第19話 これが日常

 一週間は経っただろうか。一ヶ月経っていたっておかしくない。年単位までには、おそらく達していない気がした。


 時計がないと必然的に空を見上げることが多くなる。昔の人はよく星座なんてものを思いついたなと思ったがなるほど、今は少し分かる。きっと下を向いて歩くわたしたちが新種の昆虫を見つけるのと同じようなものなのだろう。


 月が移動すると付いていく星は、わたしたちをどう見ているのだろう。愚かな生物だと思うだろうか。もしかしたらなかなかやるじゃないと褒めてくれているかもしれない。


 ともかくとして時間を星空でしか計れないわたしはおよその期間を予測して、今日も遺跡の角に腰を下ろしていた。


 このところ、エクノンの襲撃が一度もない。悲鳴も聞こえないし血の臭いもしない日々はきっと日常と呼ぶのだろうが、どうにもしっくりこなかった。砂でお城を作り始めたゆかさんを見ていると、平和ということに変わりはないのかもしれない。


 いや、どうだろう。わたしの知る戦争とは、四六時中爆弾が落ちて銃声が轟いているようなものだ。けど実際にはなんの襲撃もない暇な期間もあったのかもしれない。嵐の前の静けさでないことを祈るばかりだが、祈れば祈るほど悪い方向に傾いてしまいそうなのでやめておく。


 屋根が崩れたことで全ての基盤が歪み倒壊した城にゆかさんが「ぜあ!」と声をあげる。ウルトラマンのようだった。


 星の彼方から飛んできてカルシウム光線? だったかなんだかを撃ってくれたら楽かもしれない。


 めげずに壊れた城を修復しはじめるゆかさん。自由を失ったわたしたちは、むしろ時間が増えたように思う。選択肢というのは充実ばかりを与えてくれるわけではないのだ。


「ちょっと濡らさないと形にならないと思いますよ」


 助言をすると、なるほど! とアンテナを張って毛先が行き先を示すように逆立った。ぴょこぴょこ駆けて、すぐに転んだ。平衡感覚が終わっているのかもしれない。


 いつも使っている浴場に行き、手のひらに水を汲む。無限に湧き出る・・・・・・いや、落ちてくる滴が額に当たって上を見る。この星で水は血をろ過しないと手に入らない。この上にはいったい何が眠っているのだろう。あまり考えたくないことだった。

 

一滴口にして、美味しいからいいかとゆかさんのあとを付いていく。湿った砂が固まって今度は立派なお城が完成した。二人でハイタッチをして、その日は城の横で寝ることにした。まるで子供のような、そんな日々。


 仲間の仇とか、世界を救うとか、そんなことはもう頭になかった。ゆかさんと二人で過ごす時間こそがわたしの世界だったから。この世界を守ることがわたしの望みとなる。歪みのない自然な理念にわたしも疑問を抱くことはない。


 次第に生活の質を気にするようになったわたしたちは広間に転がる死体を外に捨てた。埋めようとも思ったけど、腕がにょきにょき生えてきても困るのでやめておいた。懸命だと思う。


 こびりついた血を水で流し、汚れた衣服を雑巾にしてごしごし。床をキュッキュ。頑固な汚れとその広さに丸一日かけても部屋半分も終わらなかった。


 疲れれば疲れるほど心地のいい睡眠を迎えることができて、夜が楽しみになる。最近になってゆかさんがいびきをかくことを知った。喉を詰まらせた子豚のようで心配になる。ゆかさんのそんな姿を微睡みに見て、柔らかい布団に落ちていく。


「ここを私たちのアジトにしよう!」


 そう言い出したのはゆかさんだった。


 もうそんなようなものになっているので今更だが、形にしたいのだろう。木の板のようなものを持ってきて、ゆかさんが担ぐ。


 そのあとポケットからマジックを取り出してキュポっとキャップを鳴らす。なんでもあるなぁと我がアジトに感心しながらゆかさんの動向を探った。


「なにか名前つけない? カッコイイやつ!」

「じゃあアンダーリバーなんてどうですか?」

「えーダサーい」

「ダサ・・・・・・ッ!?」


 気に入っていたわたしのハンドルネームだったが、ゆかさんは気に入らないらしい。なにもダサいとまで言わなくてもいいのに。


「じゃあゆかさんはどんなのがカッコイイっていうんですか!」


 若干むきになっているわたしだった。中学のときに考えたハンドルネームが時を経て熟成し、客観的に見られるようになったからかもしれない。ほんのちょっとだけ、安直すぎるところは認めざるを得なかった。


「『ハイパーデリシャスキャッスル』」

「うわあ」


 ジェットコースターのような名前だ。


「『エタニティエンジェル~その手を添えて~』」

「イタリア料理みたいです」

「『wonder dark.』」

「落ちぶれたバンドですか?」


 うーんと二人で唸る。わたしのアンダーリバーがダサいと言われたが、ゆかさんのもなかなかだった。ネーミングセンスがない二人で考えても、相応の答えしか出ない。マイナスとマイナスをかけたらプラスになるという数式は、あくまで数式の中でしか役に立たないのだった。


「じゃあ『地球外知的生命体防衛本部』にしよう」

「無難かもしれませんね」


 結局もにょもにょと噛んでしまいそうな漢字だらけの名前に決定した。防衛の『えい』が書けなくてしどろもどろしたが、指摘するような人も多分いないので当てずっぽうだった。


 地球外知的生命体防衛本部と書かれたその看板を入り口付近に立てかけて、ゆかさんが満足気に鼻息を鳴らす。


「ついでに下もシートで埋めちゃおう」


 武器庫にあったゴムのシートをたくさん持ってきて砂の上に敷く。歩くたびに自重が跳ね返ってきて、何もかもが呑み込まれていくような砂とは違う明確さがあった。生きている心地がして、何度も踏んだ。数年ぶりに役目を果たした土踏まずも嬉しそうに脈動する。


「わー! なんか新居みたいだね」

「アジトじゃなかったんですか」

「あ、そっか。えっと、どっちも。どっちもってことで」


 なんだかいい加減だった。けど、それもいいなと思う。


 実感とは大事なことだ。水を飲めば喉があると感じ、地を踏めば足があると感じ、布団に入れば、目を覚ませば、命を感じる。


「ほらほら下川ちゃん! 私バク転できるよ!」


 卒倒したようにしか見えないバク転に笑って、心を感じる。倒れたゆかさんの手を握って、熱を感じる。大事なことだ。言い聞かせて、二人で走る。


 布団に飛び込んで、シーツもめちゃくちゃになりながら二人で抱き合った。


 はしゃぐ子供のようで、けれどもこの星でわたしたちは確かに子供だった。まだ何も知らない。何をすべきか、何を優先すべきか。今も未来も不明瞭なまま求めたものだけを追いかけていく。


 将来を考えないのは無計画なのではなく分からないからなのだ。知識は人を豊かにし、時に縛る。経験は役にもたつし、その後を淀みあるものにする。


 そう。何も分からないし、分かりたくもない。


 終わるものも終わらないものも知らない。始まることだけを意識して生きていきたい。子供のように純一蕪雑な心で地を踏んで走りたい。そう思わずにはいられないのだ。


「ふふ、あははっ。ゆかさんってば、もう」


 シーツが波打つように揺れる。ああ、海だ。わたしが見たい景色がすぐ近くにある気がした。


 きっとわたしは海を見たいのではなく、海のようなものに憧れたのだ。有限であるはずなのに無限に見える大きな力に脆弱な生物が夢を見る。果てのないものに、触れてみたかったのだ。


「海、いつか見れたら」


 この星にもまだ、あるかもしれない。だって、あれだけ広く、力強い海がこんな地獄に負けるはずなどないのだ。


 それは希望か、切望か、それとも渇望か。望みであることに変わりはなく、けれど叶わなければそれは微睡みに見る夢と同じだ。


 子供はいつだって、根拠のない夢を見る。


 だからシーツをめくればそこに笑ったゆかさんがいると信じて疑わなかった。


「え?」


 境目が切れたような気がした。現実と、夢の。薄く細い境目。


「下川ちゃん! 逃げて!」


 聞いたこともないようなゆかさんの声だった。ガラガラに掠れて、普段大きな声を出すことのない声帯を無理やり震わせている。金切り声が空に轟くと、布団の重みがわたしを揺らす。


 腐った果実のような眼と、岩のような巨体がすぐ近くに横たわっていた。殺意も生気も感じないのに、冷や汗が逃げろ逃げろと訴える。


「はやく!!」

「――ッ!」


 大きな爪に、光が反射して網膜を焼き焦がす。目の奥が熱く、舌が痺れて声が出ない。空を裂く風がまずシーツを切った。


 転がり落ちたわたしは肩から流れる血とジュクジュクと脈動する熱に自分が切られたと知る。けど、首と胴体は繋がっていた。目はまだ霞むことなく視界を鮮明に映す。


 一撃で葬られた人と、今の一撃を回避できたわたしの違いはなんなのだろう。噛み合い、というものだろうか。ならば次はない。


「うぐっ」


 強引にねじった体は受け身を取ることもなく地面に叩きつけられた。砂だったらまだよかったかもしれない。張り巡らされたシートが体重をはねのけて骨が軋む。そもそもこいつはどこから現れたのだ。考えようと脳を動かすたびに、背中から血が噴き出した。


 起き上がらなきゃ。


 第二撃が来ることはエクノンの挙動を見ればすぐに分かった。けど、体が動かない。


 幸せに、浸りすぎたからだろうか。


 危機感の薄れた日常で今を生きるばかりで、明日を生きるための力を失ったのだろうか。


「はっ、はっ」


 死ぬ。


 はじめて味わう不規則な呼吸に自分の終わりを見る。


 いつか来る、その時が来たのだ。


 懺悔はどこ? 走馬灯はいつ? 


 振りかざされる大爪に、情けはなかった。人の死にドラマ性などない。最期の言葉も思いつかないまま電気を消すように命を終える。


 ボトッと涙が落ちた。大量の血が後頭部を駆けていくような感覚。体験したことのない人体の現象に翻弄されながら、わたしは返り血を浴びた。


 熱い、熱い血だった。


 わたしに流れる血とその血に、色の違いはない。二つのそれが混じり合い、床を塗らす。濃く、黒い、死に近い色だ。


 そして同じように瞳の中を塗りつぶされたゆかさんが、吐瀉物を吐き出した。


 ゴボ。


 ビチャ。


 それはわたしたちの日常が終わり、そして始まる音だった。

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