第18話 綺麗な瞳
「あるところにシンデレラという少女がいました」
「シンデレラじゃん」
「シンデレラは幼くして母を亡くし、継母とその連れ子の姉二人、父親と暮らしておりました。 継母たちはシンデレラに冷たくあたり、毎日のようにひどい仕打ちを繰り返していました」
「読んだことある!」
うるさい茶々だった。訴えるように睨むとゆさかんは両手で口を塞いでこっくりこっくり頷く。誤魔化すように細められた目を見て、わたしは話を続ける。
「そんなとき国の王子様が言ったのです。『このガラスの靴を履くことのできた方こそ僕の花嫁だ』と。一番上の姉は真っ先に手を挙げ、その靴に足を重ねました。しかし、小さくて入りません。継母は言いました『つま先がつかえるのなら切り落とせばいい。后になれば歩かなくてもいいだろう?』」
「げぇ」
「言われたとおりつま先を切り落とした一番上の姉は痛みに耐えながら王子の元へと辿り着きます。すると、馬車の上に乗った白い鳥が『その女の足には血が流れてイル! 本当の花嫁は家ダ!』」
「チクリ魔だ。てかその鳥だれ?」
「家に向かった王子に気付き、二番目の姉は急いでガラスの靴を履きました。しかしこれも、小さくて履くことができません。継母は言います。『かかとが入らないのなら切り落としてしまえばいい』」
ふーん、へぇ。ええ? わぁ、とゆかさんが反応するのを隣で感じながら、わたしは語るような口調を渇いた空に滑らせた。
「足から血を流し、苦痛に顔を歪める二番目の姉を見た王子は首を横に振って屋敷に戻ります。その後、『みすぼらしい姿ではあるが血を流していない彼女こそ本当の花嫁だ』と、王子はシンデレラの手を取ります。報われた彼女のハッピーエンドなお話は、白い鳥が残った姉たちの目玉をえぐり出すところで終わりのです。めでたしめでたし」
「ちょっ、ちょちょっ」
話を終えるとゆかさんはコテンと身を揺らして首をつままれた猫のようになっていた。
「なんか私の知ってるシンデレラと違うんだけど」
「まぁ、出版社によって話は違いますから」
「生々しい!」
「でも私はこれがシンデレラの真実だと母に教えてもらいました。どちらにせよ、ハッピーエンドなんだからいいじゃないですか」
「いや、そうだけど。そうだけどさ。うーん・・・・・・というかその白い鳥って何者なの?」
確かに、それはもっともな疑問だった。シンデレラが花嫁になる話に突然介入してくる喋る鳥。何故かシンデレラの肩を持ち、姉と妹の偽装を王子にバラし、あげくには二人の目玉をえぐり出すとんでもない鳥だ。
誰が咎めることもない。誰も逆らえない。物語に登場する理不尽な存在。それはいったい何者なのか。神か、それとも凶器か。止めることのできない不条理は。
「わたしたちの世界で言う、エクノンのようなものかもしれませんね」
「そうなの? でもエクノンは白くないよ?」
あ、でも太陽の色も変だし。私たちの目では白く見えないだけでほんとは白なのかも? とゆかさんが推察する。見えるものを疑いはじめたら哲学的なものへと発展してしまいそうなので聞こえなかったことにした。
「そ、それ普通にバッドエンドだと思うんだけど。目玉抉り出す必要もないし?」
「けど、シンデレラは王子様と結婚して幸せな人生を送れるんですよ? きちんとハッピーエンドです」
「そうだけど、でも。やっぱりみんな幸せがいい、いいなぁ」
体育座りをして、膝に顎を乗せて呟く。顎がカックンカックン、喋りづらそうだった。自分でも気付いたのかすぐに体勢を変えて、崖の向こうに足を投げる。
「みんな、みーんな。幸せに。それが一番いい終わり方だと思う」
遠くで妖しく煌めく紫色の光に網膜が歪に焼かれる。その奥になにを見ているのか。気付くとわたしは覗き込むように前のめりになっていた。
「ゆかさんって、意外と乙女ですよね」
「なにをー」と眉間にしわを寄せるがちっとも怖くない。むしろふにゃふにゃと頬が波打つ様が面白かった。
「そうですよね。絵本の中でくらい、みんなが幸せなハッピーエンドがいいですよね」
「下川ちゃんもやっとわかったようだねぇ」
むふふと鼻を伸ばしているので指でつついてみる。「あぴん」と虫の飛ぶような声でひっくり返った。
「じゃあそんなハッピーエンドを目指して、今日も頑張りましょう」
おー、と手を挙げて。ゆかさんも仰向けのまま拳を掲げる。
体に力を入れて前を向くわたしと、空を見て笑うゆかさんに相違はあるだろうか。わたしはきっと、そしてこれからも。大事な人を傷付けず、失わず、奪われることのない日々を幸せと思う。
けれどゆかさんは、前を向かずに動くことのない空を仰ぐゆかさんは、何を幸せだと思うのだろう。ゆかさんにとってのみんなって、誰なのだろう。
願うものは同じはずなのに、目指す場所が違う。そんな気がして、軽快にステップを踏む彼女がとても遠く見える。ふとした瞬間に足元が崩れて、飲み込まれていくような。比喩表現だけでは留まらないこの星でそれは悪い予感のようなものがしてならない。
「それじゃあわたしたちにとってのバッドエンドってなんだと思います? 全滅? 人類滅亡?」
「実はエクノンは元々人間で、私たちは今まで人間を殺し続けていた、とか」
「うわあ、嫌ですねそれ」
なるほどそれは確かに救いのない。肉体が滅ぶよりも気の遠くなる結末だ。けど、もし相手が人間だとしても襲いかかられたら身を守る。正当防衛なんて言葉もあるくらいだし知ったところでわたしたちのすることは変わらなそうだった。
けどちょっと躊躇うかもしれないし、エクノンの血肉も口にしづらくなるかもしれない。そうしたらわたしたちが餓死してしまう。自分の命を放棄してまで名も知らぬ信仰に身を委ねるのは、良い子ちゃんすぎるだろうか。
けどそれも、誰のためでもない自分のためだ。どこで見ているかも分からない神様にあの野郎とバチを当てられないように、命を尊むのかもしれない。
「とまぁ、こんな感じで昔絵本はたくさん読んでもらったので。ご要望さえあればいつでもお聞かせできますよ」
「ほんと? じゃあ白雪姫が聞きたい!」
「いいですよ。えっと、まず白雪姫のお母さんが猟師に命令をします。『白雪姫を殺し肝臓をとってきなさい』」
「いやもう怖いよ!」
ひぃ、と逃げていくゆかさんの背中を追いかける。絵本に出てきたイノシシのように、がおーと爪を立てると悲鳴をあげてゆかさんが転ぶ。本当によく転ぶ人だった。
「捕まえたぞ~」
「ぎゃあ! た、食べられる-!」
「ぐへへ、まずは頭から頂こうかなぁ」
「やめてー! 私の頭なんて空っぽだから美味しくないよー!」
「それもそうですね」
「・・・・・・ちょっと?」
鼻の先で、こちらを睨むゆかさんの瞳が揺れる。覆い被さるわたしの体が痺れたように鈍り重さに負けて落ちていく。ゆかさんのお腹は少しもちもちしていた。感触で気付いて、運動不足だなと分析する。
解けたように髪が横に流れて、影に隠れた宝石が露わになる。黒く、艶があって、壊れた太陽の光に負けずに輝いている。ゆかさんのこの色だけは、偽りでない気がした。
「ゆかさんの眼、すごく綺麗なのに隠してるの勿体ないですよ」
「そ、そうかな?」
「はい、綺麗です」
触ってみたいと思った。取り出して、手のひらで転がしたら光が乱反射して、その不明瞭な行き先すら美しい。猟奇的かもしれない。取り出す工程でゆかさんが痛いと泣き出しそうなので実行しようとは思えないけど、それくらいに惹かれるものがある。
わたしがじっと見つめていると、ゆかさんは頬の色を変える。深く、濃く、光彩を集めていく。
「それ、前にも言われたことあるんだ」
「そうなんですか?」
「うん。ずっと前に、同じこと」
視線が交差したまま時が過ぎる。ゆかさんの声を、鼓動を、熱を。全部全部咀嚼して、甘いものが舌を転がる。淡い光が微かに目尻を反射した。
「ゆかさん・・・・・・?」
「ううん、なんでもない。なんでもはあるけど、ない!」
「どういうことですか、わ」
ぐるんと回転して今度がわたしが下になる。覆い被さるゆかさんの前髪が鼻先をくすぐって「うぇへ」と変な声が出た。
「ありがとう、綺麗って言ってくれて」
髪を撫でられて、指が途中で引っかかる。マトモに手入れもしていないボサボサの毛が、ゆかさんを捕まえて離さない。
ああ、それは今じゃなくて。ずっと昔にやってほしかった。シャンプーもリンスも使ってるそのときに、艶のあるわたしの髪を撫でてほしかった。それがもう叶わない願いなのだと悟ると自然、視界が潤む。
最近のわたしの水分は外に出たがるようだ。
ゆかさんの指が髪から頬へと映って、優しく触れる。胸が柔らかいものに包まれるような感覚に、ゆかさんが年上なんだと知る。
あんなに不器用で、頼りなくて、会話も下手で佇まいも落ち着かないのに。わたしは心も体もゆかさんに委ねてしまう。後に生まれただけなのに、逃れようのない性だった。
「ゆかさん・・・・・・」
「な、なんてね! ぶふぉ、ちょっと私カッコよかった!? えへえへ」
大福のようにもちもち動く頬にため息をついて乗っかるゆかさんを退けた。発泡スチロールなんじゃないかと錯覚してしまうほどに軽く吹っ飛んでいく。起き上がって、顔に砂を纏わり付かせたまま四つん這いで戻ってくるゆかさんはこれから揚げられる海老のようだ。
いつ死ぬかもわからない場所で、こんなのでいいのだろうか。いいのかもしれない。生きる以外の生き方を求めたら、必然的にこうなるのだ。
死に近づくたびに、幸せを感じる。生を手放すことで、充実を満たせる。わたしたち人間がどれほど不完全な思想を持っているか実感して、自分の胸を触ると確かに高鳴る。
こうしてゆかさんと生きる以外のことをして、笑っていることがわたしにとってのハッピーエンドなのかもしれなかった。
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