第17話 届くかもしれないから
「そろそろ出ましょうか、あまり体を冷やしてもよくありませんし」
握っていた手を離して立ち上がると、ゆかさんがわたしを見上げて言う。
「また来ようね!」
「はい」
また、いつか、きっと。この言葉における信憑性というのはこの星においておそらくない。けど嫌いじゃないし、口にすれば願いは叶うとよく言ったものだ。夢や希望ほど大それたものでもないが、一つの約束ができるというのはわたしにとって喜ぶべきことだった。
濡れた体は砂を転げるとすぐに渇いた。岩一面の星じゃなくてよかったと思う。付着した黄色の粒を取り払って服を着る。素肌に触れる生地がいつもより柔らかく、皮膚の感覚が戻ってきたことを実感する。
さっぱりと気分を入れ替えたわたしたちはその場をあとにして別の場所へ向かった。
案の定、この遺跡には武器のほかにも貯蓄された食糧や水に着替えまでもが揃えられていた。長い期間ここで暮らしていたことが見て取れる。
わたしの提案でせっかくだから着替えようということになり、互いに服を見繕った。砂がこびりつかないようになるべく布製の服は避けて、革やポリウレタンの服を選ぶ。わたしの好みじゃないけれど、こんなところでおしゃれをしたって仕方がない。
一方ゆかさんは意外や意外。紺色のシャツにベージュの上着を羽織って白いスカートを膝上で止めていた。落ち着きのある色調はいつものゆかさんとは違う上品さを持っていて見惚れてしまうわたしがいた。ギャップというのはいつの時代も心を動かすものらしい。
「ゆかさんってファッションセンスいいんですね」
「え!? そ、そうかな」
「はい、すごく似合っています。かわいいですよ」
「う、うふふふ」
なんだか気味の悪い笑い方だった。
くるりと優雅に回ってスカートが風に乗る。帰ってきた瞳がわたしを見て、憂うように笑う。大人びてはいるけれど、手放しで喜べない儚さがそこにあった。服の印象もあるかもしれないけど、いつもは見えないゆかさんの底が露出した。そんな気がした。
スカートの裾を持ち上げておほほと歩く。途中で飽きたのか、ゆかさんはいつもの歩き方に戻った。
服も食糧もあることを確認して、今度はゆかさんが欲しいというゲームを探しに行くことにした。遺跡の壁を沿うように移動して、開けた空間に入るとわたしたちは同時に「え」と顔を見合わせた。
水浴びのできる部屋も食料庫も無事だったのに、どうしてかこの部屋だけがデタラメに破壊されていたのだ。大穴の開いた壁から外が見える。足を踏み入れるもその先は崖で、すぐに引っ込める。
冷や汗を拭ってもう一度部屋を見渡すと、血痕はどこにもついていない。ぬいぐるみが漏らした綿と、壁の破片が無数に散らばっているばかりだ。
人間を襲う以外に意図がある。そう思わざるを得ない状況だった。
「あ、あそこ!」
ゆかさんがなにかを見つけたようで犬のように駆けて行く。底の見えない大きな崖に首を伸ばし、手だけがわたしを招いていた。
「ほら! あそこに引っかかってるのってゲームじゃない!? あと絵本と、お茶だ!」
エクノンがあの部屋にあったものを崖の向こうに捨てたのだろうか。買い物かごのようなものが風に揺れていた。
「届くかな・・・・・・うーん・・・・・・!」
体を乗り出してゆかさんが手を伸ばす。指先が触れるか触れないかという程度のところで止まり、ぷるぷると震えだした。
「うぐぐ、もうちょっとなのに」
「ゆかさん、それ以上は危ないですって」
ゆかさんよりも背丈の低いわたしがやっても手は届かないだろう。それにそこまでリスクを犯して取るようなものでもない。
「け、けど」
「手が届かないのなら諦めるしかないです。ムリはムリと妥協するのも大切ですよ」
「う、うーん」
わたしの言葉にゆかさんは納得いかないようで渋い顔で唸る。基本的に人の言うことに身を任せるゆかさんが自我を持って動こうとするのは珍しいことだった。
足をバタつかせて、せっかくおしゃれな格好が台無しだ。そもそもパンツが丸見えである。履き慣れてないなぁとめくれるスカートを見て肩を落とす。
「じゃあさ下川ちゃん。わ、私のこと押してくれない!?」
「押すんですか? いいですけど・・・・・・」
お尻のあたりを押すと、ゆかさんがわひゃあ! と悲鳴をあげる。
「下川ちゃん! キミはなかなか、大胆だねぇ?」
「え、ええ? だって他に押す場所ないですよ」
「せ、背中! 背中でいいから! 背中でおねがいしやす!」
でろんと溶けた粘土のように崖を伝うゆかさんが変な口調になったところで、一度辺りを見渡して、見ただけじゃ大丈夫かどうか分からないかと前を向く。
肩甲骨付近を手で押すとゆかさんがくすぐったそうに身を捩らせる。押そうにも本気で押したらゆかさんが空の旅をはじめてしまいそうなので触れる程度にとどめておく。
「んーっ!」
「もしかしてゆかさんって・・・・・・」
相当体が硬いのでは。
腕を伸ばすたびに足がピンと上にあがって、足を下げれば腕が引っ込む。その連動具合が融通の効かなさを物語っている。頭が硬いとはよく言うが、語源がなんとなく分かった気がする。
「やめましょうよゆかさん! 落ちちゃいますよ!」
「でも、でも!」
どれだけゲームがしたいのだろう。ゆかさんの執着に疑問が沸く。そんなものよりも命が優先のはずなのに。
「背中を押してくれれば、届くかもしれないから・・・・・・!」
「じゃああと5数えるので、それでムリだったら諦めましょう!」
「わ、わかった!」
「いきますよ! 5,4,3、2,1――」
「うぎぎぎぎ」
「ちょっとゆかさん! 話がちがっ――きゃあっ!」
体が重力に引かれて先に砂が落ちていく。あれはおそらく未来のわたしだなと見ていやいや嫌だなと首を振る。これだけ異形の化け物が蔓延る星で落っこちて死にましたというのはなんだか損な気がした。
まぁ損得は関係なしに、とりあえず本能的に落ちる体を足が支える。
一緒に伸びて落ちそうになっているゆかさんの腰を掴む。こんな状況だというのに「えへえへ」と暢気な声が聞こえてくる。どうせ溶けたように笑っているんだろうなと見なくても分かる。見なくても分かるということはそれくらい共に過ごしたということで、過去が尾を引くようにわたしを動かす。
「あ、そこっ! ダメだよ下川ちゃん!」
「わああ、ごめんなさい! けど、ここしかもう掴む場所がなくって! というかゆかさんもあんまり暴れないでください!」
「そのセリフなんか、うわあ。下川ちゃん!」
「なんですか」
「下川ちゃん!」
「だからなんですかって! もう!」
ふんぎ、と引っ張って体勢を整える。スカートの中身を気にする様子なんてもう微塵もなく純白に広がる景色に力を込める。
体を捻ってひっくり返ったゆかさんが宙ではなく砂を掴んで必死にかいた。けど、自重を支えるには砂は軽すぎるようで再びするする落ちていく。ならわたしは重いのだろうか、わたしの腕を掴んだゆかさんが涙目にこちらへ上がってくる。砂のように渇いた存在でないことに今だけ感謝するべきなのか。
「もう、ゆかさんってば! 危ないことしちゃダメですよ!」
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
しょぼんと萎縮したゆかさんを眺めて、わたしの心も静かになっていくのを感じた。はぁとため息をついて、釘を刺す。
叱られる犬のように落ち込むゆかさんはともすればわたしを映す鏡のようで、わたしは怒っているのかとはじめて気付く。
「そんなにゲームがしたかったんですか?」
「えっと、うーんと・・・・・・そういうんじゃないんだけどなんか」
もにょもにょと要領の得ない言い方だった。
「なんだろうねぇ?」
「なんですかそれ」
「絵本欲しかったねぇ」
「子供扱いしないでください」
「あ、いや私が」
絵本なんて読みたいのか。
もしかしたらゆかさんはゲームでも絵本でも、廃れた世界から目を背けられればなんでもよかったのかもしれない。
毎日どこかで血が飛沫となり昨日まで一緒にいた仲間がいなくなる。睡眠すらマトモにとれないこの生活で疲れないほうがおかしいのだ。
「あの、ゆかさん」
「ひっ、ご、ごめんなさい!」
「絵本、読んであげましょうか」
「へ?」
青白い空を見たまま、視界の端でゆかさんの顔がこちらに向くのを確認してさっきまで必至にしがみついていた崖に足をかけた。
宙ぶらりんの足を揺らして、今度はわたしがゆかさんを手招く。
戸惑った様子のあとゆかさんもわたしの隣に腰掛ける。
「後ろは砂だからエクノンが現れるかもしれませんが、前方は崖です。後方にだけ気をつけておけば大丈夫なのでいつもよりは気を抜けるかもしれません。いえ、気を抜いちゃいましょう」
「いいの?」
「いいかどうかはわからないですけど、いいってことにします」
「下川ちゃん意外と悪だねぇ」
学校の授業をサボるような感覚だった。懐かしい空気が鼻を撫で、同時に目の奥がツンとする。
振り返り、憂う。そんなことばかりだ。たまには今を楽しむのもいいことだろう。
息を吐いて、遠くを見た。
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