。今のわたしはおよそ麗しいそれではない。


「ま、待って!」


 歩くその子は、けれど逃したら瞬く間に闇に消えてしまいそうで。気付くとわたしは手を伸ばし肩を掴んでいた。


 しまったと思ったが、その子は変わらぬ表情のまま振りかえる。


「どうしました?」

「た、助けて・・・・・・ください」


 我ながら情けないと思った。けど、その通りだ。情けないから、なにもできなかったのだ。


「ふむ」


 考えるように俯くと、視線の先で震えるわたしの手を見てニヤ、と笑う。笑ったことに違いはないが、およそ笑顔とは呼べないものだ。


「なら、なにかください」

「え?」

「なんでもいいです。ボク、人間から物を貰うのが好きなんですよ」


 血の足りない冷たい脳が、この子はいったい何者なんだろうと考える。もしかしたら敵かもしれない。姿が違うだけで、喋れるだけで、エクノンと似たような生物なのかもしれない。


 だとしても、なんでもいい。縋れるのなら化け物でも死体でも。


「食べ物じゃなくても・・・・・・?」

「ええ、物なら。なんでも」


 一体、なにを持っているだろうか。誰かに渡せるほどのものをわたしは持っていただろうか。


「わたしの命、とか」


 唯一あった。残った物。まだ物としてある内に、捨ててしまいたい。死への恐怖とか、そんな常識的な感情はすでに破壊されている。


 わたしの提案に特に驚くこともしないその子は、フードの影に瞳を潜ませて頷いた。


「いいですよ。人間の命もれっきとした物なので、お姉さんがいいのなら、ね」

「わたしは、いい。助けることができるのなら、命なんて惜しくない」


 惜しくないとは保守的な言い方だ。きっとわたしはすでに自分の命に価値を見いだせていない。

 

 だから正しくは、どうにでも使ってくれ。言い直すことはしなかった。


「で、お姉さんは誰を助けたいんですか? もしかして、お友達? それとも家族?」


 家族、友達。確かに昔はいた。けれど、この星でずっと手を繋いでいたのはただ一人。友達よりも、家族よりも。


 ――やっぱりみんな幸せがいい、いいなぁ。


 大切な、人だ。


「全員を、助けたい」


 こんなバッドエンド、わたしは嫌だし、ゆかさんも望まない。彼女はずっと、最高のハッピーエンドを望んでいた。


 わたしの知るシンデレラとは違う。厭世的でないもっと輝かしい世界をゆかさんは知っていて、ずっと夢見ていたのだ。


「あははっ、お姉さん。・・・・・・それ、本当に言ってます?」


 黄色と青、そして黒の入り交じった瞳が渦を巻いてわたしを見る。その声色に柔らかいものはなく、強靱な糸が胸を貫くようだった。


 おそらくこの子は、人間じゃない。


 わたしが一つ間違った選択をすればこの星や世界でも簡単に壊れてしまいそうな気がした。


 けど。


 知ったことじゃない。わたしの知る世界はすでに終わりを迎えた。未来と今がないのなら、過去に手を伸ばすしか残された道はないじゃないか。


「死ぬだけじゃ済みませんよ」


 それは忠告のようなものだと、軋む骨と震える膝が教えてくれる。


「体も、記憶も、生きた証も命の残滓もまるごと世界から消えてしまう。死よりも残酷な、根本からの抹消と存在の否定がお姉さんを待っています。当然、大切な人の記憶からもお姉さんは消滅する」


 聞くだけで、ゾッとした。背筋を通して胸一体の熱が外に逃げていく。生物の到達することのできない終わりですらない目的地が待っているようで、恐ろしくて、涙と嗚咽が止まらず溢れ出てくる。


 なによりも、ゆかさんに忘れられてしまうことが一番、怖い。


 自分の体を抱いて、選択を委ねた。


 震えは止まらない。


 体からの答えは、ノー。怖い、やめてくれ。


 それでもわたしは、きっと抗わなければならない。


「目を瞑っても黒はない。耳を塞いでも無音すらない。無に無を重ねて、思考すらもない世界でお姉さんは生きも死にもしない。そんな代償が必要と知っても、お姉さんは全員を助けたいと言うんですか?」

「助けたい」

「永遠に、宇宙の果てに溺れることになろうとも、ですか?」

「それでも」


 もう、迷いはなかった。


 友達? 家族? 違う。


 わたしは宇宙の塵になったって構わない。すべての人の記憶から消えてしまったとしても、躊躇ったりしない。


 それぐらいにあの人のことが。


「好きなんです」

「あははっ、それは大きい」


 笑われて、ムッとなった。宇宙なんかよりもっともっと、わたしはゆかさんが好きだ。


「本当はそんなことしたら、ボクの立場的にダメなんですけどね。けど、借りがありますので」

「借り?」

「ええ。コロッケの借りがね。すぐに返すつもりでいたんですけど、あまりにも面白くて、ああ、こっちの話です。けどあれは、くくっ・・・・・・本当におかしなお姉さんだったなぁ」


 思い出すような素振りに、この子にも時間という概念があるのだなと思った。


「なので、お姉さんの願いは聞き入れることにしましょう。人間は昔から物々交換で生きてきた生物ですので、それに乗っ取ってね」


 この子の言うお姉さんは、わたしだけのことではない。そんな気がした。わたしはコロッケなんて渡した覚えはないし、貸しを作った記憶もない。


「そのお姉さんって、誰?」


 わたしの知らない誰かなら、その人の作った借りを横から頂戴するのはいかがなものかと要らぬ良心が痛む。


「ここにいるじゃないですか」

「わたし?」


 自分に向けて指を指すと、その子は楽しそうに頷いた。一歩近寄って、わたしの胸に細い手を当てる。


「ここに」


 その子が触れた箇所が、微かに光る。柔らかい粒子が、花の種のように風に乗ってどこかへ消える。


 わたしの心に誰かいるとでも言うのだろうか。なかなかロマンティックなことを言う子だ。摩耗しきった心に、優しさが滲みきるのに時間はそうかからない。いいな、と感傷に浸る。


「もう一度聞きますけど、本当にいいんですね? お姉さんの命。それ以外のもの。在ったはずの過去も、未来も全部宇宙の塵となり、存在ごと消滅します。もう二度と、あなたはこの世を思い出すことも視ることもできない。それでもいいですか?」

「はい、それでもわたしは。望みます。あの人が願った、ハッピーエンドを」

「分かりました」


 確認ではなく、それはきっと儀式のようなものだったのだと思う。


 わたしの意思が固まった瞬間、世界の角度が変わっていく。


 空が地に落ちて、砂が巻き上がる。中にいたエクノンも悲鳴をあげて空中で砕け散った。命も物も見えない粒子となって暗い宇宙に消えていく。


 わたしの体も空気に溶けるような感覚に苛まれ、呼吸や鼓動といった命の証も忘れていく。


 血が止まり、循環を必要としなくなった臓器がボトボトと足下へ落ちて地表を踊る。飛べない小鳥がもがくようだった。


 ああ、消える。


 絶命とは違う感覚はひどく強い眠気のようで、案外悪くはないのかもしれない。けれど同時に、わたしだけが安らかに眠っていいのだろうかと疑問も浮かんだ。ゆかさんや、他の人たちは苦しい思いをしているはずなのに。


 いや、違う。そうならないように、わたしの存在を宇宙に還すのだ。


「人間って、命とか愛とか、色々ありすぎて難しいですよね。大変だなぁって、見てて思います」


 星がぐらついて、浮かんだ星々も消えたろうそくのようにポツポツと光を失っていく。小さい頃、遊びの時間が終わり寂しく部屋を片付けていたのを思い出す。懐かしく思う、これすらも今より失われようとしている。


 やっぱり待ってと、言ってしまいそうになる。怖くて、中身を無くした体が震える。


「そうか。こんな小さい体に、宇宙規模の感情が眠っているのか」


 けど、終わりってみんなそんなものなんだと思う。


「人間とは、コロッケみたいなものなんですねぇ」

 

 人類に対して、なんだかとてつもない勘違いをされてしまったようだ。わたしに非はないと思いたい。


 異議を申し立てようとする口は、すでに空気となり役に立たない。わたしの意思が外に出ることはもうないようだった。


 水底に落ちていくように、体が沈む。視界は地表にあれど、もうわたしの体はこの世にない気がした。遅延のようなものがあるのだろうか。


 それはまるで、インターネットのようだ。ゆかさんに言ったら、きっと笑ってくれる。


 笑ってもらえるように。


 落ちて――いるのだろうか。浮かんでいるわけでもなさそうで、ああ行方がないのかと思ったのが、わたしという存在の最後だった。味気ない。


 そんな味気ない世界に、なってほしい。


「ばいばい、お姉さん。いいものを見れましたよ。ありがとう」


 ぶくぶく。水面に顔を沈める。


 水鏡にわたしとゆかさんが映って、波打つと表情を変えて笑う。


 この思い出も、きっと覚えているのはわたしだけになるのだろう。そしてそのわたしが消えるのだから、ゆかさんと過ごした時間は無かったことになる。


 あとはお願いしますゆかさん。それと、ごめんなさい。


 わたし、最後まで他人任せでした。自分じゃなにもできない、こんな弱いわたしをいつも助けてくれて、ありがとうございます。


 どうかゆかさんだけは。


 望む世界で、笑っていてください。


 願って、願って、朽ちていく。


 ――ああ、でも。


 最後に。


 見たかったなぁ。


 広い海を。


 一緒に。


 そう、叶わない願いを最後に。


 わたしは存在の証明を、宇宙に捨てた。



「何度繰り返しても、すべての記憶を失っても、どんなに形を変えても。人間は同じ道を辿る。そういうの、運命って言うんでしたっけ? 不思議なものですよね」


「けど、お姉さん。お姉さんならきっと。その運命を変えることができます。大丈夫ですよ、何故って? あははっ」


「美味しいですもん、コロッケ」

 

 

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